うつ病じゃなかったヤッタネ

何がきっかけとかもなく、自分が首を吊ったり駅のホームで一歩踏み出したりする母親が知ったら発狂してしまうような妄想が頭の中を占めるようになってしまった。ここ3ヶ月くらいのことである。楽しくお喋りをしていても、気持ちよく運動をしていても、脳味噌が二つありそのどちらかは常に死ぬことを考えている。自分であってもヒトをころすのは怖いので、実行には移さない。コロナでは死にたくない。芸能人の自殺がおそろしいほど羨ましい。自分より辛い人はごまんといる。この程度の辛さでめげている私はどうしようもないポンコツだ。自己肯定感が地に落ちて、自分の生きる意味や価値を他人に見出してもらおうとするが、こちらが求めなければ、「きみには生きている価値がある」と言ってくれる人などいない。

こりゃやばくないか?というより、ついにこの時が来たなと重い腰を上げるように生まれて初めて予約した精神科に今日、行ってきた。
別に病院を受診することで、目の前が霧が晴れるみたいにひらけるなんて思ってなかった。しかしこれほどまでか、という何にもならなさ。うつ「病」ではないですね、環境によるものだから環境が変われば良くなるかも、ストレスが胃腸に来た時用の頓服薬は処方します。物腰は柔らかいが一つも笑わないおばさんの先生の前で私は完全に萎縮し、あなたの辛さはそれほどでもないというようなメッセージを暗に受け取り、落ち込んで、帰ってきた。知ってた、私の辛さ全然それほどでもないんだよね、わかる、だって演劇できるしネイルサロンにもお買い物にも行く。それでもめちゃくちゃ辛くて、楽しい予定に向かう駅のホームで「ホームドアが無いな、でも家族に迷惑かかるから電車遅らせるのはやめよう」って思っちゃうのがすごく嫌だから、ちょっとでも解決の糸口教えてくれないかな、って受診してるんだよ。環境によるものなのもわかるよ環境を変える体力や変化した先に適応できる活力が今ないんだよ、今。助けてくれ。なんて私は言えない。いや全然、おそらく時間にして20-30分くらいは話していたと思うし、なるべく全て曝け出して話したつもりではある。でも、全て話したところで、やっぱり私にとって先生は他人でしかなくて、私は他人に助けを求めて助かるような人間ではなかった。数ヶ月前、オンラインカウンセリングなるものも受けてみたけれどその時も、心理カウンセラーの方にすら気を使って沈黙にならないように頑張ってしまい、ちっとも心は休まらなかったしなんなら新しいタイプのストレスをドッと感じた。今日は対面だったから幾分話しやすくはあったが、自分の望んでいたコミュニケーションではなかった。私自身が望んでいるコミュニケーションとはいったいなんなんだろう。

私はただ、小さい小さいしあわせを、感じてはいけないとか資格がないと思わずに、小さいままでいいからしあわせと感じたいだけなのに、それがどうしてもできない。ごめんなさいと私はゴミだとしあわせになんかなっちゃいけないんだに塗れて、しあわせの丸い玉に傷がついてだんだん削れてくイメージ。こんなことを書いている今も、これだけ文章が書けるのに鬱ぶってて乙、という自分が頭の中にいて、自己憐憫しようもんならこれでもかと責め立ててくる。誰なんだよ。マジで参った。降参です。

こんなんだから無職です。本当の意味でのサポート、おひねり、お願いします。ごめんなさい。

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