第43回:超秘教入門5|Close to the Edge 現代科学 VS 多次元科学
神智学を伝えた知恵の大師方
神智学について、H・P・ブラヴァツキーは以下のように主張している。
1875年、神智学協会は有名な三人のオカルティスト、H・P・ブラヴァツキー、H・S・オルコット、W・Q・ジャッジによってアメリカのニューヨークに設立されたが、ブラヴァツキーのこの言葉から、神智学自体は彼らによって作られた霊学ではないということが分かる。
即ち、神智学とは、H・P・ブラヴァツキーを背後から導いたヒマラヤの大師といわれる人間を超えた方々から伝えられた「太古から続く神聖な科学」を指しているのである。
この大師方から伝えられた神智学という科学を簡潔に言い表すならば、「この宇宙に存在する生命の進化について解き明かす知恵」であると言えるだろう。
これは自然界の神秘に対して、高度な知識を備えた大師方により、幾時代にも亘って研究され続けてきたものである。
要するに、大師方は「比類なき知恵を持つ科学者」でもあるのだ。
そのため、彼らは秘教の世界では「知恵の大師方」と言われている。
宇宙は多次元構造の世界である
このように、人間が悠久の時を重ね輪廻することにより霊的に進化し、大師方のような超人になると、多次元的な研究と経験によってそれまでの人間では計り知ることができない高度な知識を得られるようになる。
例えば、私達人間は「五感で感じられないものはこの世界に無い」と見なしてしまう。
五感とは言うまでもなく、人間の人体に備わっている五つの感覚であり、「眼・耳・鼻・舌・身」を指している。
これは人間が地上世界で生きていく上で、外界の現象を個人的に感受するための五つの機能である。
しかし、この世界、即ち宇宙は物質世界だけで成り立っている訳ではない。
宇宙は次元が多層的に重なった「多次元構造の世界」である。
現在の人類は、この「眼・耳・鼻・舌・身」という五感にだけ頼って生きているので、この世界が多層的に次元が重なった構造であることに未だ気付いてはいない。
言うまでもなく、この地上世界は三次元世界である。
その上には四次元、五次元と、幾つもの次元が重なって界層を成している。
人間の輪廻に関わる三次元から五次元までの多次元構造と諸体、機能、性質について、以下に神智学の専門用語を用いた表を示してみよう。
図1を見ると、三次元の地上世界だけでこの宇宙は成り立っていないということが分かるだろう。
ここでは人間の輪廻に関わる三つの界層を示したが、神智学ではこの他にも四つの界層があり、参考までに、太陽系の七つの界層を高い順から示してみよう。
このように、この太陽系は七つの界層で成り立っているのであるが、人間の肉眼に映じるのは三次元の地上世界だけである。
そして、他のアストラル界から上の六つの界層は振動数の関係により現在の人類の肉眼では見えず、また一部の霊能者以外には認識することができないのである。
死しても尚、人は生き続ける
私達人類が現代科学において理解できている範囲は、あくまでも三次元の地上世界だけに限定された領域の事象についての研究結果に過ぎない。
即ち、私達人類はまだ三次元領域の研究だけに意識が向けられており、より精妙な世界の四次元領域にまで認識が至っていないのである。
この四次元とは何かを簡潔に言えば、あの世の世界のことを指している。
それを神智学では「アストラル界」といって、地上世界の人間が寿命を迎えた後に移行していく世界なので、幽霊が暮らす領域ということになる。
幽霊が暮らす領域があるということは、早い話、「人は死なない」ということである。
具体的には、私達人間が認識している「死」とは、人間の「肉体」のみが滅びることを意味しており、厳密に言えば「人の死は肉体を脱ぎ捨てる」ということになる。
よって、正確には「死者」という概念はこの世に存在せず、死しても尚、人は生き続けるので「肉体を脱ぎ捨てた生者」という呼び方の方が理に適っていることになる。
ここから言えることは、「人間の死後の生命の存続」と「生前の個人としての意識の保持」が霊的に保証されているということである。
もう一度繰り返すが、人は生前、地上世界で暮らし、寿命を迎えて肉体を脱ぎ捨てた後、アストラル界へ移行してそこで新しい生活が始まる。
いわば「死」とは、「三次元から四次元の空間の移動」を意味するのである。
以下に、神智学における人間の生と死後の三界層の図を示してみよう。
先程の図1からも分かるように、死後の世界はアストラル界だけではない。
その一つ上の次元にはメンタル界という世界が存在するが、今回の記事は「知恵の大師方は、高度な知識を備えた科学者でもある」という趣旨の下に話を進めたので、ここではメンタル界の説明は省く。
