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何度でも訪れたい美術館〜ピカソ美術館パリ編〜


パリのピカソ美術館で印象に残ったことの一つ。それは「ピカソは天才でありながら、ものすごく努力して色々なものを創作したんだ」ということ。

ピカソ美術館はパリにある世界的に有名な美術館で、20世紀を代表するアーティストであるスペイン人画家パブロ・ピカソの作品を収蔵している。

約5,000点以上の作品が収蔵されており、これらの作品には、ピカソの絵画、彫刻、版画、写真などが含まれており、ピカソの多様な創作活動を体系的に展示している。

美術館はピカソがかつて住んでいたマレ地区に位置している。彼の個人的な作品やコレクションがたくさんあり、訪れると、ピカソの多様なスタイルや時代を通じた進化を見ることができる。

私がピカソに思い入れのある理由は他にもあって、イギリスに留学していた時のスペイン人の友人が、スペイン南のマラガ出身だったこと。ピカソと同郷だ。それで色々と話を聞いていた。

マラガだけでなく、スペイン人にとってピカソの成功はとても誇らしいもので、学校で子供たちはピカソについて必ず学ぶらしい。


ピカソのスタイルの移り変わり

ピカソのスタイルには生涯を通して様々なスタイルがある。同じ人が書いたとは思えないような全く違うスタイルで、そのどれも、うまくやってのけているという感じがする。

シンプルに、ものすごく絵の才能があった。その上で、チャレンジを全く恐れなかった。


1. 青の時代(1901年-1904年)

ピカソは繊細な青色を中心とした作品を制作した。この時期の作品は、貧困や孤独などのテーマを反映しており、感情豊かな作品が多く描かれている。

Self-Portrait
目の前に立つとたじろぐような、
何だか暗い雰囲気


Celestina

ピカソの青の時代は彼の私生活と密接に関連している。ピカソは青の時代に友人や親しい人の死、貧困、孤独などの困難な状況に直面した。これらの経験が彼の作品に反映されていると言われている。

2. ローズの時代(1904年から1906年頃)

(1904年-1906年):ローズの時代では、ピカソの作品はより明るく、楽観的な色彩が使われるようになった。サーカスや舞踏会を描いた作品がある。

ピカソのバラ色の時代(ローズの時代)。この時期ピカソはフランスのモンマルトル地区に住んでおり、若い女性たちとの交流が彼の作品に影響を与えている。特に、ピカソの愛人でモデルだったフェルナンド・オリヴィエ(Fernande Olivier)やその他の女性たちが、彼の作品に描かれる女性像のモデルとなっている。

3. キュビスム(1907年-1920年代初頭)

キュビスムは、ピカソが共同で開発した芸術運動で、主題を幾何学的な形に分解し再構築するスタイル。この時期の作品は、複数の視点や角度から描かれ、独創的な形態を持っている。

また、ピカソはポール・セザンヌの作品に強く影響を受けたと言われている。

セザンヌは19世紀末に活躍したフランスの後期印象派の画家であり、彼の作品は幾何学的な形態、構図、色彩、空間の表現などが特徴的だった。セザンヌは、「すべてのものは球体と円錐と円柱で構成されている」と言ったことで知られている。

ピカソはセザンヌの作品を高く評価し、彼の絵画の技法や視覚的手法に影響を受け、そして取り入れた。

『ピカソ』といえばこのスタイルの絵を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。


4. ニュー・クラシシズム(1920年代後半-1930年代)

ピカソは、古代ギリシャの彫刻や古典的な主題に影響を受けた作品を制作した。この時期の作品は、より現実主義的であり、古典的な要素が取り入れられている。

ピカソのニュークラシシズム時代。この時期(1920年代後半から1930年代)ピカソはロシア人バレリーナのオルガ・コクラヴァ(Olga Khokhlova)と結婚し、彼女がモデルとなる作品を多く制作した。彼女との結婚や家族生活が、ピカソの作品に影響を与えたとされている。

この時期の作品には、古代ギリシャやローマの彫刻や絵画からインスピレーションを受けた作品が多く見られる。

シュルレアリスム

ピカソは上記の時代を経て、シュルレアリスムという芸術運動にも関与していった。
それでいて、シュルレアリスムの原則やスタイルに完全に従ったわけではなかった。

彼は独自のスタイルやアプローチを追求し続け、シュルレアリスムと他の芸術運動を融合させることで、新たな表現形式を生み出していった。

当時の色々な画家のスタイルから「これは面白い」ということを勉強し、それだけで終わることなく、それを自分なりにアレンジし、新しいものを創り出していった。

シュルレアリスムといえば、有名なピカソのゲルニカ。パリのピカソ美術館ではないけれど、マドリード市内の国立ソフィア王妃芸術センターにある。

Guernica ゲルニカ

ゲルニカ(1937)はもともと、1937年のパリ万博のスペイン館を飾る壁画としてスペイン共和国政府から依頼されたものだった。スペインでは当時、のちに勝利して独裁者となるフランシスコ・フランコ将軍が率いる反乱軍との内戦が始まっていた。

ゲルニカに対しての詳しい説明がピカソ本人からされたわけではない。けれどたくさんの専門家がゲルニカについての意味や考察を説明した。またスペインの子供達もその意味を授業で勉強するらしい。

現在では有名な反戦画となっている。

ピカソ美術館で勇気をもらうこと

ピカソ美術館 パリ

ピカソ美術館を訪れれば、ピカソがただの天才でないことが分かる。ものすごい努力家であり、継続すること、チャレンジし続けることの大切さを、人生をもって示した人だ。

ピカソの有名な絵ばかりでなく、正直言って自分にはガラクタのように感じるものや、「これはこれでもう完成なのかな?」と思う彫刻など、たくさんの作品がピカソ美術館にはある。

それらを見て私が思ったことは、「すごい精神力だ」ということ、また同時に「これだけたくさんの作品を制作したら、それはたくさんのことを学べただろう」ということ。

あるいは、「それだけたくさんの作品を制作したから、チャレンジし続ける強い精神が培われたのかもしれない」ということ。

自分はこれほど何かに熱中しているだろうか?それでいて、努力やチャレンジをし続けているだろうか? 上手くいっている同志を観察し、躊躇なくその技術を取り入れ自分のものにしてしまう、そんな貪欲さを持っているだろうか?

ピカソは確かに世界的に有名なアーティストだ。だが『ピカソ美術館』と同じくらいの、バラエティとクオリティに富んだアートを持つ美術館に招かれたら、それがピカソでなくても私は心から尊敬する。それだけで、本当に素晴らしいことだと思う。

おそらくピカソは新しいチャレンジをしている間、「世間がどう思うだろう」なんて考えなかったはずだ。それよりも、未知なる作品の潜在能力に期待し、ワクワクした気持ちで創作していたのではないだろうか。

そんなワクワクした気持ちが、ピカソ美術館を訪れると伝わってくる。

まるで
「アートって楽しい。こんなに色々なことを人生を通して試してみたら、時々すごく良いものができた」っていうようなセリフまで、聞こえてくるようだ。

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