見出し画像

Do you want a New Life ?―キム・ギドク監督『絶対の愛』

 「もし自分の鼻が1日1ミリずつ伸びていったらどうなるだろう。何日たつと自分の顔は見分けがつかなくなるだろう?」

 ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』で、主人公の一人である女性テレザは大きな鏡の前で問いかける。上の台詞の後、クンデラはこう続ける。

 「そして、体の部分が大きくなったり、再び小さくなったりし始めて、テレザとまったく似つかないようになっても、まだ自分自身なのだろうか。まだテレザは存在するのだろうか?」
(『存在の耐えられない軽さ』第4章「心と体」より)

 キム・ギドク監督『絶対の愛』(2006年)に登場する人物の場合、「鼻が1日1ミリ」どころではない。整形手術で全くの別人になってしまうのだから。

 『絶対の愛』は、自分の顔を変えてでも好きな男にずっと愛されようとする女性をめぐる物語。美容整形大国・韓国らしいテーマかもしれない。
 セヒ(세희。パク・チヨン)は他のキム・ギドク作品の人物同様、過剰な情念の持ち主で、彼氏のジウ(ハ・ジョンウ)と付き合い始めて二年になるが、彼に飽きられていると思い込んで極度の不安に陥る。それでジウと連絡を完全に断ち切り整形手術へ。半年後、ジウの前には美貌の女・スェヒ(새희。ソン・ヒョナ)が現われる…。

 ジウは元カノのセヒのことを忘れられない。だけど新たに現れたスェヒにも惹かれる。でもやっぱり、セヒからの手紙をもらうとセヒの元へ舞い戻ってしまう。そんな彼の心の揺れに対し、セヒはスェヒに嫉妬し、スェヒはセヒに嫉妬する。

 種を明かすと、このセヒとスェヒは同一人物で、セヒが美容整形ビフォア、スェヒが美容整形アフターなのである。セヒが入った整形外科の看板には「Do you want a New Life ?」という魅惑的な文句が記されていた。セヒは文字通りのニュー・ライフ、「スェヒ」としての新たな生を獲得したが、それゆえに自分が何者なのか分からなくなってしまう。

 キム・ギドクはインタビューで次のように語っている。

 「確かに整形手術というのが題材としてありますが、直接的なテーマではありません。あくまでも私は“愛”を描きたいと思っていて、その手段の一つとして整形を取り入れたんです。つまり、顔が変わったら愛も変わるのだろうか、あるいは愛というものは永遠のものなのだろうか、という問いかけをしたかった。ですから、これは整形に対するアンチテーゼですよ、とか整形を擁護するものですよ、のどちらでもありません」

 キム・ギドクは美容整形を通して、人間にとって「容姿」とは何か、あるいは「愛」とは何か、というテーマに加え、人間の存在とは何かという壮大なテーマをぶち上げている。

 最初に引用したクンデラの「まったく似つかないようになっても、まだ自分自身なのだろうか」という文章には次のような続きがある。

 「もちろんそうだ。テレザがテレザと似ても似つかないようになっても、心は同じままで、自分の体に何があったのか驚きながら見つめるだけだろう。」
(『存在の耐えられない軽さ』第4章「心と体」より)

 しかしセヒ=スェヒはクンデラの登場人物のようにはいかない。体が変わって心も変わった。人間の心はもろいのだ。

 セヒ=スェヒは、「永遠の愛」を望んだがゆえに、「存在の耐えられない軽さ」に苦しめられ、次第に狂気じみた世界へと陥っていく。

 『絶対の愛』にはまた、「時間」とは何かという問題(『絶対の愛』の原題は『時間』)も潜んでいる。

 ネタバレになるから『絶対の愛』の結末は書くわけにはいかないが、私たちは映画を観終わった後、こうしたテーマについて、閉じた円環の中で、答えのない答えを永遠にグルグルと考え続けなければならないのかもしれない。

(※2007年12月9日に書いた文章を基にしています)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?