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人のぬくもりを、愛す

「おはよう」
「ただいま」
「ありがとう」

その言葉に、私達はどれだけ救われているのだろう。
普段、当たり前に感じている日常は、ある時失ってからその存在に気づくものだ。
日常とは、家族とは、何にも変えがたいものなのだと。

今日、私は市内にある総合病院を訪れた。
自宅から、電車では1時間。
車でも40分はかかる。

先月まで徒歩5分の総合病院に入院していた義母が、今月から転院になったのだ。

もともと、入院したのは突然だった。
転倒による骨折。
いつもお世話になっている、介護施設で起きた出来事だ。

幸い経過は順調だった。
足にボルトを入れてもらい、手術の翌日からリハビリをスタート。
義母は寂しがり屋だが、性根はとことん強い人だ。
今までの人生も、歯を食いしばってっ食いしばって、生き抜いてきたに違いない。

痛みに耐え、孤独と戦いながら、毎日頑張っていた。
そして、約一ヶ月の療養期間を経て、本格的なリハビリのために転院した。

転院の日、私達は不安でいっぱいだった。
そのときに入院していたのは、自宅から徒歩5分の総合病院。
二次救急に指定されおり、地域での実績も大きい。
テレビや雑誌で取り上げられることもある、何申し分ない環境だったからだ。

義母はそこに度々お世話になっていたし、私も出産で2回入院したことがあった。
私自身、対応に不満はなかった。

しかし、今回の入院に当たっては不可解なことがいくつかあった。

義母は認知症持ちである。
短期記憶が苦手で、同じ話を繰り返す。
家族がいないと不安になるため、家に帰りたがる。
何でも自分でやりたい性格のため、歩けないのに歩き回ろうとしてしまう。

安全管理上必要な措置として、ベッドにいる時は胸にベルトを装着して、起き上がりと離床の制限を受けていた。
実際そうしていないと、またベッドから起き出して、転倒しかねなかったからだ。

しかし、私が見舞いに訪れると、ベッドにいるはずの義母は車椅子に座っていることが何度かあった。
「気分転換かな?」
と思っていたが、ただただ車椅子に座っているだけにしか見えない。
本人に聞いても、なぜそうしていたかわからない。

しかし、転院のため午前中から入院病棟を訪れて、私は現実を見た。

退院手続きのため、朝一で病棟を訪れた私。
すると、義母は車椅子に乗って部屋の入り口付近にいた。
何やら憤慨している。
どうも、ナースコールを鳴らしても、誰も来てくれなかったようだ。
ナースステーションに声を掛けたら、すぐに若い看護師さんが来てくれた。
トイレ介助をお願いすると、看護師さんはものも言わずに義母の車椅子を操ってトイレへと消えていった。

私は唖然とした。
車椅子に座っている当人に断らずして、車椅子を操作する医療関係者というものを、初めて見たからだ。

義母は話好きだ。
認知症があるとはいえ、受け答えは出来るし、日常会話に困ることはない。

その後、退院手続きのため着替えをしたり、会計をしたり、荷物を片付けたり、私がいそいそと支度をしている間にも、義母はまたトイレを訴えた。
大して時間は経っていないが、緊張するから仕方ないのだ。

再度ナースコールを鳴らしたが、待てど暮せど誰も来ない。
誰も来ない。
廊下を通る看護師さんは見えるのに、誰も来てくれない。
誰も来てくれないだなんて、私には信じられなかった。

ナースコールを鳴らし続けて5分後くらいに、ようやく一人の看護師さんが来てくれた。
が、先程と同じように顔も見ないで声も掛けずに、ゴロゴロと車椅子を転がして行ってしまった。
この日に退院じゃなかったら、私はきっとナースステーションにありのままの現状を訴えたと思う。

しかし、その日は退院で私達は急いでいた。
手続きが済むと同時に、介護タクシーに乗り込んで転院先の病院へ。

転院先は、自宅からは離れてしまうし、病院の規模は小さくなるし、なにより初めてだったのでとても不安だった。
寂しがりやで、家に帰りたいと私に何度も繰り返す義母が、ますます孤独になってしまうのではと思っていた。
怖かった。

