フランスワインを巡る旅 シャトーヌフ=デュ=パプで、歴史を垣間見る
「シャトー・ヌフ・デュ・パプ、法王のワイン」
直訳すると「法王の新しい城」という意味だと思うけど、どんな由来があるんだろう。
いったい、どんな町なんだろう…
ワインの勉強中、ときどき中途半端なフランス語の知識が私の学びを阻んだ。
シャトーヌフ=デュ=パプ。
ワイン愛好家にはおなじみかもしれないが、そうでなければこの町に触れる機会すら少ない気がする。
私もワインを学び始めてから初めて、この町のことを知った。
そしてこの地も、今回の旅でぜひとも行きたい地域のひとつとなった。
◆
ニースに着いた旅の初日は、イエールの近くにある友人のお宅に泊めてもらった。
そして翌日は、散歩がてらカフェへ。
自宅からカフェまでの間、とても人懐こい猫がとことこついてきた。
この界隈は、古い石造りの家がぎっしりと並んでいる。
窓はカラフルに塗られ、陽気な感じ。
時々、せみやてんとう虫など鮮やかな陶器のオブジェが、壁を飾っている。
道は石畳かコンクリートで、時々割れ目があって転びそう。
区画整理のしようもなさそうなくらい、迷路のように入り組んでいる。
そして壁が薄いのか、それとも窓が全開だからかわからないけれど、いたるところで家から生活音や人の声が漏れている。
カフェに入り、苦いエスプレッソで目を覚ました後、車で北西へ。
フランスワインを巡る旅、2日目の始まりだ。
◆
朝から車で走ること200km。
200kmは、かなりの距離だ……。
宿からしばらくはプロヴァンスの広大なブドウ畑の中を車で進む。
友人によると、小学生くらいの頃、夏休みなんかにはこの界隈のぶどう畑によく手伝いに来たらしい。
しばらくすると、協同組合のワイン生産工場を通り過ぎた。
この辺りはぶどうの生産者がぶどうを持ち寄り、共同でワインをつくっているようだ。
開けっ放しの車窓からは、ぶどうの香りが漂ってきた。
« Ça sent bon. »
多分この旅でいちばんよく耳にしたフレーズ。
ぶどうのもろみの、いい香り。
スーパーでガソリンを入れ、水などを買った後、国道に乗ってひたすら走る。
国道は片道3車線で、みんなものすごいスピードで走っている。
ついうとうとしていたら、次第にシルエットが独特なサント・ヴィクトワール山が遠くに小さく見えてきた。
ひたすら車を走らせる。
そしてようやくこの山を横切るころには、あたりは雑木林のような一帯に入る。
その後もしばらく走ると、今度は山肌が白っぽい感じになってきた。
ヴォークリューズの自然の多様性のうちの、ほんの一部だ。
シャトーヌフ=デュ=パプの手前のアヴィニョンに入る。
いったん車を停めて休憩し、食事をとることに。
レアルという、この町の食材庫のような市場を物色したあと、市街地へ。
平日のアヴィニョンは観光客らしき人は少なく、とても長閑だった。
ここもフランスの他の地域同様、街並みがとても古い。
まるで時が止まっているかのように感じた。
街角のレストランで軽食を取る。
ここではワインは我慢した。本場のワインが待っているからね。
◆
食事の後は少しだけ車を飛ばし、お目当てのシャトーヌフ=デュ=パプへ。
アヴィニョンの市街地、住宅地を抜けると、あたり一面はぶどう畑が広がる。
9月の中旬は南仏同様、ここでもときどき、穫れたての黒ぶどうを積んだトラックに遭遇した。
このあたりがプロヴァンスと異なるのは、ドメーヌの建物が立派なことだ。
プロヴァンスはどこでワインを作っているのかもよくわからないくらい、素朴な印象が強かったが、こちらは個々のワイナリーが立派な醸造施設を構えている感じ。
道路沿いには糸杉が縦に細く伸びていて、優雅な並木道をなしていた。
また、ぶどう畑のいたるところに大きな丸い石がごろごろしていた。
これこそこの地の特徴のひとつだ。
ローヌ川の上流からごろごろと削られながら流れてきた石が、南部には堆積しているのだ。
ワインの勉強で学んだことを実際に目にすることができてうれしかった。
それにしても、こんな姿は日本でも、ニースでも見たことがない。栄養が行き届かなそうな気がするけど、ぶどうはちゃんと育つのね。
◆
ぶどう畑の広がる道をひたすら進むと、お目当てのシャトーの看板が見えてきた。
今回の目当ては、シャトー・フォルティア。
シャトーヌフ=デュ=パプには、いくつものワイナリーがある。
ぜひとも訪れたいワイナリー数件にアタックしてみたが、収穫時期で訪問を受け付けていないワイナリーが多かった。
なかには返事さえ来ないワイナリーも。
そんな中、唯一事前予約できたのがこのワイナリーだった。
残念ながらここも醸造見学は叶わなかったが、試飲と建物外の畑周りの散歩は自由にできるとのことで、テイスティングの予約をしておいた。
レセプションには既に予約客がいた。
私たちの他に、南仏からワインを買いに来たエレガントな女性がひとり、そしてカリフォルニアからやってきたというカップル。
どうやら私たちが来るのを待っていたようだ。
試飲の案内人は若いお兄さんだった。
英語圏のお客さんもいるので、フランス語と英語を交えての説明が始まった。
シャトーヌフ=デュ=パプのワインは、他の地域に比べ日本であまり見かけることがない。
