Saltburn

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郊外の街からオックスフォード大学に入学したオリヴァー。地味でバリバリのナードで友達もド級のナード。が、一方でジョックス入りに憧れるオリヴァーは、ちょっとしたキッカケで貴族階級でバリバリのジョックスであるフェリックスとお近づきに成功。そして夏休みには、フェリックスの豪邸に招かれあれやこれや、というお話。

オリヴァーは、単にキラキラしたジョックスライフに憧れただけでフェリックスに近づいたのか?いや、そういうわけではない。オリヴァーのセクシャリティについては映画を観ていれば明確なのだが、フェリックスはオリヴァーにとって”性の対象”であったことは間違いない。そこには、友情を超越した”愛”があった。

【ここからネタバレ】

では、なぜそんな“愛”を抱いていたフェリックスを殺害し、さらにはその家族まで手にかけたのか、という疑問が残る。それは世間一般的な感性とは真逆の感性だろう。

愛するものへの愛情を表現する言葉に「目に入れても痛くない」や「食べてしまいたいくらい」など対象を自らの身体に取り込んでしまうようなものが見られる。これは、”Cute Aggressive”と言って一定以上の愛情が芽生えた対象に無意識的に攻撃してしまうという行動と関係があるのかもしれない。例えば、小さな子犬などを見るとぎゅっと抱きしめたり、抱き寄せたりしたくなるのもこの”Cute Aggressive”の一種だと考えられているらしい。概ね危害を加えたりするような行動は、幼児の段階でおさまるようだが、稀に大人になってもそういった衝動を抑えられない人もいるそうだ。

オリヴァーもこの”Cute Aggressive”による衝動なのか?そんな単純なものではないだろう。オリヴァーにも少なからず”Cute Aggressive”はあったことは間違いないはずだ。しかし、家族の殺害にまで発展するのかと言えば、そうではない。むしろ、オリヴァーに芽生えていたのは、性的な意味で”フェリックスを自らの身体に取り込みたい”、そしてその異常な愛情はさらに飛躍し”フェリックスを自らに取り込み、フェリックス自身になってしまいたい”という欲=衝動ではないか。

単なる財産目当ての一家殺害ならば話は単純だが、ならばなぜあそこまで露骨に”性の対象としてのフェリックス”を見せつける必要があるのか。オリヴァーのセクシャリティと財産略取の関係性とは?単に異常者としてのオリヴァーを見せたかっただけ?そんな浅はかな映画ではないはずだ。

オリヴァーは、フェリックス自身になる為に手段を選ばなかった。そういうコトだと言えないだろうか。フェリックス自身になる為に邪魔だった近親者を殺害、追放し、最終的にフェリックス自身となり、喜び=快楽を得たコトで裸で舞うのだ (ここでの“Murder on the dance floor”は最高)。

“Saltburn”とは、一種のコスプレ映画だと言いたい。アニメのキャラクターなど愛するものになりたいという欲を外見的に満たすのが、いわゆる”コスプレ”というものだ。誰もが抱く憧れのスターと同じ髪型にしたい、同じアイテムが欲しい、そういう欲もある意味コスプレと同一線上にある欲だろう。そういった愛情や欲望についての異常性が垣間見られるオリヴァーの”フェリックスを取り込みたい→フェリックスになりたい”の成れの果てが、こうした結果になったと考えられないだろうか。オリヴァーは、フェリックスのコスプレをしたかった(但し、異常な度合いで)。全ては、その目的を果たす、欲を満たす為の行動、衝動だったというのが、”Saltburn”ではないだろうか。

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