集団からの離脱

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 もう何ヶ月も前になるけれど、長年所属していたビッグバンドを離脱することにした。
 離れることそれ自体は、そのもっと前から考えていたことではあった。けれども、とても恵まれた音楽環境だったこともあり、リハやライブの度に「やはりもうすこし続けてみよう」と思い直してきた。もちろん、続けたことで得たものも多かったとは思う。けれども、その一方で、やはり自分はもうここに居続けるべきではないのだろうという思いも強くなっていた。


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 そのバンドには、立ち上げの段階から所属していた。10年ほど在籍していたことになる。当然、古参メンバーの一人だった。一つの集団にそこまで長く所属したことは、これまでになかったのではないかと思う。

 バンドの立ち上げから参加したのは、別のバンドで共演した人から声をかけてもらったことがきっかけだった。声をかけていただいたこと自体が有り難く、二つ返事で参加を決めた。
 とある実力派バンドの流れを汲む形で結成されたそのバンドは、メンバーの一部にその前身となったバンドの出身者を含んでいた。初めてのリハーサルの際、その前身バンドの元メンバー達の実力を間近で聴き、そのレベルの高さに驚かされた。そういうメンバーの中にいられることが、またその一員として参加を持ちかけられたことが有り難かった。

 やがて定期的に行うことになるライブでは、それまで僕が参加したバンドの中でもトップクラスの集客力を発揮することになる。本当に恵まれた環境だった。当然、それは僕の力で実現したものではない。その実力と実績に、僕のあらゆる意味での力量がどれほど貢献していたか、全くもって自信を持てない。
 それほど、僕にとっては恵まれた環境だった。


 そんな環境に身を置く上で、一つ決めたことがあった。それは、メンバーとはある程度の距離を保っておこう、あまり仲良くなり過ぎないようにしよう、というもの。
 わざわざこんな決意をしたのには理由がある。僕は集団に積極的に関わろうとすると、どうしても何かを抱え込んだり衝突したりして、自分が辛くなってしまうのだ。

 過去にも、そうした経緯から所属集団からの離脱を決めたことがあった。責任ある役職に就いてその重さや現実との調整に疲れたり、意見交換をすべきなのだろうと判断してやってみたところ、結局言い争いになってしまったり。目標を共有したり調整したりすることも難しかった。そうして、結局のところ居づらくなり、離脱してしまう。勤めていた会社ですら、似たような経緯で数年で辞めてしまったほどだ。会社では衝突はしなかったけど。
 僕はどうやら、集団と積極的に関わり、その中でうまくやっていく能力を決定的に欠いているようなのだ。だから、集団の一員であろうとすると、ある程度距離を置くようにしないといけない。集団の一員であろうとしてはいけない。集団の向かう先と自分自身のそれとを重ねてはいけない。一員でいるために、集団と距離をおかねばならない。
 矛盾するようだけれど、それがいくつかの失敗を経て辿り着いた、集団に参加する上での自分なりの身の置き方だった。

 

3

 そんなわけで、実力と人気を兼ね備えたバンドの中で、僕はやや距離をとった立ち位置のままいつづけた。そうしないと居続けられなかっただろう。
 そんな僕を集団の一員と認めてくれていたのは、その集団のメンバーが寛容だったからに他ならないと思う。

 けれども、そうだったからこそ、こういう立ち位置で集団に参加し続けることが辛くなっていった。特に集団内部での一体感を求められると、僕にとってはどうしても難しい。そうした価値観を受け入れ積極的に周囲と関わろうとすると、絶対に辛くなるのはわかっている。集団のために何かをしようとすると、自分自身との違いばかり目について、集団にいられなくなる。
 僕自身にずば抜けた音楽の能力があれば、まだ集団内での自分の価値を見出せたかもしれない。けれども、流石にそんな能力はない。そもそも、参加しさせてもらってよかったと思えたのは、自分よりもはるかに上手で、はるかに音楽への造詣が深い人たちに囲まれていたからなのだ。
 でも、そういう人たちと音楽を共にする恵まれた環境を維持する上で、僕から提供できるスキルは何一つない。集団を維持し構成していく作業が、まさに僕が集団にいられなくなる理由に他ならないのだから。

 結局のところ、その集団の一員ではいられなくなるのは、必然だったのだろうと思う。単に、その時間が来るのが早いかどうかの違いでしかなかったのだろう。僕はどう足掻いても、集団の一員としてうまくやっていく力を根本的に欠いているのだ。自分を卑下するわけではなく、ごくごく素直にそう思う。



 振り返ってみれば、会社とも、家族や親族とも、そして職能的な集団とも、労働組合のような組織とも、うまく折り合いをつけて関係性を築くことはできなかった。僕はそういう類の人間なのだと思う。集団の一員として何かをなすことは、僕にはとてつもなく難しいことなのだ。だから、そうではない生き方をなんとか見つけ出し、そうやってなんとか他者と、そして社会とつながっていくしかないのだ。
 趣味の音楽にしても、それは同じことなのだ。そうやって、自分の限界を見据えた上で、なんとか生き残るしかない。限界を越えようとする時期ではない。そもそも、越えようとするならそこではない。


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 今にして思えば、自分の分を超えた世界だったような気がする。
 集団に所属していること自体、すでに自分の分を超えていたとも言えるけど。

 だから、その場にいさせてくれたことには、感謝しかない。
 最後のほうは、もうちょっと辛くなってしまっていたけれど、それでも感謝しかない。自分の力では到底見ることのできない景色を見せてもらった。ほんとうにほんとうに貴重な体験だった。
 ほんとうに、どうもありがとう。

 僕はもう少し、楽をすることにする。努力をしないという意味ではなく、自分の分を超えるような真似はしないことにする。挑戦をするにしても、あくまで辛くならない範囲でという条件のもとでやることにする。
 仕事ではなく、好きでやっていることなのだから。それが僕にとって正しいありかたなのだから。

 

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