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ルビー手芸店の月並みで愛しい日常④(物語)

煉瓦造りや石畳にしとしとと染みていくように小雨が降り続いてる日、午後になってもお客がまだ1人も来ず、みすずは編み物に没頭していた。入荷した商品を整理する仕事もあるが、こんな日は雨の雰囲気を感じながら、編み物に集中するのが大好きだった。
ルビー手芸店を始めたルビーおばあさん、今の店主の祖母にあたる人が残したカーディガンのレシピが出てきて、復刻して販売したいとみすずは試し編みを繰り返していた。全体に模様のある上級者向けのレシピで、写真やゲージ、サイズは別の紙だったのか見当たらず、編みながらレシピを補完するのはなかなかの手間だけれど、こんな雨の日は手のかかる仕事にもってこいだと、みすずはやる気になっていた。

試し編みの結果を表計算ソフトに打ち込み、Mサイズのレシピが大体仕上がったと思ったところで、「カラン」とドアベルが鳴った。みすずはまるでタイミングを測ったみたいと思いながら「ボンジュール」と顔をあげた。
みすずと同世代と思われるその男性は楽器のケースを背負って、Tシャツに革のベスト、チェックのハンチング帽からはみ出しているカールした癖毛と無精髭がトレードマークのように違和感がなかった。店を入ったところで待っているので、
「どんなご用ですか」
と近寄って行って聞くと、
「マノンはいますか?」
と言うので、彼女は辞めたことを伝え、“もしかして変な人だったら”と身構えた。すると、男性は
「そうなんだ。君は新しく入った人?いつもライブのチラシを置いてもらっていたんだけど」
とフライヤーをカバンから取り出したので、みすずは少し安心した。受け取って目を通すと、アイリッシュ音楽のライブの告知だった。お店には、イベントや教室のチラシやポスター、カードを置かせてほしいという人がやって来るので、レジの一角にスペースを設けていた。
「僕、パトリックって言うんだけど君は?」
と自己紹介するので、みすずは少し驚いたが
「みすずです」
と言いながら、パトリックが差し出した手を握り返して握手した。
「君はアイリッシュ音楽は好き?」
とパトリックに聞かれ、みすずが“この会話、どこに向かっていくのかしら”とドギマギしながら
「よく知らないかな…」
と曖昧にこたえると
「どんな音楽を聞くの?」
とさらに質問を重ねてきた。音楽は大体何でも聞くのだけれど、何となく“チケットを買わされるのかしら”“誘われるの面倒だな”という気持ちが勝ったから、
「ポップスかしら」
と返事をした。するとパトリックはカバンからまた紙片を取り出し、
「ぜひ一度来てみてよ。プレゼントするから」
とみすずにチケットを渡そうとした。みすずは自分の答えに対して全然脈絡のないパトリックの行動にたじろぎながら、
「いや、そんな。受け取れないです」
と手を出さないでいると、
「でも、15€のチケット買ってくれないでしょ?」
と笑いながら真っ直ぐ目を見て言われ、さらにうろたえて
「いや、まあ…」
と濁した。するとパトリックはチケットをカウンターに置き、「待ってるよ」と言ってサッと店を出て行った。みすずは閉まりかけたドアにパタパタと駆け寄って外をみたが、彼はあっという間に去っていた。もう雨は止んで雲の隙間から日の光が差し始めていた。
頬に外のひんやりした風が当たって我に返ると、「この日はダメだって言えばよかった」と後悔しながらみすずはチケットを見た。一種のナンパなんだろうか、ただファンを増やすためのキャンペーンなんだろうか。

