マーケティングの新潮流~エモーショナル・レスポンス・マーケティング10

2 情報やサービスにおけるエモーショナル・レスポンス・マーケティングの手法

◎3つの手法

次に、「新商品」である情報や「コト」に関わる商品において、いかに売り手が相手を思考停止に陥れていくかという解説をしよう。

具体的に「新商品」とは、情報商材やノウハウの提供、「痩せた自分が手に入る」ためのエステや整形などのサービス提供、ゲームや映画などの娯楽、「明るい自分を手に入る」ための自己啓発セミナーなども、この類に入る。

このような新商品の現代的な売り方としては、3つある。それは

①「有益な暇つぶしであることを強調する」

②「人格を提供する商品であるということを強調する」

③「経験を強調する」

という3つのキーワードだ。

この3つのどれかに当てはまった新商品であれば、人々はあまり多くを考えずにお金を払う。中毒性を持ち、①~③に当てはまるもの。これが「新商品」におけるエモーショナル・レスポンス・マーケティングの典型である。

◎「有益な暇つぶし」にお金を払いたがる人たち

まず一つ目の、「有益な暇つぶし」に人はお金を払いたがる、について説明しよう。

GREEという会社がある。元々はソーシャルネットワーキングサービス(SNS)で頭角を現した会社で、同業他社のmixiがその分野で急成長するなか、GREEは携帯電話用ゲームを主力商品として方向転換した。そのGREEは現在、恐るべき利益率を保っている。その率は50%。実に売上高の半分が、利益として残っていることになる。

もちろん年によってばらつきはあるものの、中小企業の平均経常利益率は2%といわれているし、上場企業にしても5%から7%を出すのがせいぜいだ。それと比較すればGREEの50%が、どれだけ凄い数字かが分かる。

これはGREEだけではない。同業他社のモバゲータウン(ディー・エヌ・エー)の利益率もきわめて高い。さきほどまで説明してきた「旧商品」の利益率とは比べる意味がないほどだ。では、各社がどうやって儲けているか。要するに、利用者を「蟻地獄」にはめる。この「蟻地獄」という言葉は、通常、悪い意味で使われることが多い。ただ、私はかなりうまくできたビジネスモデルだと考えてるため、肯定的な意味で使っている。

すでにご存じの方も多い通り、オンラインゲームは、最初は無料で提供される。それはまさに「フリー」のモデルと同じく、まずたくさんの人に遊んでもらうことを目的としている。そして、多くの人の中からお金を払ってくれる人を探し出す。そのための仕掛けがアイテムだ。アイテムを買わせることによって、利益率50%を実現している。

たとえば釣りのゲームであれば、たくさんの魚を釣ることができる釣り竿や釣り針のアイテムを売る。格闘ゲームにおいては、ボスキャラを倒すことができるほど強力な武器を売る。ゲームにハマっているユーザーに、そういうアイテム買わせる。

もちろん、これと似たようなモデルは、旧商品にもある。たとえばひげ剃り。まずひげ剃りをただで配る。そして替え刃をかなり高い金額で売るわけだ。最初は無料のひげ剃りを使った人が、替え刃を買うことによって、会社の利益に貢献していく。それは、電動シェーバーでも同じだ。このような、まず無料で配ってから有料のオプショナルサービスをつけて利益を確保するというフリーのようなモデルは、これまでもあった。

しかし、このGREE等のオンラインゲーム提供サービスが、ひげ剃りなどと異なった面白い点が2つある。

まず、GREEの扱う商品は非常に魅力を持ち、中毒性が高いということ。ひげ剃りにはまってしまう人はいない。もちろん、いいひげ剃りだと思って替え刃を購入し続ける人はいるだろう。しかし、魅力的すぎてはまってしまうということはありえない。

一方、ゲームは一回やってしまうと、その魅力にどんどん取り付かれてしまう。このように中毒性の高いゲームを商品とし、無料配布で人々をはまらせることに主力を置いたのが面白い。ひとたび夢中にさせてしまえば、人びとは中毒患者のようにその商品に対して次々とお金を払う。

個人的な話だが、ゲーム「TowerMadness」にはまってしまったことがある。これはGREEではなく、iPadやiPhoneで遊べるゲームだ。迫り来るエイリアンから十匹の羊を守るというすごく単純なゲームだ。この概要を聞いただけでは、なぜ私がはまってしまったかがわからないだろう。実は私も最初にこのゲームの内容を聞いたときに、面白い理由がわからなかった。

