できること

1

 自分にとっての新年度が、もうすぐ始まる。

 新しい年度から、新しい仕事がひとつ増えることになっている。その打ち合わせの席で、僕にレクチャーをしてくれた人は、僕の質問にこのように答えた。

「方向性を合わせる必要などありません。皆が同じようなことをするなどというのは気持ち悪いと思いませんか?」

 やや強い口調のその返答は、僕に対して何か突き放すような意図があったのかと、その時は思った。そう思ったのは、僕の質問の仕方に問題があったかもしれないという、自省の思いがあったからという側面もある。
 ただ、数日後に、その受け取り方が誤っていたことが、ひょんなことからよくわかった。そのときに起きたことについては割愛するが、件の人は以前とほぼ同じ内容を別の言い方で僕に伝えてきた。

 やらされてやる仕事はつまらないですよ。だから貴方がいいと信じるやり方でやってください。

 そのときに、改めて理解できた。以前、僕にやや突き放すような言い方で伝えたその内容は、僕に対するなんらかの不平やマウンティングなどではなく、彼がこれまでの仕事の中でたどり着いた結論なのだ。
 
 他人の態度や言葉の理解は、受け取る側の都合や事情で変わるものだ。


2

 結局のところ、自分の思った通りにやるしかない。
 その上で、その責任は自分でとればいい。
 極めて当たり前のことだろう。経験から得られる結論なんて、大抵は陳腐なものだ。

 だから、仕事はもちろん、趣味の音楽でも同じような結論になる。
 お客さんが来る来ないにかかわらず、自分のできることややりたいことしかできやしない。もちろん、人を呼ぶ努力はするけれど、それは自分には苦手な作業であることもわかっているので、そこで過剰な期待や苦労はしないことにしている。あくまで自分がやりたいこと、自分ができることをする。それが受け入れられないのであれば、そういう場所からは離れればいい。結果として人前で演奏する機会を失ったとしても、それはそれで仕方ないことだ。
 今、演奏する機会が得られているのは、僕が頑張ったからではない。縁と偶然の賜物だ。そのことに感謝し、自分のできることを精一杯やる。それが僕にできる唯一のことだろう。
 「人を呼べない音楽に価値はない」と言われたこともある。でも、僕にとってはそうなのかもしれないと思うだけ。それで僕の演奏する機会がなくなることがあれば、それはそれで仕方ないことだ。

 人と人との関わりなんて、良くも悪くもその程度なのだろう。


3

 僕は今でも、そのことを毎日のように思い出す。
 それは、やはり僕にとってとてつもなく大きなことだったからだ。

 君にとっては、自分できちんと考えた上での結論だったのだと思う。誠実さに由来する帰結だったのだろうと思う。そこを疑ったことはない。
 それでも、どんなに真剣に考え、どんなに状況に対して誠実であろうとしても、それが他人にどのように受け取られるかは全く別の話だ。自身の誠実さが、他者に誠実なものとして受容される保証などないし、そう受け取らなければならないということもない。だからこそ、人は衝突するし、その結果として「自分が思うようにするしかない」という結論に至るのだ。

 だから、どんなに君が真剣に考えた結論だったとしても、どんなに君にとって「そうしなければならない」ものだったとしても、
 僕は、今、君が音楽を続けていることを、この上なく不愉快に思っている。
 僕が音楽をしている限り、僕と同じ音楽の場にいてほしくない。

 もちろん、僕は君の生き方を制限したり強制したりする資格も権力もない。強制したり制限したりすることが正しいとも思わない。君がどう生きるかは君の自由だ。
 でも同時に、君が自由に行動したことに対し、僕がどう思ったとしても、それは僕の自由だ。そして、不愉快に思うのは理性の問題ではなく感情の問題だ。誠実さや筋とは別のレベルの問題だ。
 少なくとも、君が音楽をすることに対し、僕が不愉快に思うことを、やめることはできそうもない。それは感情の問題だからだ。

 そして、僕が不愉快に思うのは、僕とっては「終わったこと」ではないからだ。
 君はそう思っているのかもしれないが、それはあくまで君の都合であり、僕の事情に意識を払っていないからそう思うだけだ。僕にとっては「終わったこと」などではない。今なお現在進行形の問題なのだ。


4

 結局のところ、人は自分の思うようにしか生きられない。
 その結果として、人を恨んだり恨まれたりするのであれば、それは仕方ないことなのだろうと思う。それを受け入れた上で最悪の事態を避けるくらいしか、できることはない。
 

 

 

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