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ばあちゃん

この度新たに『8Links』に参加してくれた桜子さんは私がお誘いしました。

夕貴さんのキーワード「桜▪3月」を受けて「あ、、、」と思っていたら、桜子ちゃんからLINEが。

LINEでの会話中、桜子ちゃんが「おばあちゃんと女の人が見える」と。
この前は、普賢菩薩と不動明王だったけど。

その姿かたちから「それ、私のばあちゃん」じゃん。腰からの白いエプロン。方言が凄くて解らないって(笑)

ばあちゃんの思い出

昔住んでいた家はもう更地になっているけど、名義はまだ兄。
その家に行く夢を見ることがよくあって、何故がその夢はよく覚えていた。

ばあちゃんの話はしょっちゅう娘にはしていたけど、私がばあちゃんに気づかないから、桜子ちゃんに伝えてきたのだ。


尊敬する父の母親であるばあちゃんとは一緒に住んでいて、このばあちゃんが大好きだった。

お嬢様気質の母が、長男の父の元に嫁いだ時には妹が4人。弟が1人。いわゆる小姑。
一番下の妹は父と14歳離れていて、私の姉とは姉妹のように仲良くしている。

下の2人(妹と弟)は高校卒業後に東京に行った。3番目の妹が結婚した時に私は2歳くらいで、家で白無垢を着て座って一緒に撮った写真がある。

結婚式の集合写真は白黒で、父が私を抱っこしている。5年程前に母がそれを見つけて私にくれた、、、(と思ったらすぐ、やっぱ返してって言ってきた笑)

めっちゃ可愛い。私‍www


ばあちゃんは私が10歳の時に69歳で亡くなった。今の69歳ってすごく若々しいけど、当時の田舎のばあちゃんは60歳でしっかり「ばあちゃん」だった。自分の事を「オレ」という。

髪は自分で真っ黒に染めてたし、総入れ歯だったし。入れ歯が洗面所に置いてあって、ばあちゃんが入れ歯をはめる瞬間を見るのが、何か好き。美味そうだな、って‍w

ばあちゃんは朝3時に起きて新聞配達をしていた。帰ってくると朝ごはんを作って、掃除が終わると一休み。10時に『大江戸捜査網』を見る。

そのあと畑に行く。休みの日は「おめも行くか」と誘われ私もついて行った。2人でチャリで。ヘビがいたりモグラの跡があったり。

何を作ってたのかはよく覚えてないけど、菊と枝豆をもぐのは子供の役目。
地元名産の『かきのもと』という綺麗な紫色の菊。同じく名産の枝豆。

農家では無いので自家菜園っていう程度の畑。どこの家でもやっていたと思う。

昼に帰ってきてお昼ご飯を食べると、昼ドラを見る。昼ドラを見て涙を流したばあちゃんにびっくりした。笑ってるとこしか見たことがなかったから「え!ばあちゃん泣いてる?」

ばあちゃんから学んだこと

夕食を午後3時頃から作り始める。
「味噌もってこい」「米といでおけ」これが私のお役目。
ばあちゃんの手作り味噌が入った樽が玄関に置いてある。


「味噌の上のしーれ(白い)の、カビだけど。味噌のカビはいいカビだっけ捨てんなよ。混ぜてこい」

梅干し(もちろん手作り)の中からシソを取り出し、絞って包丁で細かく叩く。
それをご飯に混ぜてゆかりご飯にして、おにぎりにしてくれた。それが、おやつ。

大根の千切りにこのユカリを混ぜたり、鰹節と醤油を混ぜたり。

毎朝の納豆は大きな器に入れてネギを混ぜる。味付けは私。
今みたいな小さいパックではなく、皆で回してご飯に乗せて食べるシステム。

鰹節はあの香しい塊を毎回自分で削って使う。そんなに要らんってくらい削るのが楽しくて♪お手伝いしろと言われたことはなく、自ら台所に行っていた。

姉は好き嫌いが多くて、兄もあまり食べない人だったのでよく食べる私の事をばあちゃんは可愛がってくれた。

「おめがいっぺこと食べるの見んのがいっちばんいいて((直訳➡あなたが沢山食べるところを見ることがいちばん嬉しいのよ))」

私の腹を「ほーれ!スイカみてらねっか(みたいだね)(笑)」とポンポンと荒れた厚い手で叩く。

皮が厚くなった手のひら。足の裏。
踵の硬くなった場所を糸切りばさみで切る。

マムシ本人があからさまにそのまんま瓶に入ったマムシ酒があって、薬としてつかう。
何でも治る。蚊に刺された時も。くっさいけど。

砂利道で転んで膝に石が挟まってパコーンと割れて血が出て泣いて帰った時に
「泣くめ(泣くな)!マムシつければ治る」
と言われ、ピタッと泣き止んだ。怖かったわけじゃない。納得したのだ。

母はこのマムシが大嫌いで、ばあちゃんが亡くなってから紙で巻いて見えないようにして台所下に入れておいた。

息子である私の父親が、単身赴任から帰ってきたと同時に末期ガンで入院。
最期の瞬間

「親より先に死ぬのが一番の親不孝だ」


と涙を流した。


2度目のばあちゃんの涙。
父の死を見ても実感が湧かず悲しみが無かったが「泣かないばあちゃんが泣いてる!」という感情で私は泣いた。

私の目標はこんなばあちゃんになること。
ばあちゃんみたいになりたいと、ずっと思ってたんだった。

母は「このばあちゃんだったから、私がやってこれたんだわ。おおらかな人でほんとに良かった」と。

褒めすぎた?ばあちゃん。褒めすぎると照れるだろ(笑)

ドラマ好きもお笑い好きも、料理好きも、人と喋るのが好きなのも、いつも笑ってるのも、ばあちゃんのおかげ。

「へーいいて(もういいよ)」
と言われたような気がするので終わりにします(笑)

『桜▪3月』

ばあちゃんの誕生日は私の誕生日の次の日。
3月11日。
❀桜❀子ちゃんが気づかせてくれた婆ちゃんの存在。
私が名付けた娘にも❀桜❀が入っている。

ホントに【繋がり】に感謝します♡
皆さんありがとうございます。
これからもよろしくお願いしますm(_ _)m















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