媒介としての音楽

1

 
 ここ数日、メンタルを軽く削ってくるような出来事が、矢継ぎ早に起こってきた。一つ一つは些細と言えば些細、だが捉え方によっては深刻と言えば深刻なもの。いずれにせよ、些細であっても複数が一度にやってくると神経の多くを持っていかれる。
 しかも、そのうちの一つはここ二年ほど頭から離れず、時折やってきては大きなダメージを与える類のもの。もう一つは、自分の仕事に関して今後のあり方を色々と考えさせる類のもの。もちろんこれらだけではない細々としたものがまだある。それらがないまぜになり、僕から時間と集中力を奪っていく。勘弁してほしい。

 
 だから、この日は外出しようかどうか迷っていた。ある音楽イベントの日だったのだ。それも、色々な事情で久しぶりの。まあ、雨がそこそこ激しかったというのも、迷った理由のひとつだった。それでも、足を運ぶことにした。どうしてそうすることにしたのか、もう忘れてしまった。最近、加齢のせいか物事を忘れるのが早い。

 正直、最初のうちは、聞く音楽が全て頭に入ってこなかった。自分の耳の感受性が新しい音楽を聴くにはあまりに衰えたのか、と思わされた。実際のところは、おそらく僕の頭と体が音を聴くような状態ではなかったのだと思う。失礼ながら、あまり好みのそれではなかったというのもあるのだけれど、自分の態度の理由を演者に求めてしまうのはさすがに失礼に過ぎるだろう。
 ともあれ、せっかくの音楽に今ひとつ馴染めないまま、歩き疲れて喫茶店に入り、そこでも疲れたせいかそれとも精神的な問題か、本の内容がちっとも頭に入ってこないという状況だった。


2

 
 あるところでようやく、少し自分でも聞けるかもしれないという演奏に出会い、その次に聞こうと思っていた会場に移動した。実は、このバンド、知っている人、とても上手な人が参加していることは知っていたが、当初は聴くつもりではなかった。大所帯のバンドだったからだ。
 僕はビッグバンドからジャズの道に入り、ライブ出演の機会もビッグバンドの方がおそらく多い。実のところ、ビッグバンドより少人数の編成のジャズが好きで、ずっとずっとそういう音楽をやりたいと思っていたのだが、やはり始まりがビッグバンドだったせいかその方面から声をかけていただくことが多かったのだ。ただ、長年関わってきたとあるビッグバンドから離脱することにしてしばらく日が過ぎ、大人数のバンドを積極的に聴こうという気が起こらないでいた。今回も、できるだけコンボジャズを中心に聴きたいと思っていた。
 だから、そのバンドを聴きに行ったのは、本当に単なる気まぐれでしかなかった。


 けれども、そこで変化があった。

 一つは、その日それまで出会わなかった音楽上の知り合いに、何人も会うことになったことだ。
 そもそもこのイベント、過去には自分も参加していたり、あるいは音楽仲間と色々みて回ったり、しばらく会えていなかった人と久しぶりに出会う機会でもあったのだ。そうであったことを忘れていたわけではなかったが、身体のレベルで思い出したのがこの瞬間だったと思う。
 実のところ、今回はとある理由で、人に会うことはあまり期待していなかった。そういう目的で赴いたわけではなかった。だから、ずっと一人で歩いていたし、そのことに何の疑問も感じていなかった。最後まで知り合いと会わなかったとしても何も思わなかっただろうと思う。
 けれども、人と会ったことで、自分の何かが救われたのだと思う。それは、その瞬間にわかったことではない。今、その時のことを思い出して、そう理解したことだ。僕は多分、毎日の日常生活をそれなりに懸命に生きて行く中で、自分は音楽を通して人と会っていたのだということを、知らないうちに忘れていたのかもしれない。
 そう、僕は音楽を通してしか人とのつながりを持てない人間なのだ。それでなくとも人間関係を保つことが苦痛で、人と交流を持つことができない僕が、唯一他者と関係を保てるのが音楽という場だったのだ。それを改めて思い出したといっていいのかもしれない。
 自分のために、繰り返しておきたい。僕は音楽を通してようやく人と会うことができるのだ。

 そしてもう一つ。そこで聴いた演奏に、大きな感銘を受けたことだ。極端に言えば、この日初めての出来事だったような気がする。それくらい素晴らしい演奏だった。
 知人と再会したという出来事が、僕の耳や身体に変化をもたらした可能性はあるけれど、その演奏は多分一人で聴いていたとしても同じ感想を持ったことだろう。それくらい素晴らしかった。そして、一度そうした演奏を聴くことができると、その後聴く音楽も、決して好みではなかったとしても楽しむことができた。優れた演奏にはそうした力があるのだ。
 そして、自分もできればそういう場に居続けたいと思った。なんらかの形で、まだ演奏する側として居続けたい、と。しがないアマチュア奏者に過ぎないし、高望みができる立場も力量もないけれど、それでいいから演奏は続けたい、と。一応、これまでも努力は続けていたつもりだけれど、今後もそれ以上に努力を続けたい、と。現実はなかなかそれを許してはくれないけれども、それでも。


3


 僕がビックバンドに所属して、そして辞めてきた最大の理由は、僕が集団に帰属するということがこれ以上ないほど苦手だから。結局のところそういうことなんだと思っている。だから、今後もビッグバンドをはじめとして特定の集団に所属することはないと思う。単発の企画やエキストラなら時間などが許せば受けると思うけれど、パーマネントを継続するのはいろんな意味で無理だ。
 ただ、人とのつながりという意味で言えば、ビッグバンドをはじめとする何らかの集団にいたことは、大きな財産になっている。それもまた確かなことだ。仕事でも付き合いを最小限に絞っている僕は、こうした音楽上での関わりがなければ人と会うことはなかっただろう。あるいは、社会との接点すら失っていたかもしれない。
 そのことを再確認できた日だった。

 今後も、音楽活動はあくまで趣味であり、上を目指すとか大それたことを思わないことにしたい。あくまでやりたいことを、やれる範囲で、一生懸命精進し続ける。無闇に人間関係を広げようとしたり、演奏活動上の何かを期待したり、そういうことを極力思わないようにしたい。
 もちろん、その過程で知り合うことになった人たちは、僕の財産でもあるだろう。それは忘れないように。ただ、知り合うことやそれを広げること続けることを目的としてしまうと、一気に苦しくなってしまう。それは避けたい。
 いずれにせよ、大切なのは距離の置き方、そして僕自身の日々の生活のあり方だ。

 ただ、懐かしい顔と出会えた一方で、できれば会いたくない人の顔をも拝む結果にもなってしまった。こちらも本当に偶然なので、もう仕方ないと思うしかない。ちなみに、その人とあるSNSで繋がったのが、ちょうどこの日であったらしい。良くも悪くも、縁があったということなのだろう。
 それでも、それを差し引いても、出かけた意味はあった。それでいいと思うことにする。
 
 

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