父への手紙

昨日、ひとづてに
父親が亡くなったことを知った。

6月16日に、わたしが生きているこの世界から「さよなら」したらしい。

今日は、7月7日。

"ずいぶん、遅くに気づいてごめん。"と
普段何気なく交わす友達とのLINEのやりとり
とは違って、今、わたしがメッセージを送ろうとした相手は、
永遠に既読のつかない存在になったみたいだ。

そう思いながら、朝の通勤路をいそいだ。
なんだか、梅雨特有の「憂鬱さ」が一段と加速した気がした。

その6月の16日に、わたしはどんな風に過ごしていたのだろうか…。なんとなく、手帳を開いた。
「まだ、火曜日か…」なんて考えて、いつものおきまりの電車の車両にゆられ、パソコンをカタカタしていた気がする。
多分、変わりばえのしない、
いたって「普通」の毎日の一つだったような
気がする。

4年前に離婚して以降、父親とあまり連絡はとっていなかった。
色々あってわたしたち家族は、距離をあけることが、必要だったのかもしれない。
今こうしてみると、ほんとにこの選択が正しいかわからなくなってしまうが、
「人生はこういうものだ」と綺麗ごとみたいにわりきって考えていかないと前に進めないので、これが最善解であったと
神様にでも言ってもらいたいものだ。

そうぼんやりと考えて、
まぁ
なんだかんだ言っても、
親は、「親」なのだと思う。いつまでも。

小さい頃、一緒に近くの寺の池でザリガニ釣りしたことや、塾の送り迎えや、漫画好きなところとかが勝手に色々思い出されて、
不覚にも、しんどくて重たい思いが溢れた。

社会人になった、4月の上旬になんとなく「わたし、社会人になれました」という意味を込めて、父さんに会いに行った。ほんとになんとなく、元気かな」と感じたから。

わたしは、自分の「直感」を大切にしている。何かの本で「直感」って、まぐれじゃなくて、いろんな今までに見てきたものや学んだものなどをもとに、導かれるものだと書いていた。だから、わたしは
「なんとなく」を大事にしている。

父に会いに行くと決めた日は4月で、確か12、3日だった気がする。
そういえば、4月は、父の誕生日だ。
誕生日は8日で、ちょっと過ぎてしまっているなぁと迷ったのだが、せっかく会いに行くので、手土産に「ケーキ」でも買うかと思い、
デパートへ向かった。
父は、「モンブラン」が好きだった。デパートに着いたのが18時くらいだったから、ショーケースにはほとんどケーキが残っていなかった。それでも、たまたま美味しそうな
モンブランが残っていて買うことができた。

ケーキを持って歩くのは、苦手だ。
柄じゃない人が誰かに花束を渡すときみたいな緊張感。
それから、久しぶりに会う人との会話のはじめ方も、同じような緊張感がして、苦手だ。

父と会って、痩せたなと思った。お世辞にも元気そうだとは言えない感じだった。なんというか体というよりも、心。心の、元気がなさそうだった。そんな感じだった。

少し、切なくて悲しかった。

父さんは、
「○○(わたしの名前)、綺麗になったな」と
何度も言ってくれた。

父さんの目には、大人の仲間入りをしたわたしが映っていたのかなと思う。よかった。
久しぶりに会って、みんなは元気か?と聞いて、元気だよと伝えると優しくほほえんだ。
なんだか、たわいもない会話しかできなかったが、それだけでじゅうぶんだった。わたしは、別に大層な話しをするために、あなたに会いにきたのではない。顔をみれただけで、じゅうぶんだった。
父さんは、会話の端切れ端切れに、
「こんな父親で、ごめんな」と言った。
別に、そんなことを思ったりするほどもう子どもじゃないから、大丈夫だと思った。
ただ、彼が自己否定するたびに、少しだけ苛立ちを抱えてしまう。
怒りというより、悔しさなのかもしれない。
もっと、
自分のいいところにも気付いてほしい。
わたしの中には、
あなたのいいところの記憶の方が
たくさんなのだから。
どうして、もっと自分のよさに
目が向けられないんだと、
頼むから、
そんな言葉を軽率に言わないでほしいと
思った。
なんだか、
とてつもなく悲しくなってしまうから。
と考えていたが、
「いや…別にそんなこと思わんで」
なんて、
返事になっているかどうかもわからない簡素な言葉しか返せなかった。

最後に
父さんが亡くなったということを、親戚から聞いた電話で、
父さんがわたしのプレゼントしたケーキを
たいそう喜んで、嬉しそうに食べていたと聞いた。

思いがけず、最後の誕生日プレゼントになってしまったが、

「父さん誕生日、おめでとう」

また、どこかで…。

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