風が吹き始めたのならば

1

 テレビ番組「あちこちオードリー」では、さまざまな芸能人がゲストとして出演し、これまでの芸能界での失敗談や裏話を語っている。
 トーク番組によくあるゲスト個人に光を当てる構成というよりは、表に出ているものにどういう経緯や背景があったかという部分に焦点が当てられているように思える。そしてそこで語られた内容は、単に芸能界という領域ではなく、多くの分野において共通する要素が含まれているようにも思う。

 その中で、何度か共通するパターンがあった。それは、こういうものだ。

「若い頃はとにかく尖っていて競争意識が強く、ライバルより上をいこうとか負けてられないとか、そういう意識が強かった。だが、段々とそれが薄れていった。そういう意識を傍においた方が上手くいくということがわかってきた。今はどうやって協力するかとか、そういうことを中心に考えるようになった。」

 よくあるといえばよくあるパターンかもしれない。要するに「年をとって丸くなった」ということなわけだ。「昔は俺もワルでね」とかいうおじさん特有の、しかも到底かっこいいとはいえない定型文も、もしかしたらこれと同じような側面があるのかもしれない。

 この、言葉の上ではよくあることであり、すでに聞き慣れすぎて飽きがきているはずのこの物語が、今の自分には妙に引っかかるのだ。「刺さる」といえばやや強すぎるニュアンスなのだが、それに近い側面はあるのだろう。
 それは、自分の中にある微妙な変化とリンクしているのかもしれない。そう気づいたのはごく最近のことだ。


2

 そんなに昔のことではない。
 人前で音楽をすることが辛くなり、もうやめようと決断したことがある。

 アマチュア音楽家にすぎない自分が人前で演奏することの意義だとか、集客してお店に還元することすらできないことへの重荷だとか、その他いろんな意味での自信の喪失とか、そういったもの重なった結果としてライブ活動から身を引こうと思った。
 そして、やるときがあるとすればたった一つの条件を満たしたとき、そう決断したのだった。そんなに昔のことではない。

 そもそも、ライブをやりたいと思った動機は、ビッグバンドに参加させてもらう機会が多かった自分が、本来やりたかったコンボをやりたかったというものだった。だから、自分のやりたいことを目一杯詰め込むことが大前提だった。技術的にできることが多くないので、その範囲でやりたいことをきちんと達成するため、基本的に自分が仕切る側になることが多かった。反対に、技術的に劣るためか依頼される側に回ることは多くなかったけれど。

 でも、技術的に劣る自分が自分のやりたいことを詰め込んだライブをやったとしても、そんなものを好んで聴くひとは多くない。当然というものだ。
 だから、悩むことになる。元々人間関係を構築するのが不得手で、そういう領域に手を染めることは苦痛でしかない。演奏スキルの不足を集客力でなんとか埋め合わせることは不可能に近かった。
 そういうわけで、ライブをすることが苦しくなった。


 けれども、その考え方が、ちょっとだけ変わってきたように思う。いや、根本の部分が変わったわけではないのだろう。やりたいことをやってかえって苦しくなるのは、もう懲り懲りなのだ。それを繰り返したくはない。それでも、自分の中で、何かが変わったような気がしている。

 自分は、自分のやりたいことをやらなければならないと思っていなかったか。集客を義務として捉えていなかったか。自分で音楽全てを作らなければならないと思っていなかったか。ただ、音楽を自由にやりたかっただけのはずなのに、いつの間にか「しなければならない」という思いに変わってしまっていなかったか。
 そうした「ねばならない」から逃れるために、趣味としての音楽を続けいたのではなかったか。無責任という意味ではなく、真剣だけれど自由に、そして緩やかに。


3

 現に、風はそうなる方向へと吹いている気がしている。
 ならば、その風に乗ってみていい。

 状況を変えようと意地を張ってしゃかりきになるのではなく、もっとゆらゆらとたゆたっていていい。そのゆらぎの先に、自分のいるべき空間なり時間なりがあるはずだ。
 自分のあり方を無理に形成しなくていい。どうせ意識して変えることなどできないのだ。そうなのであれば、流れに身を任せるなかで、自分のあり方をその都度考えていけばいい。その結果として、自分という形が出来上がってくるのではないか。

 そしてこれは、音楽以外の面でも、例えば生業であっても、同じようなことが言えるのではないだろうか。今、ちょっと心配していたりするのだけれど。
 妙なプライドで自分を縛りこみ、あまつさえ自身を貶める結果をもたらさなくてもいい。自分の在り方を世間的基準に照らして判断する必要などない。自分の力が十全に発揮できる環境があればいいのだ。


 風が吹いているのであれば、吹き始めているのならば、流されてみよう。
 今はそう思うようになってきている。


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