まやかしの夢

1

このわたくしの内にも、戦乱を求むる心が、確かにあっただけのこと。一度火がつけばもう止められぬ、恐ろしい火種が。
それは、誰の心にもある。ご自分にないとお思いか。

うぬぼれるな!この悲惨な戦を引き起こしたのは、私であり、あなただ。そして、その乱世を生き延びるあなたこそ、戦乱を求むる者。

戦なき世など成せぬ。まやかしの夢を語るな!

 大河ドラマ『どうする家康』で、関ヶ原の戦いで敗者となった石田三成が語った言葉だ。なかなかいい台詞だと思って見ていた。
 おそらく、ドラマの演出としては、石田三成に「戦乱を求むる心」が確かにあり、それを本人も本懐としているというものだったように思う。けれども、その戦乱を求める心は、三成の現実より理想を追い求める指向性によって生み出されたのではないか、そんなふうに想像している。

 おそらく一般的イメージがそうであるように、ドラマ内でも石田三成は、有能ではあるが人心を得ることに不得手な人物として描かれていた。自らが恃む「正論」にを疑わず、それを実現することに誠実であるあまり、自らと思想や境遇を共有しない人物が何を考えているのか理解できない。そういう人物として演出されていたと思う。
 これもまたよくある対比を用いて表現するならば、「理想を追うあまり現実が見えていない」。そういう人物像だったように思う。

 そして、かつては共に同じ理想を思い描いていたと思っていた徳川家康が、どうなら自分の理想とは異なる方向に向かっているらしい。それが三成と家康の亀裂の原因であるように物語られていたように思う。
 もちろん、このとき、両者の理想が異なっていたわけではないようにも思われる。家康はあくまで、三成の態度に賛同できないいわゆる「武断派」たちを、いわば懐柔することで制御しようとしていたのだろう。家康の思惑としては、孤立しかねない三成を背後からフォローするという意識さえあったかもしれない(勿論、なかったかもしれない)。
 この家康の態度は、「政治」としては極めて真っ当なあり方であるだろう。正論を押し通そうとしても、他人がそれについてくる保証はない。むしろ、人は正論よも利害や感情によって動くものだ。それを熟知した上で、他人を自分の思う方向に誘導しようとすることこそ、「政治」の中核をなすものだと僕は思う。
 だが、三成にとっては、この家康の「政治の王道」たる態度こそ、三成自身の理想とは対極にある態度のように思えたのでないか。そして同時に、その態度こそが、三成に対する宣戦布告であるかのように、言い換えるならば「戦乱を望む態度」であるかのように思えたのではないか。


2

 理想と現実は、互いに対立する概念であるかのように、しばしば語られる。曰く、「理想ばかり語らないで、現実を見ろ」。人がこのように語るとき、理想をただ掲げるだけで、「現実的」な対応ができないことの無意味さを、動かぬ真理と暗黙のうちに看做している。そして「現実」という言葉で指し示すものの強力さは、理想という言葉上のものにすぎない武器では、到底立ち打ちできないものであると。だから、「現実」的な対応力を鍛えるべきなのだ。そういう結論になる。
 それは、日常的な経験の範囲では、決して間違いとは言えない。先にも述べたとおり、人は必ずしも正論では動かない。利害や感情に基づいて動くことの方が圧倒的に多い。自らが正論によって動いていると思っている人は、実のところ「その正論が自分にとって都合がいい」からこそ賛意を示している場合がほとんどだろう。もっと偽悪的に言えば、そもそも大半の人は利害や感情と無縁な「正論」を思考できるほど賢くなどない。
 
 だが、よくよく考えるならば、それが本当に現実の描写として正しいのかはわからない。あくまで経験の範囲で正しいと思えることにすぎない。それこそ、何らかの科学的な手法を用いて、その仮説の正しさを証明したわけではない。せいぜい「鋭敏な直観」の賜物であるにすぎないのだ。
 誤解を避けるために付け加えるが、僕はこうした「鋭敏な直観」の持つ意味をかなり高く評価している。文学や哲学の意味は、この鋭敏なる直観を鍛え上げるこで、証明が必ずしも可能ではない事象に対し、最大公約数的な真理の近似値を提示しうることにあると思っている。
 けれども、それが経験に基づく鋭敏なる直観であるにすぎないということは、さらなる鋭敏さ、あるいはより精巧な観測装置によって、反論または反証を提示することが可能だということだ。