高次元科学の粋
このように、秘教の教えといわれる神智学では、三次元の物質世界の事象だけで科学的な判断をしていくわけではない。
知恵の大師といわれる方々が、19世紀後期に神智学協会を通して伝えられた神聖な科学は、多層的な次元の影響をも考慮に入れたものが説かれているのである。
また、人間が霊的に進化し大師という超人になると、従来の一個人としての自我を超越する。
そのため、宇宙の一大意識、即ち神の監督の下に人類の進化を指導する霊的な「師」となる。
神智学を学ぶ者は、神の経綸(プログラム)に従う大師方の協力者として、「宇宙の創造者の視点」を意識した広い知見から世界を捉えることができるようになる。
以上述べてきたように、人類の現代科学を凌駕した高度な科学的見地からもたらされた霊的な知識が、神聖な科学といわれる神智学なのである。
科学者がエーテルの世界を知れば・・・。
ここで、現代科学では未だ解明できていないものの一例を挙げてみよう。
ダークマター。
これは現代の科学者が「薄黒い物質」と呼んでいる未知のものである。
彼らはそこに「肉眼では捉えることができない物質的な質量」が存在することまでは理解しているが、それが何であるのかを解明できずにいる。
しかし、秘教の世界を紐解けば、そのダークマターといわれる薄黒い物質が何であるのかを理解することは難しくはない。
現在、科学の世界で謎とされているダークマターとは、秘教の世界でいう「エーテル」のことである。
では、エーテルとは何か・・・。
「気」のことである。
気は、人間の目には見えないため霊的なものだと思われているが、実は目に見えずとも気は物質的なものだ。
目には見えない気を言葉を用いて明確に表現するならば、気とは「より精妙な物質」、即ち半物質体ということになる。
よって、今述べたように、気は見えずとも精妙な半物質なので、肉眼で見ようと思えば「光の明度」と「視点の角度」の二点を押さえれば見ることができるものだ。
また、気は半物質なので、肌で感じようと思えばその体感を得ることもできる。
もし、これらのことに興味があれば、筆者の過去の記事である第13回:実践的霊学1 エーテル・気を見る、第14回:実践的霊学2 エーテル・気を感じるを参照されたい。
では、神智学でいわれる物質界の七つの階層を以下に示してみよう。
図4で示されているように、目に見える物質とは、固体、液体、気体の三つの層を指している。
それに対して、エーテルといわれる精妙な物質は、エーテル、超エーテル、亜原子、原子の四つの層を指しているのである。
現代の科学者がダークマターを解明するには、四つのエーテルの階層の存在に気付く必要がある。
それには悩める科学者達が、1888年にH・P・ブラヴァツキーによって著された「シークレット・ドクトリン(密教)」を読み解けば、現代科学の暗闇に光が差し込んでくるであろう。
なお、このシークレット・ドクトリンは、世紀の科学者アインシュタインの座右の書としても知られているオカルティズムの名著である。
カルマの法則を超えた者
以上のことからも分かるように、大師方は多次元的な視点から自然界の事象を捉え研究されているので、物質界の事象のみに限定された人類の現代科学を既に凌駕している。
何故、彼らはそのような高度な科学的視点から理解することが可能なのであろうか。
それは彼らが既に解脱を果たし、人間を超えた超人という段階に達しているからである。
超人。
現代人は極度に左脳的な解釈を求める習慣があるので、このような抽象的な言葉で表現されたものでは腑に落ちないであろう。
なので、左脳偏極した現代人が求める答えは、「超人とは何か?」というものである。
人間が2500年前のお釈迦様のように解脱を果たすと、超常的な力を得てそれを駆使できるようになる。
即ち、「シッディ」を使えるようになるのだ。
シッディとは、インドのサンスクリット語で「神通力」という意味である。
通俗的に言えば、「超能力」または「霊能力」ということだ。
では、大師と言われる超人は、いったいどのようにしてそのシッディを使っているのだろうか。
彼らの主だった能力を、以下に列挙してみよう。
大師方は読んで字の如く「超人」なので、私達凡人の常識では考えられないような超常的ともいえる能力を身に付けられているのである。
この彼らの数々の能力の中で最も気になるのは、やはり「肉体形成」ではないだろうか。
ここで一つの疑問が浮かぶ。
肉体形成ということは、大師という超人は「肉体を所有していない存在なのだろうか?」という疑問だ。
人間が解脱を果たすと、三次元である物質界の制約から解放されることになる。
この「物質界の制約から解放される」とは、即ち、霊的に「カルマの法則から縛られなくなること」を意味するのである。
