ラーメンを食べて初めて涙した|完結編【0からラーメン】
さて、ニワトリの下準備も終わったことなので、ついにラーメンの調理に入りたいと思う。
おそらく今までの記事を読む間に、数杯のカップラーメンが出来上がっただろうが、丁寧すぎる暮らしを心がける私たちは三記事目にしてようやく調理に入る。
はじめの記事で述べた通り、これから使う素材はすべて自らの手で集めてきたものだ。
もちろんラーメンのチャーシューやスープに使うニワトリも卵から孵し、さきほどしめたところだ。
そして元プロの料理人の指示に従い、訳も分からず集めておいたニワトリを飼っていた庭の草と普段の飲み水(地下水)を持参しキッチンに集合。
まさかあの雑草と水があんなロマンチックな演出になるとはこの時まったく想像していなかった。
一年以上準備をしてきたラーメンの調理が今始まろうとしている。
その喜びと同時に緊張感が張りつめる。
準備は整った。
いざ尋常に調理!
ニワトリ
まずは先ほどしめたニワトリを解体していく。
解体は料理人にお願いし、ニワトリは手際よく部位ごとにばらされていく。
麺切り用なので多少使いにくくはあるが、無理を言って包丁は越前打ち刃物の職人さんのもとで自作したものを使ってもらった。
綺麗に肉とガラにばらされた。
レバーや砂肝などの内臓類は牛乳に漬けることによって臭みが抜けるらしい。内臓に牛乳をかけるというダイナミックパフォーマンスに初めは驚愕したが、確かにレバーは特有の臭みが少ないように感じた。
ちなみにこれらの素材はラーメンの具材には使わず、別に調理したので先に味の感想を言っておくと、レバーはまったく癖がないのに、驚くほどの濃厚な味わいと旨味があり、砂肝は弾けるような歯触りと若草を思わせるような風味と鶏のパンチのある味を併せ持つ独特な味わいだった。
チャーシュー+草
ここで草を出すように指示される。
訳も分からず集めた草。一部は事前に集め、乾燥させておいた。
これを炭火の上に乗せるよう指示される。
ちなみによく見ると炭火のコンロはシンクの中にある。
建物の管理人さんに「安全だからここでやるといい」と助言を受けた結果だが、個人的に非常に新鮮な体験となった。
確かに火災の面では安全ではあるかもしれないが、なんせ屋内なので火災報知機が鳴らないか、酸欠の問題、そして同建物に住む居住者が燻製になってしまうのではないかと気が気でなかった。
おいしそうなチャーシューが出来上がってきた。
ここで朝集めた草についての種明かしが調理人からされる。
なんとニワトリが普段食べていた草で燻製にすることで、あのニワトリの味を究極にそのまま味わおうという粋な計らいだったのだ。
恐るべしプロの料理人。大変うれしい心遣いでした。
スープ+水
もちろん集めた水も同様の理由によるもの。
普段ニワトリが飲んでいた水でニワトリを煮込んでいく。
沸騰するかしないか程度の火加減でガラを中心に炊き、丁寧にニワトリの旨味を抽出し清湯スープを作っていく。
表面に浮かんできた鶏油は別皿に取っておく。
麺作り
ラーメン作りの最重要かつ最難関の麺作り。
ここは料理人の手を借りずに自らの手で製麺をしていく。実情はラーメン屋をやっていたこともあるという料理人曰く「俺、人力で製麺はやったことないから頼むわ!」という流れである。
それは企画当初から言われていたことなので、この一年間機会を見つけては麺台と麺棒と麺切り包丁の製麺三種の神器で製麺を続けてきた。
失敗に失敗を重ね、そのバリエーションの枚挙には暇がないが、時々は成功していた。
直近ではパスタマシーンという便利器具にうつつを抜かしていたが、数少ない成功例を思い出しつつ製麺に取り組んでいく。(今思えばパスタマシーンの快適さに後ろめたさを感じていたのは、感覚がどうかしていたように思う。)
麺に必要なものと言えば、まずは小麦粉だ。
中華麺に適した小麦粉は一般的に中力粉と強力粉の間のようなので、畑では中力小麦と強力粉麦を1:1の割合で育て、製粉後ミックスした。
webで調べた情報によると、耕作した畑の面積からはラーメン10玉分くらいは最低でも取れるようだったので余裕しゃくしゃくだったが、このビニール袋に収まるその姿からは多く見積もっても一玉強といったところだろう。
