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日々の事37
思ったこと
昨日Twitterでとあるフォロワが、同接数の少ない配信について抱く気持ちをツイートしていたので、それを呼び水に自分でも考えてみた。あくまで雑感なのでもっと統計なりサンプルが必要なのは否めない。
以下ツイートの転載。
ぼくは同接50くらいの配信がけっこう居心地よくて好きだな。昔っからそうだけど。
— みんかが (@NKJ8906) February 8, 2021
配信観てて「この人売れてほしいな」っていう非常に余計なお世話な気負いがあると集中できないんだよね。同接500とかいう微妙なラインだとそういう気持ちがどうしても湧いてくる。どこから湧いてくるかはわからないけども
— みんかが (@NKJ8906) February 8, 2021
でも同接50とか10とかの配信って言い方悪いけど何か「相当なバズり」が無いと絶対に見る人増えないから、空間の固定化があるというか。いつもだいたい同じ人しか観てなくて内輪感が生まれてくるんだよな。
— みんかが (@NKJ8906) February 8, 2021
自分に席が用意されてる感じがあるから毎回見に行くっていうか。行きつけの店的なね。Twitterも似たようなもんよ。独特の内輪感が無かったらとっくの昔に辞めてる
— みんかが (@NKJ8906) February 8, 2021
実はツイート埋め込む機能を使ってみたかったのもある。
要するに、小規模な配信には「独特の居心地の良さ」があると言いたい。
そう感じる要素としては①同接数の少なさによる視聴者の固定化と②商業主義的な空気の排除だ。
①はツイートで「内輪感」と言い換えているが、もう少し解像度を上げるなら「配信でコメントする人が毎回固定的である」ということだ。コメ欄での馴れ合いより、配信者も視聴者も「あ、またこの人いるな(=コメントしているな)」と共通認識を持っている状態を指す。ここを突き詰めると「一見さんお断り」的な空気が醸成されていくが、それは大なり小なりどこの配信でもあるので内輪の内側にいればラッキーといえるだろう。
ツイートの最後でも言っているが「自分の席が用意されている感じ」は居心地の良さに大きく寄与している。
②は配信者によっては死活問題だが、よくよく考えれば配信は「毎回お金を稼ぐためにやるもの」でもなければ「人気者でなければやってはいけない」ものでもない。趣味で、あるいは収益など最初から求めていない配信をしている人は沢山いる。我々がよく名前を聞いたり認知している配信者は「有名だから」認知しているにすぎない。
個人的な感覚では、売れようとしすぎる人ほどすぐ引退し、特に強く意識していない人の方が細く長く続けている。前者がとりわけ観る側からは重大で、有名Vtuberの引退に例を見るように「突然の配信活動終了」などはまさに青天の霹靂。そんな心配をせずに、後者のようにゆるく長く見ていることができる配信者がいいに決まってる。商業主義は「引退」のスイッチを押しやすい。
以上が①と②の詳細だ。ここまで書くと要領を得なくなっていくがそこは勘弁願いたい。
繰り返しになるが小規模な配信の「独特の居心地の良さ」が自分は好きだ。いつもそうした配信を探している。みんなも自分にとっての居心地の良い配信(者)を探そうな。
今日はここまで。
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