カルマとは、サンスクリット語で「行為する」ことを意味し、人がした行為は良くも悪くも自身に還ってくるという「因果応報の法則」を意味するものだ。
早い話、大師方は物理的な力が働く地上世界を既に卒業したので、人間時代の肉体を所有する必要が全く無くなったのである。
なので、もし彼らが何らかの理由で再び肉体が必要になれば、自身の想念の力を使って再度肉体を形成すれば良いのだ。
そのようなわけで、先程紹介した大師の主だった能力の中に「肉体を形成する」という言葉を挙げたのである。
このシッディによる大師方の肉体形成について、秘教の世界ではH・P・ブラヴァツキーとモリヤ大師にまつわる興味深い話が以下のように伝えられている。
モリヤ大師の出会いと再会
1851年、H・P・ブラヴァツキーは、イギリスのロンドンにあるハイド公園でモリヤ大師に出会った。
第一回万国博覧会にインドの王子一行が来られる日。
当時四歳だったブラヴァツキーは父親に抱かれ、公園通りで王子一行の到着を待っていた。
やがて王子一行の隊が現れたが、幼いブラヴァツキーはその隊の中の一人の騎士に意識を強く惹き付けられ、彼をじっと見つめた。
彼は背が高く、真っ黒な髭が印象的な精悍な顔つきの騎士だった。
何故かその騎士は、多くの群衆の中でまだ幼いブラヴァツキーひとりだけを静かに見つめ通り過ぎていく。
彼女は、異国の人に見つめられ怖くもあり、また不思議なことに幸福感のようなものが胸の中に沸き上がってきた。
そして、王子一行の隊はブラヴァツキーの前を通り過ぎ、遠ざかっていった。
けれど、あの騎士の炯々と光る眼差しは歳月が流れても忘れることなく、時に幻となって心の中に浮かぶのだった。
その後長い年月が経ち、インドに神智学協会が設立され、ブラヴァツキーがマドラス郊外のアデュアールの自宅に居たある日のことである。
彼女の部屋で大師方が会談中、突如として真っ黒な髭が印象的な精悍な顔つきの超人が姿を現した。
ブラヴァツキーが後ろからその大師の姿を眺めていると、その大師は振り返ってこのような言葉を掛けてきた。
「あなたは不思議そうに私を見ていますが、私達は今日初めてお会いしたのではないのですよ。かつてインドの王子一行がロンドンのハイド公園を通った時、まだ小さな女の子だったあなたは私のことを見ていたでしょう。あの時、私も幼いあなたをじっと見ていたのですよ。」
ブラヴァツキーはモリヤ大師からこのように言われ、幼かった当時の記憶が蘇った。
あの時も大師は三十五歳ぐらいの姿だったが、何十年経っても変わることなく若い頃のままの姿であることに驚いたという。
超秘教入門の原本
このように、大師は解脱を果たしているので物質界の制約を受けることが無くなり、高度なシッディを使うことにより老いることのない肉体を形成することができるのである。
先に述べたことを具体的に言うと、大師は自身の想念力を働かせることにより、物質界の原子・分子に影響を与え、地上界で活動できる物質的な肉体の生成を可能にしているのだ。
要するに、大師は欲するものがあればそれを心の中でイメージし、原子・分子をコントロールすることによって望んだものを獲得できるのである。
そのような意味では、肉体形成とは物質化現象ということになる。
超人と呼ばれる大師方は、この驚異的な能力を駆使することによって、人類がまだ解明できずにいる自然界の多くの事象を既に解き明かしている。
故に、彼らは解脱者であり、超能力者であり、科学者でもあるのだ。
なお、大師方は科学的研究の成果を治験していく上で、一世紀という時間を費やすという。
人類の現代科学では、治験の期間を8年から15年しかせずに済ませてしまうが、そんな少ない時間では開発した製品等の真の安全性の証左にはならないのかもしれない。
現代の科学にも安全性は問われるが、やはりこの霊的な精神世界でも同じように安全性は問われなくてはならない。
なので、その安全性の証左として、このnoteで説かれる神智学の基礎的な教え(内容)は、以下に紹介する竜王文庫から出版されていた「入門神智学」に基づいて話を進めていく。
これは「その情報の出所も分からず、霊的な世界に足を踏み入れるのは大変危険である」ということだ。
故に、霊的な情報を発信する側にも、それを受け取り理解する側にも、共に安全性の確認をしていかなければならない。
特に、近年のスピリチュアルといわれる精神世界から発信される情報には、「具体性と根拠」に欠けることが余りにも多いからだ。
カルマ。
改めて言うが、サンスクリット語で人の「行為」を意味する言葉だ。
人は自らの意志で選択した行為は、自らが「責任」を負わなくてはならない。
それがこの世界での霊的な学びであり、因果応報の法則なのである。