しかし、何面かクリアすると、非常に難しい、何度やっても解けない面にぶち当たる。その面をどうしても解きたい、どうしたらいいんだろうとつい考えている自分がいた。「どうやったら解決できる?」。私の生活はエイリアンと私の闘いでいっぱいになっていた。すると、ゲーム画面の隣に「購入すれば多くの敵を倒すことができる強力な武器」が表示された。

そこでついそれを買ってしまう。そしてその面がクリアできると、すごく嬉しい。実感として喜ぶことができる。

さらに次の面をクリアしたら、これ以上の面をプレイするためには、さらにお金を払わなければいけない。もちろん、はまってしまった私はそこで払うしかなかった。

オンラインゲームの、商品としてのもうひとつの面白い特性がある。それは、人間の闘争本能をくすぐっている点だ。闘争本能というのは、戦争や権力闘争、あるいは社内の出世競争のようなものばかりではない。

自分が今やっていることで、何とか勝ち残りたい。今やっているゲームというものを、絶対クリアしてみたい。コンピューター相手だとしても、勝ちたいという感情が非常に強く起きてしまう。人間の闘争本能をくすぐるということにおいては、このゲーム、そして、アイテムを買わせるというビジネスモデルは、ぴったりだった。

人間というのは与えられた所与の状況において、最善を尽くそうとする。最善を尽くすことが、DNAに刷り込まれているために、一度始めたゲームでも、クリアしないと何か自分が負けたような感じになってしまうのだ。そうしないと、損した気分にもなってしまう。

前述した「旧商品」においても、セールスマンが客に時間を使わせることによって、客はその時間無駄にしたくないという意思が働く、と述べました。これはゲームに関しても同様で、クリアしない限り今までの自分の時間が無駄になってしまうという意識が働くわけだ。

先日、あるテレビ局から、商品に対して支払ったお金の元を取るにはどうしたらいいか、という特番に呼ばれたことがあった。そのときにテレビ局側が用意した商品として、「ゲーム」があった。台本には「購入したゲームの元を取るためにはクリアまでしないといけない」と書かれてた。某芸能人の方が出した意見だったようだ。

本来は、ゲームに対して支払ったお金は、原価の用語で「サンクコスト」(埋没した原価)に属する。たとえばあるゲームソフトに対して5000円なりを支払って購入したら、もうそのお金は戻ってくることはない。だから、買ったあとに、つまらないゲームだと中断しても、あるいは解けないと分かってそのゲームをやめても、損も得もない。

しかし、やはり人間は何らかの対価を払ったものに関しては、最後までやらなければいけない、あるいは最後までクリアすることで、自分が払ったお金の正当性を得たい気持ちになる。逆に、中途半端で終わらせるというのが、人間は非常に苦手だ。

やや脱線するけれど、勉強法として私が以前から行っているやり方は、たとえばテキスト1章分を終えることができたとしても、わざと7割、あるいは8割くらいのところで、中途半端にやめてしまうものだ。

すると、その中途半端に終わった感じが気持ち悪く、どうしても続きをしないといけないという義務感が頭に自然にインプットされる。そうすることで、次回の勉強をスムーズに開始することができる。

小説家でも同じようなことを言っている人が少なくない。1章分、あるいは区切りがいいところまで書いてしまうと、なかなか次にパソコンの前に座っても、続きが書けない。スランプに陥ってしまう。一番いいのは、区切りのいいところまでを書くのではなくて、逆に、区切りの悪いところ、中途半端なところで終わる。そうすると、続きをかなりスムーズに書くことができるのだ。有名なところでは森博嗣さんなどが、そのような手法を実践しているようだ。

そのように、人間というのは、中途半端で終わってしまうということに、ものすごく拒否感を持つ。それを継続できるのであれば、ある程度思考を停止してしまっても、その続きをしようとする。まさに自動人形として、身体、あるいは脳というものが勝手に動いてしまうのだ。

◎「人格の提供」を強調してお金を払わせる

まず、荻窪でクリニックをやっている人の話を紹介したい。今、隠れたブームになっているのがカウンセリング業界だ。カウンセリングといっても多様な種類があるものの、流行しているのは、仕事でちょっと心を病んでしまった人に対して1、2時間ほど話を聞いて、少しでも気をラクにするものだ。

