日々の事23
今日のこと
「知識は荷物になりません」というフレーズがずっと頭の中に残っていて、これを最初に聞いたのは鋼の錬金術師のラジオ『アニプレックスアワー ハガレン放送局』だった。確か何かのコーナーの前口上だと思う。
さっき気になって調べたらどうやら元ネタがある。それが1995年にやっていた『冒冒グラフ』のコーナーでの前口上らしい。今田耕司、東野幸治、板尾創路の三人が出演していたバラエティー番組とか(観たことはない)
耳に残るフレーズやよく使われているセリフにはだいたい元ネタがあるものだが、流用されすぎて実際はもっと前に使われているのに、二次三次利用のものが元ネタだと誤解している時がたまにある。
今こうして調べて初めて原典に突き当たると、妙な感慨があった。
知識のアップデートがここに行われたわけだ。とは言えこの知識を披露する場面はそうそうなさそうだが。
改めて、知識は荷物にならない。脳は知識をどれだけ詰め込んでも大丈夫なほどの保存領域がある。もちろん覚えたことは忘れるし、生きているうちに世界中の知識を網羅するのは不可能だ。そんな当たり前のことはさておき、博識であることはそれだけで尊敬に値する。
知識の使い方ということで思い出したことがあった。それは小松左京のことだ。
そこにひとつの知識が転がっていた場合、ぼくとか並みの作家とかは、これが何かのアイデアにならないかと考え、それまで仕入れておいた他の知識の中へそれを加えたり、役に立たないと思って捨てたりするのだが、加える場合はその知識を他の知識と意識野の同一の平面上へ置いておき、できるだけ見渡せるようにしておき、とりたてて整理はしない。(中略)ところが小松左京はこれをすべて、テーマを敷衍するための材料として長持へ整理する。「長持」という字の通り、整理した方が保存がきくわけで、いつまでも記憶していることができる。(中略)ぼくには小松左京の現在の記憶量の多さが、そう考えることによってやっと少しだけ納得できるのだ。
――筒井康隆が『小松左京自選短編集さらば幽霊』に寄せた解説より抜粋
筒井康隆の小松左京評を介さなくても、氏の小説を読めばその博覧強記ぶりは垣間見える。『日本沈没』も、今の世の中に予言めいたものをくれる『復活の日』も、膨大な知識とそれを適切に用いる技量があってこそ成立した小説だと言えるだろう。また久しぶりに読んでみようか。
たまにはコラムっぽいことも書いてみる。
今日はここまで。
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