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能動経済#87 「ポジティブ無敵の人」とは?

私が最近YouTubeライブで使い出した「ポジティブ無敵の人」という言葉に反論がきた。「FPもとこは子どももいてチャンネル登録者も1000人いて、生活保護受給者なので無敵の人ではない、軽々しく無敵の人という言葉を使うのは本物の無敵の人(山上徹也や青葉真司、またそれ未満の弱者男性)に失礼だ」というのがだいたいの主張だ。(それにしても何度アルバイトをして保護費を返還しているという話をしてもそちらの説明はちっとも伝わらない。かくも人は求めている情報しか受け取らないものか)
私がそのような言葉をYouTubeライブのタイトルに使い出したのは最近始めた【勉強配信8時間】というもので、半年後の国家試験不動産鑑定士を受けるための勉強を、経済好きの私がなるべく楽しくやっていこうというのがテーマだ(最近「眠い、しんどい」という愚痴が多くなってきたのは反省だが)。

無敵の人とは昨今「失うもの(家族や恋人、仕事、友人、技術、趣味など)が何もない人」が無差別殺人やテロを起こした時、犯人を指して「あー、また無敵の人か」などとカジュアルに使われるようになった言葉だ。
しかしそもそも「無敵」とは「誰も勝てない」というポジティブな状態を指していた。私は昭和生まれの山上世代だが、「無敵」と聞くと、ファミコンのスーパーマリオで、スターを取った時にマリオが点滅して「無敵状態」になった姿が頭に浮かぶ。今時の言葉で言うなら「無双状態」みたいなことだろうか。

私から言わせるとそもそもポジティブだった「無敵の人」という言葉があとからネガティブな意味に変わってしまったという印象だ。その変わってしまった「無敵の人」の意味をまた元のポジティブな意味に戻したいと思った。少なくともネガティブな意味とポジティブな意味、両方同等ぐらいには戻したい。
それには「無敵の人」が社会的意味が付け加えられたように、ポジティブな社会的意味を「ポジティブ無敵」の人にも付け加えなければならない。
どんなアンチも反対意見も吹き飛ぶポジティブな無敵の人。
私はそれを「好きな事をクソ真面目にやる人」としてみた。
好きな事をしている人に「そんな事しても意味はない」とか「上手くいくわけない」という批判は通じない。好きでやっているからだ。
そして真面目に何かに取り組む人を批判すると、批判した人が悪者になってしまう。

今私が思いつく「ポジティブ無敵の人」は今のところそんなところであるが、もっとさまざまな意味や状態はこれからも考えられると思う。社会やネット社会にもっとポジティブで能動的な言葉を増やしていきたい。そうすることで不安を少なくして、、社会を少しずつ良くしていきたい。
これが能動経済的社会の変革の仕方なのだ。山上徹也や青葉真司には負けられない。
読了お疲れ様でした。またお会いしましょう。