失敗は許されない。
そしてこの小麦粉に比重1%分の塩を加える。瀬戸内海で縄文時代の方法に倣って作った藻塩だ。
今になって思うと、こんなものを悠然とバックから取り出してラーメンを作り始める人間は控えめに言って怪しさ犯罪級である。
作業は順調に進んでいるが、このままだとうどんになってしまうので「かんすい」を加える。
耳馴染みのない方もいると思うが、中華麺独特の食感と色味をだすのには必要不可欠な素材である。
きっと想像がつかない方も多いと思うので、画像で示したいのだが残念なことに見つからない。
気になる方は実際に作った過程を記したこちらの記事でご勘弁願いたい。
要するに海藻や木草を燃やした灰の水溶液の上澄みを煮出したアルカリ性の物質である。
ちなみに先ほどの藻塩は全く同じ作り方なので、かんすい不要説もあったが念のため精製した。
そしていよいよ麺作り。
小麦粉に1%ずつの塩とかんすいを入れ、加水率30%を目安に水を加える。
それらを混ぜてある程度形になるまでこねる。人力だと加水率30%だとまとめるのにかなり力がいる。特に気温が低く乾燥した冬場だとかなり大変だ。
必要なのは気合、もしくはパスタマシーンを使う妥協。
袋にいれて踏む、踏む、踏む。
ある程度踏んだら、折り返したりひっくり返したりして満遍なく力が加わるようにする。
製麺+包丁
踏んでひとまとまりになったら、打ち粉をして麺台に乗せる。
この時点で明らかに違和感がある。
今まで試作で現れていた明るい発色の黄色が見られないのだ。
しかしそんなことを憂えていても仕方がないので、次の作業に進む。
麺棒で伸ばしていく。
気温が低いことももあり生地が硬いので、体全体で押さないとなかなか伸びない。
強い負荷を受け続ける手首が悲鳴を上げる。
ある程度伸びたら重ねて。
切っていく。
ここで使う包丁はもちろん鉄から打って自作したものだ。
この包丁は菜切り包丁といった種類で本来は麺を切るためのものではない。ではなぜこの包丁を作ったかというと、麺切り包丁を作りたいと鍛冶屋さんにお伝えしたところ、制作の難易度が高く制作中に命を失う危険性があるということで、比較的形が近い菜切り包丁を作ったという経緯なのだ。
ただし切れ味はほとんど力を入れずに人参が切れるくらい鋭く、サクサクと小気味よく麺が出来上がっていく。
製麺完成。
見てもらってわかる通り色は完全に蕎麦だ。
なにがどうしてこうなった。
そんなことはその時は知る由もないが、この色が問題で一つ事件が発生した。
通りすがりのおじいさんが昔取った杵柄ということで、親切にも蕎麦の切り方のレクチャーを試みたのだ。
記事は淡々と書いているが、実際のところ畑を耕して育てるところから始めた小麦と、瀬戸内海で作った塩と、寒空のもと灰にするため長時間の忍耐と尽力を要したかんすいの結晶を、危険承知で鉄から打った包丁で、一年かけて身に着けた麺切り技術で製麺しているのだ。実際は初恋の相手に告白する少年のごとくセンシティブで気持ちは昂っている。
おじいさんの気楽な「どれ包丁を貸してみなさい」という言葉に刺激され、望み通り包丁を喉元にプレゼントしようかという衝動に一瞬駆られたが、彼が老婆心で言ってくれていることを理解することはできたので、思いとどまった。
そもそも蕎麦みたいな色の生地を蕎麦みたいに切っている私が悪いのだ。
いきり立つ気持ちをかろうじて抑えながら、冷酷な声でご老人に「いいえ、結構です」と言い放った。
おじいさんの気分を害してしまったかもしれず申し訳ない気持ちだ。
彼は最近の若者はキレやすいと思ってしまったかもしれない。
現実に起きたこととしては間違っていないが、正確には最近の若者は0からラーメンを作っており、その製麺中は気が立っているということだと理解していただければ幸いだ。
盛り付け
さあ、いよいよ盛り付けだ。
まずは器に塩を入れ、別にとっておいた鶏油を入れる。
もちろんこの器も粘土から手びねりして焼いたものだ。
そこに鳥の旨味が凝縮した清湯スープを注ぐ。
そしてゆでておいた麺を投入。
調理人「完全に蕎麦じゃーん」
最後にチャーシューをのせて
完成!
