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Robie House (Frank Lloyd Wright)

2021年3月中旬にシカゴ大学内にあり、世界遺産にも登録されているRobie House のガイドツアーに参加しました。この1909年に建てられたFrank Lyotd Wright (1867-1959)の代表作について拙い文章で紹介していきたいと思います。ガイドツアーで聞いたことや、自分で以前に調べて頭の中に残っていることを中心に書いているので引用元は記載しません。なので、確かでないこともありますので「そーなんだ」程度に読んでくれたら幸いです。

Frank Lloyd Wright の建築は、日本だと1968年に新本館建設のために解体されてしまったが帝国ホテルのライト館で有名。

Frank Lloyd Wright は、シカゴがあるイリノイ州の北に位置するウィスコンシン州の出身で若い頃に建築家を目指して、Louis Sullivan を中心としたChicago Schoolの下で建築家としてデヴューした。当時、シカゴでは1871年のGreat Chicago Fire の影響で高層ビルの建築が進んでおり、その重要な役割をになったのがChicago Schoolである。詳しいChicago School の説明は省略するとして、Louis Sullivan らは縦の構造を意識した建築物を設計していた。

このChicago School で建築家としてキャリアをスタートしたFrank Lloyd Wrightは、Chicago Schoolから材料と装飾に大きな影響を受けていることが見受けられる。後に、フランスの建築家Le Corbusier とドイツからシカゴに移った建築家Mies van der Rohe と肩を並べ「近代建築の三代巨匠」と言われるようになる。この他二人の建築様式と比較すると、Frank Lloyd Wright の建築様式がChicago School の影響を受けていることは一目瞭然である。

このRobie Houseは、Prairie Style と呼ばれる水平線を意識した構造が特徴である。(下の写真参照)

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Chicago School が縦の構造を意識していたのに対して、Frank Lloyd Wright は横への広がりの構造を意識した建築が多い。この様式は、地上の水平的な繋がりに対して抗うことなく従っているかのような印象を与える。このような自然に対して従う姿勢は水平的な外観だけでなく、内部での太陽光の取り入れ、風通しを意識した構造にも現れており、Organic Style とも呼ばれている。

このような、自然との調和はFrank Lloyd Wright が日本に訪れた際に見学した数奇家造りの建築から発想を得たらしい。例えば、日本の茶室における空間の緊張と緩和である。茶室では、敢えて狭い入り口を設けることで空間の差を演出している。このアイデアからFrank Lloyd Wright は、Robie House にも取り入れている。

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この柱のように見える部分は、実際には天井と接続しておらず、狭い空間としての通路と広い空間としての部屋の演出のために設けられている。

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Frank Lloyd Wright は、ほかのモダン建築家との差別化に苦しんでいた時期もあったらしいが、アメリカの建築家としてウィスコンシン州の様な自然が豊かな土地で生まれ育ったことから、このように他のモダン建築には無い自然との調和が建築に表れている。

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