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十則

わたしは、これまでに何度か転職しています。
知り合いの若手ディレクターさんも転職で悩んでいて、新たなフィールドでご自分の力量を試したい願望はあるものの、なかなか踏ん切りが付かないご様子。現場の采配ばかりでなく、売上にも目を配らなきゃならなくなり、メンターとして後輩を指導するようにもなり、仕事はどんどん煩雑になっていらっしゃるのに、そのくせお給金が上がらず不満があるみたい。なので転職の話になったんですが、彼の話のその先を聞いて驚きました。「でもきっと、転職したら給料下がっちゃいますよね」。え? 今ってそうなの? どうやら「転職=給与が目減りする」という感覚をお持ちだったようで。

わたしの頃は転職すると、前の給与を訊かれて「じゃあこれでええかな?」と幾分かはサラリーを上げてくれたものです。転職=自分を高く売りこむチャンス。
しかし、そのディレクターさんによれば、転職すると、またイチからスキルを積み上げていく期間が多少なりとも出てくるだろうから本来の能力を発揮するまでにディレイが生じる。それに今以上の責任や仕事量を負いたくない。だから給与は下がっても致し方なし。そういった思考が根底にあるようでした。
なるほど、そういうことなら躊躇うわけだ。

でも、就労側がそんな気分じゃ人材雇用の流動化は起きませんね。流動化が進まないと、経営者は多少給与を上げてでも「次はもっといい人材を獲得しちゃる!」という意識が鈍る。既存の社員にも「このくらいでええやろ」と甘えまくる。新たな人材が加わることによって会社内に起こるはずの化学反応はなく、上げた給与分の支出を取り返すための収益アップに対する工夫、成長意欲も減退していく。雇用側にも就労側にも、くだんのディレクターさんのような現状維持志向が蔓延するわけです。まぁ、これでいっかな、ってね。


さて、枕が無駄に長くなってしまいましたが、今回掲げたタイトルをそろそろ回収しにいかなきゃですね。すみません。

わたしが最初に勤めた会社では、毎週月曜日に朝礼がありました。

その会社でわたしは営業をしていました。ホントはアートディレクターになりたくてデザイナー枠で応募したのですが、なぜか営業部長に気に入られ、自社媒体の広告を売り歩く仕事に就きました。もしかしたら編集室に移れるかもなんて、淡い期待も抱きつつ。
それに就職を決めたその年は、いわゆる氷河期時代のほんの直前。あんまり贅沢もいえなかったので、営業職も勉強だ!と、謹んで採用通知をお受けしました。

月曜の朝、営業と制作とでは雲泥の差がありまして。クリエイティブな人たちは皆さん前夜の酒が残ってたりしてアンニュイなスタート。対して営業室では、まず最初に持ち回りで誰かがスピーチをさせられるんです。先週はナニナニがあって、反省すべきはカレコレで、今週はホニャララで頑張ります!みたいな。たいした内容ではなかったんですが、それでも人前で起承転結をつけた話をする訓練になりました。クリ&編集の人たちは「わたしくんも、毎週朝からあんなのに付き合わされて大変だねぇ」と慰めとも取れる言葉をかけてくれました。

で、そのあとでアレもあったんです。
昭和の会社ですからねぇ。しかも体育会系バリバリの営業部隊です。
今ではキング・オブ・ムダといわれる理念唱和というやつです。
(理念唱和をやられている会社の方がいらしたらゴメンナサイ)

あんなの意味ないよね〜。 →はい、わかります。
だって誰も覚えてないし。 →確かに仰る通り。
自分の仕事と乖離した内容だし。 →ええ、そうかもしれません。

でもですね。わたしはともに働く仲間と理念を共有するって大事なことだと思っていて。それが「唱和」という形態を取るべきか否かはまぁ置いておいて、わたしがいた会社の理念は、わりと今でもしっかり覚えているんですよ。しかも、時折何事かに迷った際の羅針盤になったりするんです。見事に洗脳されてます。

具体的にどんなのがあったかって?
いやぁ、会津藩の「什の掟」並みに個性的なスローガンがこれでもかと並ぶんで、万が一、当時の先輩や同僚だった皆さんがこれを読んだら身バレ必至なのですよ。よって自主規制いたします。すみません。

代わりに、理念唱和なんてやったことがないであろう若い人たちのために、こちらをご紹介しましょう。

【電通十則】
1.仕事は創るべきで与えられるものではない。
2.仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3.大きな仕事に取り組め。小さな仕事は己を小さくする。
4.難しい仕事を狙え。そしてこれを成し遂げることに進歩がある。
5.取り組んだら放すな。殺されても放すな。目的完遂までは。
6.周囲を引きづりまわせ。引きづるのと引きづられるのとでは、長い間に天地のひらきができる。
7.計画を持て。長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8.自信を持て。自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも厚みもない。
9.頭は常に全回転。八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ。サービスとはそのようなものだ。
10.摩擦を恐れるな。摩擦は進歩の母、積極の肥料だ。でないと君は卑屈未練になる。

1951年に、往時の4代目社長・吉田秀雄氏によって生み出されたこの行動規範は、5番目の「死んでも〜」が社会問題になったとかで今は撤廃されちゃったみたいですね。TV-CMにもあった「24時間働けますか?」が世の中の社畜モードを是とする風潮をあらわしていたように、仕事、仕事で、精神的に追い詰められて亡くなってしまった方もいらっしゃいますし。ご覧の通り、他にもちょっとキツめな言葉がいっぱいあって時代錯誤感が甚しいです。

でも、わたしが最初に入った会社のやつも、この「鬼十則」と似たようなもんでした。だって、社長自らが酔った拍子に話してくださいましたから。実はね、これ電通十則をベースにしたんだよ、って。

わたしは昭和の男だからなんですかね。これって、そんなに変なことを云っているとは思わんのですよ。
例えば、4番目の「難しい仕事を狙え」なんて、本当にそう思いますもの。強いていうなら「なんで難しい仕事を狙うのか」という目的を添えてあればバッチリなのかしら。難しい仕事は難しいだけに、高度な解決策、緻密な思考、複雑な対応などが求められます。3番目だってそう。チマチマとモブキャラを1000匹叩いてレベルアップを目指すより、ユニークモンスターをみんなで倒した方が早いし楽しいでしょ。どっちも見事クリアできたら相当なノウハウや経験値が得られるってことですもん。目的が書いてあると妄信がなくなっていいかもですね。

時代が時代だからって。わたしはこの十則、安易に焚書しちゃっちゃあ勿体ないと思うんですよね。言葉を焼く人は、いつかその言葉を使う人までをも焼く。あ、これは喩えです。
要は「鬼十則」を令和バージョンにアップデートした「仏十則」にすればいいわけで、こういうのは意志統一の共有ツールとして残してもいいと思うんです。

唱和という方法はともかく、多様な人たちが同じ方を向かなきゃいけない時に、なんらかの道標を共有することは必要だと思いませんか。それぞれの解釈や運用は違って構わない。ベースとなる気構えやスタンスだけは揃えておき、足りないところは補い合い、支え合っていけばいい。多様な人たちが多様な生き方を認め合うのは素晴らしいと思うけど、あっちこっちバラバラの方向を向いていたら、もはやそれはバベルの塔。きっと悲しい結末が待ってます。

それに「あー、そういうの僕には合わないなぁ」と思えば、その理念には共感できないということで別の会社の門を叩けばいいんだから。


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