目を凝らすと器の下にお箸が見えるが、これも竹林を伐採して作ったものだ。
そして実食。(二杯分できたので、器は先ほどまでの画像とは違うが中身は同じ。)
一年掛けて0から作ったラーメンはどんな味がするのか。
まだ誰も知らない。
その味
無意識に心の底から「頂きます」が溢れ出る。その「頂きます」にとても純度の高い感謝が含まれていることを感じる。
口にした瞬間、制作の過程で出会った色々な景色が一斉に重なって頭の中でフラッシュバックして、自然と涙があふれそうになり、のど元に熱いものがこみあげる。
なんの景色が見えたのかはその時も今も分からない。
藻塩を作った時の瀬戸内海の海があったような、鶏が生まれた時の姿とさっきまでの走り回っていた姿もあった気がする。
陶芸をしていた時の部屋や利尻の海や小麦の畑。
なんだか全てが一気に頭の中へ一瞬にして同時に浮かび上がったような感覚。
気づかぬうちに涙腺が緩み、「ありがとう」と言うより先にその気持ちが全身に満ちた。
この企画を始めなければ、スープも麺もチャーシューも器も包丁も、今この場にいる人たちも、関わってきた大勢の人たちもこの場にいなかったんだという不思議な気持ちと、出会えて本当に良かったという気持ちが混ざり合う中で次の一口を味わう。
チャーシュー
味は今まで食べてきたのはなんだったのかというくらい美味しかった。
思い出補正がかかっていることも確かだとは思うが、噛むたび肉から出てくる鶏そのもののおいしさは、日の光を浴びて、庭の草や虫を食べ走り回っていた健康的な生活から生まれた面もあるのかもしれない。
スープ
金色に輝くスープには塩だけしか味付けがないとは思えない重厚感がありつつ、すっきりとした味わい。
麺
見た目は完全に蕎麦だが、味はラーメン、なのか?
正直分からない。硬く引き締まりコシがあり、もちもちとした歯ごたえ、そしてガツンとくる小麦の風味。
材料的には正真正銘の中華麺なのだが、もうこれは独立したなにか違う麺なのかもしれない。
とにかくうまいことに変わりはない。
以上シンプルな素材ではあるが、ラーメンを0からラーメンを作り、そして食べた。
これにて完成である。
終わりに
ついに新宿高島屋4階での世間話が現実になった。(この話はまた別記事で書こうと思う。)
馬鹿げているけれど、実現不可能かと思われたものが達成された。
言い出しっぺの自分ですら当初はまったく達成までの道のりは見えていなかった。しかし一人二人と仲間が集まり、畑が手に入り、鍛冶屋さんと知り合い、見ず知らずの人の庭でニワトリを飼うことなど全く想像がつかなかった。
どれだけの繋がりができたことだろう。
どれだけ豊かなことだったろう。
先述の通り自分が持てるものなどなにもなく、「0からラーメン」が成功した要因はすべて周りからの恵みによってまかなわれたものだ。
とにかくいい人たちに会えた。会う人会う人見返りを求めずに与えてくれる人ばかりだった。しかしそれは人に限らず、小麦も畑もニワトリもそうだったのだと思う。
今回のことをいい経験だったと終わらせることもできると思う。
しかしやはり貰いっぱなしではよくないというのが人情だ。
ちゃんとお返ししたい。もしくは周りに還元していきたい。
この健全な負債感を打破していくために、これから私たちは活動していくことになる。
その方法はまだ模索中だが、できることから一つずつやっていこうと思う。
このnoteでの執筆もその一つだ。
自分たちが得たものの一端でも読んでくれた方に感じ取ってもらえたなら、試みは成功だろう。
その手ごたえは書いた私にはわからない。ある種の義務感の中、誰かに届くことを祈り、自身にでき得る限りの文章を空に向かって投げかけている。
もし届いた人がいたのであれば、「スキ」でもコメントでもなにかリアクションを貰えれば非常にうれしい。
0からラーメンの長い紀行文にもここで一度筆を置こうと思う。
これからもTシャツやカルボナーラの記事をあげていくので、お付き合いいただける方はフォロー頂けると幸いです。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ではまたどこかでお会いしましょう。
言い出しっぺ兼代表のケイスケでした。
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