ひと仕事終えて
ずっとずっと、関わっている間は全力を尽くしていると思っていた。少なくともそのつもりだった。
けれども、終わってみると、もっとできたのではないか、もっとやるべきことがあったのではないか、そういう思いにかられることになる。一日一日の終わりもそうだし、ある一定のスパンを通してもそう。常にその繰り返し。何度やってもその繰り返し。
そして、申し訳ない気分になる。
もっとも、実際には、その時にはそれ以上のことはできないものだ。つまるところそれが自分の精一杯なのだ。それは努力してもできなかったというより、努力することそのものも、その時の自分にとってはそれが精一杯なのだと思う。時間を遡ってみたところで、自分にできることは変わらない。おそらく。かなりの確度で。
自分にはその程度しかできないという認識はとても辛いことなのだけれど、それでもひとつひとつ終わるたびに、次はもっといいものをという想いにはなる。そのための準備と努力をきちんとしよう、そう思うようにはなる。もちろん、その準備や努力をきちんとできているかといえば、そうでもなかったりはする。次のための準備と努力をするのも能力のうちだ。それがなかなかうまくいかない。
それでも、そう思わないよりはずっといい。いや、良し悪しとは別に、そう思わずにはいられない。
きっとまた、同じことを繰り返すのだと思う。
きっとまた、もっとああできたのではないか、こうすべきだったのではないかと、事が終わってから公開だの自責だのの念にかられることになる。
そうして、一年がまたすぎてゆく。
それでも、前よりは多少は進んでいる、と思いたい。
そう、それに、ひとくぎりではあったとしても、まだ終わったわけではないのだ。
願わくば、僕に関わった人たちの未来に、幸多からんことを。
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