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アイデンティティ政治がもたらす分断【NYガールズ・ダイアリーから学ぶ】

自分は女性である、有色人種である、レズビアンである、そのように自分のアイデンティティをある意味武器にして政治活動を行なっている人は多い。今回はそのようなアイデンティティ政治について話してみたい。

まず、アイデンティティ政治とは何か。

それは、人種、ジェンダー、民族、性的指向、障害など、社会に抑圧されている、特定のアイデンティティマイノリティに基づく集団の代弁をする政治活動のことを指す。目指すのは、公平性や平等性であり、これを行うことで、外部には分からない、独自の集団アイデンティティが増えていく一方で、他の集団との関わりや共有が急速に減ってしまうという点もある。

NYガールズ・ダイアリーでは、リベラル派であるキャットと、保守派であるエヴァが会話しているシーンで、「アイデンティティ政治は厄介」という言葉が出てきた。

エヴァがLGBTQ+の話をし始めた時、
キャットは「当事者じゃないのにLGBTQ+の話をしないで」と言った。しかし、実はエヴァもレズビアンであったが、「性的指向を明かさなくても議論はできる」とエヴァは言った。そのシーンがとても印象的だった。

近年、多様性という言葉が広まり、自分はどこに当てはまるのだろうと考えた人もいるのではないだろうか。決してどこかに所属していなければいけないわけではない。しかし、そこに所属していないとその話をしていいのか、その話を果たして理解できるのか、考えたことがあるのではないか。

例えば、自分がLGBTQ+に所属していないと、その人たちの気持ちが理解できないから、批判も肯定もしていいのだろうか、というように。アイデンティティ政治はそのような意識をもたらすこともある。

しかし、政治的な運動は、そのように自分のアイデンティティを明かさないと伝わらないことも多いように感じる。自分がLGBTQ+であるから、自分が移民であるから、自分が黒人であるからこそ、その問題を提起したときに、自分の発言力が高まるのではないか。

しかしそれと同時に、当事者以外が話すことも重要であり、当事者ではないからこそ理解できることもある。決して当事者だけが話すべきものではない。

それと同時に懸念されるのが、SNSでのコミュニケーションである。TwitterやInstagramで自分のアイデンティティについて発言すると、簡単に批判されることも多い。その影響で自分のアイデンティティについて明かさない人が増えているのではないかと感じる。

もちろんアイデンティティを言わずとも、議論することは可能であるが、マイノリティの声を聞き、公正な社会を作るためにも、アイデンティティ政治というものは一つの社会運動、社会活動として必要なものだと考える。


最後まで読んでくださりありがとうございます:)

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