そして旅先で出会ったフランス人にシャトーヌフ=デュ=パプについて話しても、いまいちピンときていなそうな反応の人が多かった。
しかしこの地こそ、2つの観点からフランスワインの歴史には欠かせない地域だ。
1点目は、アヴィニョン捕囚にさかのぼる。
中世のある一時代、カソリックの法皇が2人存在する時代があった。そのうちのひとりが先ほど私たちが休憩したアヴィニョンで、2人体制が何代か続いた。
この法皇が夏の避暑地を求めた先が、このシャトーヌフ=デュ=パプだった。
もともとぶどうの栽培文化があったようだが、これを機にワイン作りはさらに盛んになった。
法皇のためのワイン造りともなれば、おいしいワインを作ろうと皆頑張ったことだろう。
ちなみにこの地に滞在した法皇のひとりクレマン氏はボルドー出身で、ボルドーのグラーヴ地区には今も「パプ・クレマン」というシャトーが存在している。
そして2点目は、この地でAOCというフランス独自の原産地統制呼称制度がはじまったことだ。そしてこのワイナリーの当主のお祖父さまのル・ロワ男爵こそが、AOC創設に尽力した人物だ。
レセプションにはル・ロワ氏の写真や彼の功績を讃える資料が飾られてあった。
ここで書くまでもないかもしれないが、AOCに指定された地域は品種や収穫方法など、栽培や醸造に条件が課されることになる。
19世紀、この地では他地域の安っぽいワインが持ち込まれ、産地を偽装して売られたり、地域内でも質の低いワインの流通が横行した。
彼は地元の生産者たちに働きかけて、自分たちのワインを守るべく組合を結成し、自分たちのワイン作りのルールを整理し、高品質なワインだけをシャトーヌフ=デュ=パプと名乗れるような法律を作るよう国にも訴えた。
その働きかけに地元の議員も動き、AOCが法制化され、シャトーヌフ=デュ=パプと他のいくつかの地域が初めて原産地呼称が認められた。
また、この組合がモデルとなった、原産地呼称を管理する組織、INAO(フランス国立原産地・品質研究所)が誕生。彼は組合に引き続いてこの研究所の所長を務めたのであった。
…あぁ、うんちくが長くなってしまった。
このワイナリーでは、5種類のワインを試飲させてもらった。
まず、この地には珍しい白。
そしてここから、赤。
まずはスタンダードなTradition、キーワードはGSM。
次に、スタンダードよりちょっと格上のCuvée de Baronの2020年
グルナッシュとシラー。
そしてRéservée
シラーとムーヴェードル
最後にそしてこのワイナリー自慢のSecret de Terre(その名前「この地の秘密」)
GSM。
この地の代表な品種、グルナッシュ、シラー、ムーヴェードルの頭文字をとってこう呼ばれる。
ちなみのこの地のワインボトルには、表面に教皇の紋章が型押しされている。
先行者利益というものか、シャトーヌフ=デュ=パプで栽培が認められている品種は13種類と多岐にわたる。
このことが原因だろうかわからないけれど、よく言われるのが、シャトーヌフ=デュ=パプのワインは、特徴がつかみにくいということだ。
ここのワインも、この地の主要品種、「GSM」を使ったワインがメインだが、エチケットによって配合が異なる。割合が異なると、こんなに味が違うのかと、テイスティングで感心した。
さて、一緒にテイスティングした友人は、毎日ワインを飲んでいる父親の誕生日にと、最後に試飲したワインを買っていた。
試飲後は畑内を散歩した。
このワイナリーには、ニースのシャトー・ベレ同様、敷地内に遊歩道が整備されている。
せっかくだから歩いてみたのだが、直射日光が強すぎた。肌に突き刺さるような感じで、痛いくいだった。
これだけ強い光を浴びているのだから、ぶどうも成熟するのだろう。
ここにはぶどうやオリーブの木の他にも、アーモンドの木や季節外れの黒すぐり、そして名前を忘れてしまったハーブが実をつけていた。
畑沿いを歩いていると、遠くに小高い丘があり、丘の上に城壁のような大きな建物がそびえている様子が目に入った。
他にもボーカステルなど外観だけでもみておきたい老舗のワイナリーがあったのだが、丘を登り、城壁の近くに行ってみることにした。
丘の中腹で車を停めて、てっぺんまでは自力で登った。
歴史の残骸というと語弊があるかもしれないが、そこには感動的な光景が待ち受けていた。
とても美しい。
この残骸から見渡す光景は中世そのものだ、ちょこちょこ動いている車や機械を除けば。
雄大なローヌ川に、歴代の人たちが大切にしていた古い建物、そして見渡す限りのぶどう畑。
ここに別荘を建てた教皇は相当ワイン好きだったに違いない。
◆
フランスのワインを知ることは、フランスの歴史を知ることであり、地理を知ることであり、またこの国の社会や文化に触れることだ。
しかし私はまだ、表面的なことしか知らないのかもしれない。
丘の上からそんなことを考えていたら、なんだか目がうるっときた。
もっと、シャトーヌフ=デュ=パプの多様性と奥深さを追求しようと思った。
Château Fortia
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