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散歩という「ニューリッチ」

ごきげんよう、ふくたろうです。
やっと自粛が溶けて、人とコミュニケーションを取れ、水を得た魚状態です。

今日のガバコラムシリーズは「散歩」に関して。

散歩が最上に贅沢な余暇になる時代

いやいや待て待て。
一見1円も使わないからそれ逆じゃね?むしろ貧しくね?と思ったでしょう。

逆に僕は、これからのオンライン時代、最上に贅沢な時間の使い方だと思います。

許されし「無駄」と余白を楽しむ心

僕らは無目的性を嫌う。
何かしら目的がないと不安になってしまう。
何かを投下するからには見合うだけの効用を期待する。

僕らは常に目的を持って行動しなさいと言われる。
Whyを大事にしろ!と仕切りに言われる。

効率的に時間を使い、効率的にエネルギーを使い、資本投下のレバレッジを最大化する事をよしとした社会に生きるゆえ、無駄は省くべき対象としてされてしまう。
もちろんそれは概ね正しい。
なにせリソースは有限だからね。

その観点から見ると「散歩」はただ歩くと言う行為を目的とする、「最も非生産的な行為」に見える。

けど、その一見無駄な行いを許容できる可処分時間、所得があることが前提だし、散歩という目的を持たない行為を楽しむには、心に余白が必要だ。

散歩はゆたか。

散歩の効果、効用に関しては本noteでは触れません。
エビデンスやらうんちくはGoogle先生にお任せします👨‍🏫

僕が考える散歩と豊さの繋がり二点は以下にある。

普段見れない視点で物事をみれるよ。
例えばおうちの周り。
普段の通勤、通学の2点間の往復だけなら景色は「ノイズ」でしかない。
目的地にむかい急いでいるから。
けれど普段よりゆっくり近所を一周してごらん。
面白い看板、道端の花、知らなかったお店。
沢山の新たな情報が飛び込んでくる。

ちょっと豊かな気分にならないかい?

視点は外だけじゃなくて自分の内側にも。「頭の中」に意識を向けられる

思うがままに思索にふけることができる。
日々スピードと量、嵐のように情報にさらされる僕らには、"ご自愛する"ことをついつい忘れる。

そんな中、ただ歩くという無目的な行為は、心の余裕を生み出してくれる。
ややもすれば効率の犬になる僕らが、より人間的に立ち帰れるきっかけをくれる。
思考が整理されたり思わぬ閃きを得る可能性もひめている。

金銭的な価値は一見産んでくれないが、「豊かさ」を産んでくれるのではないか。

まとめ:「目的ありき」は限界がある。
余白をもつのは心地が良いぞ。

これからは「無目的性」「無駄」「余白」「あそび」などのキーワードが心の豊かさや心地よさのファクターとして重要になる。

観光を例にしよう。
かつての観光は、ゲストは目的地を目指し、ホスト側は目的地を作る消費的体験の象徴だった。
ゲストはホストの意図を分かった上で消費をする。
一度行ったら目的がはたされて、それで終了。

リモートワーク を例にしよう。
オフィスやコワーキングスペースで生まれていた何気ないコミュニケーションがなくなり、顔を合わせるのはオンライン会議での目的の固定された議論がメインになってしまう。
なんだか息苦しい。なんとなく寂しい。

そんな時こそ「余白を持たせる」ことで、資本主義的とは一線を画す「ニューリッチ」を目指そうぜ。

その象徴として、「散歩」は一つのトレンドになるだろうな、というお話でした。



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