タクシーを降り、すぐに入院手続きをして病棟へ。
ここでも、義母はトイレを訴えた。
看護師さんには申し訳ないと思いつつ、病棟につくなりトイレの介助をお願いした。

すると、初対面の看護師さんはにっこり微笑んで義母に挨拶してくれた。
「こんにちは。お手洗いご案内しますね。よろしくお願いします」

その声かけに、私はどれだけ安心しただろう。
実績のある病院を退院し、知らない病院にやってきて、初めて出会った看護師さんはとても優しい方だった。
しかし、その方が特別なのではなかった。

その病院では、会う人会う人、みんなが温かく接してくれた。
先生も看護師さんも、義母に向かって話してくれた。
必ず目線を合わせてくれた。
細かい言葉掛けや、配慮を大切にしてくれた。

介護をしているとわかるのだが、介護される側の気持ちを考えないと、行動が伴ってこないものだ。

手が届かないところは支える。
体位変換が難しいなら、手伝う。
着衣が乱れたら、さり気なく整える。
ボタン掛けに手間取っていたら、手を貸す。

もちろん、何でもかんでも手伝えばいいってもんでもない。
本人の状態に合わせて、必要なケアを提供するのが介護者の務めだと思う。
なんてことないことだが、急がしさにかまけて怠りがちな部分でもある。
私自身も、自宅に義母がいるときにはなかなかでき無かったと反省すべきところだ。

ところが、この転院先の病院では誰もがその「当たり前」を忠実に守っていた。
ナースコールが鳴れば、どの部屋にもすぐに看護師さんが駆けつけた。
皆さんほがらかで、気持ちよく接してくれる。
義母ががつじつまの合わないことを話しても、優しく頷いてくれる。

私は医療従事者ではないし、治療内容や経過については、なんとなくしかわからない。
でも、この病院には義母を任せたいと思った。
認知症で不安に駆られがちな義母に、尊厳を持って接してくれると思った。

自宅から5分の総合病院にいたとき、私は毎日お見舞いにいっていた。
毎日1時間、義母の話しを聞いていた。
しかし、義母は行くと涙を流し、帰りたいと零していた。
寂しかったのだと思う。
ベッドから動けず、ナースコールを待つということ。
どのような毎日だったのか、今思うと苦しい。

今日、4日ぶりにあった義母は、とても落ち着いていた。
リハビリの時間が増え、毎日忙しく過ごしているようだ。
明瞭に話し、笑い、リハビリのことを教えてくれた。


この病院に来てよかったと思った。
こちらの病院では、離床管理をセンサーで行っている。
義母は、ベッド上で自由に寝起きできる。
センサーが頻繁にナースコールを鳴らしてしまうけれど、それでもいいと看護師さんは言う。

とても手がかるだろう。
口で言うほど、楽でないことは誰よりもわかる。
だからこそ、感謝の念が止まらない。

人の心を癒やすのは、人の心なのだ。
痛みを和らげるのは、人のぬくもりなのだ。
ほんの些細な心がけが、義母の精神を穏やかに保ってくれている。
認知の低下も、免れている。

医療だけではない、そこに働く人のぬくもり。
義母は一度に歩ける距離が伸び、在宅復帰も視野に入ってきた。
この歳で、一つ一つ出来ることが増えていく。
出来なくなったことを数えていた日々が、嘘のように。

昨日は、娘がバレンタイン用に作ったチョコレートがけクッキーを、美味しそうに食べていた。
クッキー1つに喜びが止まらない。
「美味しいねぇ。すごいねぇ」
そう褒めちぎってくれた。
私も嬉しかった。

家族は尊い。
帰りがけ、義母がリハビリに励む様子を眺めながら、私も覚悟を新たにした。
義母はまだまだ元気になれる。
また、家に帰る日がきっとくる。

私達は、義母の帰りを待とう。
「おかえり」
と、みんなで喜び合う日を。
私達は家族なのだ。
今は、5人で1つの家族なのだ。

だから、私も現実を見よう。
義母の笑顔を支えていこう。

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