見出し画像

日々の事53

今日のこと

メンタルがダメな日だった。毎日元気にハッピーでいられたら一番イイ。でもそうもいかない。昔ほどは引きずらなくはなってきたけど、ちゃんと凹んだりはするので、痛みに強くなるにも限界はあるのだろう。一撃を受け止める時のメンタルの柔軟性を上げるしかない。

結局突き詰めていけば、感情をぶつけた方が常に優位なのだ。ぶつけられた側は相手の一方的な意思表示に対して明確な答えを探そうとするが、そんなものは往々にして無い。何故なら相手もこちらのことなど真の意味で理解していることはほとんどなく、身勝手な激情に駆られている場合がほとんどだからだ。ただ、実生活でそこまで感情をぶつけ合う場面は、殊に日本ではあまり遭遇しないので、一触即発は関係の再修復を非常に困難にする。
そんなワンターンゲームなら、先に攻撃した方が勝つに決まっている。強い感情に対していかに論理的に正しいふるまいをしても無意味だからだ。冷静な時ですら正論は嫌われるのでなおのこと。もはやどっちが善で悪で、正義かなんてものは関係ない。
先んずれば人を制す。それだけだ。ものすごくシンプルでいい。

よく危険な話題を「地雷」と表現するが、よくできた表現だと思う。地雷は踏めばほぼ即死で、生き残っても悲惨な状態だ。埋められている見えないものを踏み抜かないようにするのは至難で、どこかの古戦場のように看板があるわけでもない。よっぽどの関係を築いていても、高性能な爆弾相手には無力だ。踏んだら黙って死ぬしかない。

分析を繰り返すほど、こうした無慈悲なバランスゲームの中で人は生きていると感じる。友達と思っていた人ですら数年で関係は壊れることあれば、疎遠だった人と数年越しに意気投合することもある。人と人との関係性はさざ波のような曖昧なもので一生掴むことはできないだろう。
こんなのずっと考えてたら、そりゃあ頭もおかしくなる。バカになる前に捨ててしまえば楽になる。もしいつかどこかで自分が誰かに感情をぶつけたとして、非難される謂れは無いだろう。お互い様、と笑えばいいのだから。
ということで、見事に諦めの境地に到達したところで、終わろうと思う。

今日はここまで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?