 そして、その直観は、次のような結論に達するかもしれない。
「そもそも、利害や感情に基づいて決定がなされる社会のありかたそのものが、根本から間違っているのだ」と。

 
 僕は、このような思考が誤っているとは、必ずしも思わない。なぜなら、公平性を求める社会運動は、いずれもこうした動機に支えられていると思えるからだ。
 そもそも、利害や感情に基づいてなされる決定においては、その時代とその地域における最大公約数的な利害や感情が、結果的に「正しい」ものとして収束する傾向にあると思う。必ずしも「最大」であるとは言えないまでも、さまざまな利害の「落とし所」となることは間違いない。そして、「落とし所」である以上、多くの人の利害や感情と矛盾することはないだろう。
 その帰結として、利害や感情における少数派は、最大公約数的な結論から排除されることになる。そして、その排除は多数派にとって必ずしも害悪とは映らない。なぜなら、それは多数派の利害や感情によって動かされたものである以上、その決定を覆したり相対化したりするための動機付けが存在しないからだ。
 少数派がこうした現状に抵抗するには、利害や感情に訴えることは難しい。いや、感情に訴える方法が、あるにはある。それは、「自分は虐げられた可哀想な立場なのだ」という物語を構築することだ。勿論、それは自分の立場を「少数派」「弱者」に固定してしまうことを意味する。
 そういう立場に置かれた人にとって、「現実」に抵抗しうる「正論」は、極めて重要な武器になるだろう。武器という比喩が正しいのかはわからない。けれども、「正論」に頼る以外に、自分の立場を世に訴える方法があるだろうか。「正論」とて結局のところ「感情」に支えられているのだとしても(そしてその認識はおそらくは正しいのだけれど)、自らに有利な「感情」を他者に引き起こすために、「正論」という通路を取らない方法が果たしてあるのだろうか。

 このような立ち位置の人にとって、「理想ばかりで現実を見ない」という批判は、自らが現実に関わる方法を根本から奪ってしまうことに他ならないのではないか。そして、「現実」的な方法を採択すること自体が、「理想」が「現実」に屈服することを意味することになってしまうのではないか。
 多くの人にとって、「現実」とは「理想」を実現する手段と考えている。だが、ある種の人にとっては、そのような考え方自体、「現実」を「理想」の上位に位置付けるものとして、つまり「現実」による「理想」の支配を行っているように見えるのではないか。
 利害の調整が全てであるような社会、結局のところ多数派の感情によって動かされる社会、そうした社会に忌避感を持つ人にとって、「理想ばかりで現実が見えていない」という批判は、自らの立ち位置に対する根本的な挑戦と映ってしまうのではないか。むしろ、他者から「見えていない」と指摘される「現実」をこそ、「理想」によって解体したいというのが、そもそもの動機なのではないか。


3

 ドラマの石田三成も、家康に対して同じように思っていたのではないだろうか。つまり、自らの理想である「正論に基づく合議的な政治体制」は、家康が行ったような「利害調整や懐柔」をこそ拒絶する立場に他ならなかったのではないか。だからこそ、三成にとって、家康は自らの立場に戦いを挑むものとして映ったのではないだろうか。
 その意味では、三成にとって、自らの理想を実現する方法は、家康を排除することしかなかったのだと思う。結果として戦乱を追い求めることになってしまったが、「現実」に対するアンチテーゼを提示しようとする以上は、本人が述懐するように「戦乱を望むる心が、確かにあった」のだと言えるのではないか。 

 三成は、「理想よりも現実」というテーゼに戦いを挑み、そして敗北した。それは、「現実」の強固さを物語っているものかもしれない。
 だからこそ、というべきなのか、戦いを挑むという選択肢しか取り得なかったことは、何よりも悲しいことであるようにも思われる。


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