みすずは男女の付き合いというものに興味がなかった。友達と呼べる人も殆どいなかったし、彼氏なんて遠い世界の面倒なことだった。だから、こんな不意打ちにあうと困惑するしかなかった。そして何故かふと父を思い出した。
フランス人で研究者をやっている父は、まだキャリアを出発して間もない頃に日本で母と出会った。そしてみすずが産まれる前にどこか別の国で重要なポストを得て行ってしまい、母は母で自分のキャリアを取り、結局は祖母がみすずを育てることになった。
父は学会や旅行で来日する事があり、父の彼女も一緒に、と言っても何回か彼女も変わっていたのだが、テーマパークへ行ったり観光したりして過ごしたことは何度もある。父はいつも機嫌良く楽しい人で、みすずにも優しかったが、期待や心配といったような親らしい態度は皆無だった。母は父には滅多に会わなかったが、みすずには色々と質問をし、前とは違う女性といたことを知ると内心喜んでいるようにみすずには見えた。何故なのかは今でもわからない。
そして母の方針としては、祖母がいるにしても、自分に何かあったら父を頼れるようにという意味で、日本でフランス語が学べる学校へみすずを通わせた。そしてみすずがフランスのビジネス系の学校に行くと決めた時に援助を父に打診してくれた。父は快諾し、2回目に留年した時には流石に「みすず、僕を破産させないでくれよ!」と嘆いたが、みすずは何不自由ない学生生活を送った。
でもみすずは両親がこんなだったから、自分が恋愛に興味がないという考えはしっくり来なかった。「こんな普通じゃない親だから、どうのこうのって思うのは損だよ。2人のように、みすずも好きに人生を生きるんだって思いなさい」というのが祖母の口癖だったから。そして大体は「好きに生きるために、今は勉強しなさい!」と続くのだった。
そんな事で、みすずは常々自分がどうしたいかを考えてしまい、皆と同じタイミングで同じ行動がしづらくて迷惑をかけたりするし、興味のないことに付き合うこともしづらかったから、1人がラクだと思って生きているというのが、自分ではぴったりくる分析だった。でも、この頃は好きに生きている動線の中で、人と交流してひととき楽しい時間を過ごせることが分かってきたところではあった。

夕方になって、店の上に住んでいる店主のセシルが降りて来た。パトリックがライブのチラシを置きに来たことを報告すると、
「あら、いつなの?私、彼のライブ好きなのよね」
とチラシを見た。みすずはちょうどよかったと思い
「チケットを一枚くれたから、これどうぞ」
とセシルに渡そうとすると、老眼鏡をずりあげながらチケットを見て、
「あら!これ貰ったの?それはあなたにってくれたんでしょう?私が使ったら、彼ガッカリするわよ」
とセシルはニヤニヤしながらみすずの顔を覗いた。そして困惑した表情に気づくと
「気が進まないの?」
と聞いた。みすずは、
「いや、なんと言うか、タダで貰って悪いっていうのもあるし…ナンパされたんじゃないかって気もするし…ライブに行くと興味あるって返事するようなものじゃないかと…」
と、やっとのことで答えると、
「あはは。迷ってるってことはNO!というのでもないんでしょう?」
とセシルが茶化すように言うので、みすずは
「そういうのじゃなくて…私、男女の付き合いにはどうも興味がわかないんです」
と遠慮がちに言った。セシルは
「そっか。じゃあ興味ないって言うしかないわね」
とあっさりと答え、みすずは少し驚いた。セシルは続けて
「でもライブに招待されたってことだし、ライブ自体は聞きたいの?聞きたくないの?」
と聞いた。みすずはちょっと考えて
「聞きたい…」
と正直に答えると
「じゃあ、私もライブハウスでチケットを買ってくるし多分友達も行くと思うの。皆んなで行きましょうよ」
と提案した。みすずは嬉しい提案に即賛成した。そして驚いたのは、セシルがかつての同僚のように「え?どうして?」「そんな事言わずに一回デートしてみなよ」なんて言わずにそのまま受け取ってくれた事で、自分が肩透かしをくらった事だった。今までの周りの反応から、こんな時は相手が納得しそうな説明や言い訳を、自動的に頭の中で準備するようになっていたことに気づいた瞬間だった。こんなこと、もう自分の人生には要らないと決めた。言い訳しなくても、自然体でいて楽しく付き合える関係もあることを知ったから。

第4話 終わり
この物語はフィクションです。

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