道に迷うヤツ。

 どのような道を歩くとも いのちいっぱいに 生きればいいぞ。
相田みつを“にんげんだもの”より




 このタイトルで、しかも著名人の名言を引用する事から始めたので、さぞ高尚な事な事を書くのだろうという雰囲気を出したがそうではない。
 あと、文中にコロナがどうとか書いたせいで暫くはトップにコロナ関連の云々という文言が載るだろうが、コロナの話ではない。(仕方ないが少し怒ってる)


 今回は文字通り「道に迷う」事についでである。

 道とは、何の比喩でもない、普段我々が歩いているあの道である。


 僕はよく道に迷う。
 別に方向音痴という訳ではないのだけど、よく迷う。
……方向音痴の人の言い訳のようだが、本当に方向音痴という訳ではない。
 正確に言えば「意図的に迷子になっている」のだ。


 僕は20代の頃から散歩を趣味としている。時間や体力に余裕があったら半日歩いてる程度だが。
 実家で暮らしていた頃から、思い付きであちこちに出向いては田舎都会関係無く景色を見て歩くのが好きだった。自転車に乗っている時も同様である。

 しかし、上京当時は折しもコロナ禍の初手も初手だったので最初は気を付けながら、そして感染が拡がると共に、昨年10月の2度目のワクチン接種までの期間は自宅の最寄り駅からひと駅前で降りて歩く程度で基本的に自宅に引き篭もるようになっていた。

 ワクチン接種以後はある程度の安全を確保しながら、思い付きで各所を歩いては景色を楽しんでいる。


 ここから本題かつ先の繰り返しなってしまうが、僕はよく迷う。
 何故かと言うと、安易に脇道に入っていくからである。

 流石にちょっとヤバ気な雰囲気のある道に入っていくという無謀をする事は無いが、見知らぬ土地でギリギリ帰って来れそうな脇道に入っていくのだ。

 理由はとても単純で「景色を見る為」である。
 慣れない土地ではただただ普通にメインロードを歩いてるだけでも目に楽しいのだが、脇道というのはその地に住んでいなければ滅多に御目に掛かれないお店や景色、“オモシロ”があるかも知れない。
 それに、意外な脇道からメインロードの意外な所に出たとしたら「へぇ、こんな風に繋がってるのか」という“オモシロ”の発見に繋がるかも知れないからだ。


 そう、ただ“オモシロ”の為だけに道に迷っている。


 文字面で見ると変人のようだ。
 いや、実際、迷ってる最中は脳が直結しているかのようにポンポン呟いてしまっている僕のTwitterを見ている人は、僕の事を変人だと思っているかも知れない。別にどう思われても構わないけども。

 “オモシロ”の為、というと変人感が出てしまうが、これはある種の小旅行みたいなモノだと言い換えれば、納得してもらえるかも知れない。

 これは自分の住む土地でも同様で、普段何気無く通り過ぎている横道なんてモノがあれば興味本位で入ってみる。
 流石に他人の敷地っぽいトコには入りはしないが、行ってみたらば意外なトコに繋がってた時の楽しさは一入である。


 そして、僕は基本的に出先で地図アプリを見ない。
 流石に本当にヤバいくらい迷った時や、迷ってはいけない用事の際は出掛ける前や移動中も見るのだけど、そうで無ければ“オモシロ”の為に敢えて見ないようにしている。


 もし皆さんの時間に余裕があって、近くにもそういう“知らずの横道”的なところがありましたら、入ってみると楽しいかも知れませんよ。







……ここで終われば、そこそこのエッセイやコラムにはなっただろうがまだ終わらない。


 先にも二度程申し上げたが、僕はよく道に迷う。
 見知らぬ土地や、見知った土地の脇道に入るからだが、それ以外にも迷う場所がある。


 それは、何度も通い詰めた街のメインロードでも同様である。
 「やはり方向音痴じゃないか!」と指差して高笑いしている人もいるかも知れないが、そうではない。


 これに関しても意図的に迷っている。

 どう言う事かというと「敢えて街の位置関係を覚えない」のである。
 もっと言うと「位置関係を覚えるつもりが無い」というか。


 例えば、とても大枠の範囲なのだけど僕がよく行く渋谷。
 この街は原宿・表参道・青山・代々木・恵比寿と繋がっているという知識はあるものの、それが駅のどの出口から見てどちら方面にあるか、という知識が殆ど無い。
 もっと言うと、渋谷駅の周辺ですら、どの道を行けば思ったとこに出られるかよく分かっていない。

 流石に駅のどの出口から自分の行きたいお店に行けるかは分かっているし、その「どの出口」についても景色としては覚えている。
 しかし、その出口が西口なのか東口かというのをよく知らない。
 流石にハチ公口くらいは分かるし、先にも言ったように迷えない用事の際は地図を見る事もするが。


 これについてもちゃんと“オモシロ”の為である。


 例えば現実的にあり得るかどうか別として、日常的に通うお好みの街を6ブロックに分け、その6ブロックは全て何らかのルートで何処からでも他のブロックに行けたとする。
(ブロック1から2〜6の何れにも行けるし、他5ブロックについても同様)

 別に全部を通る必要も無いし、例えば1→2という最短ルートのみという事もあるだろうなど、多分日常的に使うルートは限られて来ると思う。


 しかし、
 敢えていつもと違うブロックを経由したり、
 知らないルートを探したり、
 ちょっと遠回りして全ブロックを通過したり、
 全ブロック通過するにしても順番を変えてみたり……。


 こういう事をしてみるだけで、普段通ってるブロックを普段と物理的に違う角度で見る事が出来る。
 そうすると、最初に話した横道の時のように今まで知らなかった道や景色、お店に会うかも知れない。
 そうして「知ってる街の知らねぇ部分」を見つけるっていう行為がべらぼうに楽しいのだ。

 そして「駅の出口の名前を覚えない」事により、敢えてブロック分けしたナンバリングをランダムに振り替えている感覚で楽しめる気がしている。
 あくまで、気がしている、という自己満足の範囲だけども。


 ただ、この「街の位置関係を覚えない」というのにも難点があって。
 例えば道中で気になったり気に入ったお店や景色があったとしても、次に辿り着けるかが分からないのである。
 メモを取ったりしたらば出掛ける前に調べたりできるかも知れないが、そうでなければまた探し直しという事になってしまう。

 だけども、そうやってまた探し直すという事も楽しみのひとつとなるのでいいのだ。


 色々長くなってしまったけど、最後にこういう“道に迷う”という行為を楽しむ場合には
「ヤバ気な雰囲気の道には入らない」
「他人の敷地っぽいトコには入らない」
「本当にヤバいくらい迷った時は地図を見る」
というこの3点には気を付けて行ってもらいたいと思います。


 あとは「来た道を引き返す」という事も大事だよね。
 この趣味について話すと上手く言語化出来ない事が多かったので、こうやって書き始めてみたらついつい楽しくなっちゃって、結果的に引き返す事が出来なくなっちゃったよね。

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