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この1枚が撮れたから
ローラのことは、モデルをメインに活動していた20代の頃から知っている。この日、7年ぶりに彼女を撮影した。
東京を離れ、3人の子供を育て、大人の顔になった彼女だけれど、10歳以上年上の私には、20代の頃と同じように、あどけなくはしゃぐ姿もみせていた。
ここにはそんな今の彼女が写っている。カメラのモニターにこの写真を見とめたとき、“撮れた”と思った。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/142097679/picture_pc_ee6660b3b54cafc168015b2f5baacabb.png?width=800)
この日は、私の写真教室で使う作例を撮影していた。その本来の目的とは違うのだけれど、この写真を撮るために今日があったのかもしれないと思えた。
むかしブライダルスナップの仕事をしていた頃のこと。ベストショットが撮れると、一緒に現場入りしている私に見せにくる同僚がいた。
披露宴会場で待機していると、おもむろに近づいてきて、「ほらっ」って、カメラのモニターに映った写真を私に見せる。そこにはたしかに、花嫁さんに見せたら声を上げて喜ぶであろう瞬間が写っていた。彼はニヤけた表情で、これが撮れたから今日はもう満足だと言うのだ。
もちろんそのあと本当に手を抜くなんてことはなくて、その瞬間の気持ちを素直に私に告げただけなのだ。
写真家の植田正治は「生涯アマチュア」と言っていたそうだけど、その精神は彼に限ったことではないだろう。カメラマンは、仕事の撮影であっても、プロ意識だけじゃなく、写すことを楽しんでいる自分を、どうしたって捨てられずにいるものではないだろうか。
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