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ワニガメを撃て

「シモヘイヘは老衰で死んだ」と三度唱えろ。俺の中に根差した経験がそう囁く。狙撃手が直接命を狙われることは少ない。同時に、狙撃手にはマインドリセットと安寧が必要であり、額を濡らす汗はどうもその集中を阻害するからだ。

 六月の東京には珍しく、屋上は乾いた風が吹いていた。俺はスコープを覗き、階下の様子を伺う。目標はマンションの陰に隠れ、茂みに身を潜めている。
 誰かの犠牲を出さず、早々に処理すべき問題だ。ターゲットは凶暴で、見境なく人を襲いかねない。銃底を支える手に力が籠る。

 目標が射程内に入るのを確認し、俺は息を止める。
 刺々しい甲羅は僅かに乾き、獰猛な牙のせいで顔相には迫力があった。全長1メートルを超す、巨大なワニガメである。

 部屋で飼っていたワニガメが逃げた。ベランダの這いずった跡を発見した俺は、排水溝が外へ続く出口だったことに焦りを隠せないでいた。噛みつけば腕まで引き千切りかねない凶暴な個体を、しかも無許可での飼育だ。通報されると、大変マズい。
 俺の稼業はヒットマンだ。『名うてのベテランがペットを逃がして逮捕』など、業界の恥になりかねない。そうなると、信用どころか命の危機だ。
 同居人同然に愛着を持っていた存在だった。それでも、責任を持って処分しなければならないだろう。俺は苦い顔で即座に決断した。
 準備は万全な方がいい。俺はそう考え、部屋に隠していたレミントンに弾丸を込める。霊長は何度も手にかけたが、爬虫類は初めてなのだ。

 がさがさと茂みから身を擡げ、ワニガメは静かにアスファルトを闊歩する。体に付いた布の切れ端は、階下の住人の洗濯物を噛み千切った跡だろうか? 弁償額が少ないことを祈りながら、俺は引き金に指を掛けた。

 仕留め損ねた。発射された弾丸は、的確に目標の頭部を狙ったはずだ。それが、何故か口内で噛み、受け止められている!
 愕然とする俺を嘲笑うかのように、ワニガメは俺を睨んだ。

【続く】


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