中央線沿いにある精神科、あるいはカウンセリングのクリニックでは、連日連夜満員になっている。1時間およそ2万円。実働8時間くらいですから、1日で16万円ほどの売上になり、ほとんどフル操業している。心に関する高貴な仕事の収益計算をするのも野暮だが、20日間で320万円。1年間で4000~5000万円もの売上げになる。また、その手のクリニック、精神科のカウンセリングが増えている。

これは後述するものの、ここにはエモーショナル・レスポンス・マーケティングが隆盛する背景となっている現代人の自信喪失、不安がある。今の人格のままでやっていけるのだろうか。目まぐるしく変わる環境に自分が対応できないのではないか。このままでは生きていけるだろうか。そのような、潜在的な不満や悩みが、クリニックに走らせる。

そういう人たちは、別の人格を提供してもらいたいと考えている。現代を強く生きるような人格を。人びとは心の底では「すべてのことは自分の心の持ちようしだいだ」と気づいている。どんな哀しいことが起きても、それはあくまで「事実」にすぎず、それをいかに解釈するかは自分にかかっている。

しかし、それが重荷になる。「哀しい出来事をあまり気にするな」と言われても、気にする人には役に立たない。出来事の解釈の責任が自分にあるのであれば、暗く考えてしまう自分をやはり責めるしかない。ゆえに、いまの自分ではない「別人格」を求めようとする。

若者の海外渡航ブームというものも、実は人格改造ではないか。いわゆる、自分探しの旅というもののブームというのは、それが、人格改造のためにあるのではないか。

先ほどのオンラインゲームのGREEにしても、別の人格を提供するという面がかなり大きいのではないかと、私は考えている。

意外なことだが、ネットゲームの愛好者、アイテムをたくさん買ってしまう人は、実は女性がかなり多い。たとえばキャバクラ嬢がやっている。あるいは、いい年をした社会人女性がアイテムを買っている。これまでオンラインゲームといえば、オタク男性がメインだった。しかし、たとえばGREEの会員の約半数は女性だ。しかも、課金サービスを利用するのは男性11・8%に比べて、女性は21・2%と、倍近い開きがある。

私は、この現象を「人格を提供する」というキーワードで説明ができるのではないか、と考えている。女性は、やはり社会的にまだ抑圧されている。男性並みには社会で活躍できていないと思っている。現実的には、その傾向がまだある。そのような状況で、これまで女性が走るのは資格試験だった。資格試験という何らかの称号、あるいは社会的に確立された地位というものを獲得することで、自分のアイデンティティを再確認する役割を果たしていた。

オンラインゲームのアイテムを買うというのも、実は同じではないか、と言ったら笑われるだろうか。ただ、オンラインゲームでアイテムを買うということ。それは、まさに、自分につけられた称号と同じではないか。称号を、お金を出しても買う。そして、それを元に面を解く、ゲームをクリアする。

そうすると、何が待っているか。先ほどの説明では、無料ゲームから始まり有料アイテムを買って、そしてクリアする、それだけのように思われるかもしれない。しかし、もうひとつは全国の無数の人と繋がることができるという、コミュニティがある。すなわち、ゲームをやっている人同士で交流があるわけだ。

オンラインゲームは、コミュニティが大きな役割を果たしているように私には思われる。

SNSから始まったGREEがもっとも力を入れているのはまさにここだ。そこでは、攻略法や必須アイテム、裏技などの意見交換が行われ、そしてハイスコアでゲームクリアした人は、賞賛されている。要するに周りから認められる。

女性が周りから認められるためにアイテムを買っているというのは、やや言い過ぎかもしれない。しかし、これまで自分がもっていなかった社会的地位や活躍の場、そして自分が変身できるという願望をSNSのオンラインゲーム上で実現しようとしているのではないかと思うのだ。

簡単にいえば、人から褒められたい、認められたいという願望をかなえるために、ゲームクリアを目指す、そのために有料アイテムを購入する。意識的にやっているわけではなくても、どこかにそのような欲求が女性たちを課金アイテム買いに走らせているのではないか。そう思うのだ。

まだまだ女性が実社会で承認されにくい状況があるとしたら、それをオンラインゲームで解消しようとしている。この「女性」という意味は、象徴的な意味であり、これをマイノリティと言い換えても良い。これはやや言い過ぎだろうか。

ただ、自己啓発や新興宗教などもそうだが、人は「自分に別の人格を与えてくれる」と期待させるようなサービスにお金を払いたい。その特性はたしかにある。

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