宝塚歌劇月組公演 『THE LAST PARTY ~S.Fitzgerald's last day~』フィッツジェラルド最後の一日

S席のチケット代8,800円は実質無料と感じるのに、5,000円を超えるオペラグラスを高いと感じてしまいなかなか買い替えに踏み切れない前髪パッツンと言えば霧里です。
こんにちは。

6月に宝塚歌劇月組公演 『THE LAST PARTY ~S.Fitzgerald's last day~』フィッツジェラルド最後の一日 を観劇してきたのでその時に感じたことなど。

あらすじ
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ジャズエイジの申し子として波乱の人生を送る運命を背負い、夢と挫折の中でひたすらに光を追い続けた男──代表作『華麗なるギャツビー』をはじめアメリカ文学に偉大なる足跡を残した作家、スコット・フィッツジェラルドの物語。
1940年12月21日、ハリウッドのアパートメントの一室。スコット・フィッツジェラルドが心臓発作のため急死。一夜にして時代の寵児となり、栄光に包まれた1920年代はもはや過去の夢となり、経済的にも社会的にも不遇なまま突然に訪れた、それは淋しすぎる最期だった──。
貧しい家庭に育ったコンプレックスと野心、美しい妻ゼルダへの愛、友人ヘミングウェイとの確執、激しく生き、一流の小説を書きたいともがき続けた彼の心に、最後に残ったものは…。夢溢れた華やかなりし時代と、そして、大恐慌後の闇と孤独との間で、フィッツジェラルド人生最後のパーティーの幕が開く。
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雪組出身のれいこさん(月城かなとさん)主演作ということで、立派に成長した我が子を見守るような、自分の立ち位置が謎の気持ちで久しぶりの日本青年館へ。

スコット・フィッツジェラルドといえば、「華麗なるギャツビー」というくらいしか知識がなく、1920年代のファッションが好きな霧里はひとまずお衣装を観ているだけでも満足に違いない♪とチケットを確保したのでありました。

現代の役者が劇中劇を演じるように始まり進んでいく演出で、出演者達はどこからどこまでがフィクションで、どこからどこまでが実際の自分なのか分からなくなることはないのだろうかと心配になるような、それほどの熱演でした。
最後に、それぞれが自分の演じた役の人物へ向けての言葉を口にするシーンはひたすらに涙が止まりませんでした。
こういった、二番手・三番手さんの東上公演(関西と関東で上演される別箱公演)は下級生までセリフを貰えたりするのも見どころのひとつ。
月組の生徒さんを詳しくは存じ上げない霧里でも、全員で一丸となって、この公演を作り上げたんだな、ということをその熱演で感じました。

専科の悠真倫さん演じるマックスが、スコットの印税前借を断るシーンは何とも胸が痛く、しかしこれが悠真さんならではの重みなのだなと感じた1シーンでした。

それから、個人的には夏月都さん演じるスコットの秘書、ローラが素晴らしかったです。
彼女の登場で和やかな笑いが起きて、スコットにもこういう和やかに笑う時間があっただろうか、と感じさせました。
だからこそ、彼女が去るシーンが切なく生きてきて…。
その差も素晴らしかったです。

そして、海乃美月さん演じるヒロインのゼルダ。
金髪のボブが、信じられないくらいに似合っていて!本当にこの世のものとは思えず…。
彼女の美貌なくしてこの作品は成立しなかったと思います。
だからこそ、フラッパーガールとして享楽に溺れる姿ですらもなんだか納得してしまう。
だからこそ、後半の彼女の姿は胸が痛くなりました。

何より、れいこさん。
大衆に媚びをうる短編小説なんて生活費を稼ぐ為に嫌々書いているだけ、本当に書きたいのは崇高な芸術である長編。
その葛藤。
愛する妻と、その妻が心を病んでいく様。
その葛藤。
そして、スコットは最後に何を思っていたのかと自問自答する舞台の上で役者を演じる。
その葛藤。

出演者と役が錯綜するようなこんな演出のお芝居を、この規模で成立させてしまえることの驚き!
200-300人規模の劇場でやるお芝居ではそういった演出の作品を度々観てきましたが宝塚で目の当たりにしたのは初めてでした。
出演者達は、その役とその役を演じた役者という二人を舞台で演じるのですから、いかにその役作りを掘り下げることが困難か…。

特にれいこさんはスコット自身の葛藤と、スコットを演じる役者の葛藤を見せるという難しい役どころ。

れいこさんの初主演作、バウ公演の「銀二貫」も観劇させていただきましたが、あの作品もそういえば、静かに葛藤するお役だったな、と胸が熱くなりました。

また、スコットの葛藤は表現者、創作者、アーティスト、クリエイター、そういった人々に共通するものではないか、と胸を痛めながら観ていました。
周りから求められるものと自分が求めるものの乖離。
それを埋めていくことは並大抵ではないはず。

霧里は今まで、求める側・周りにいる側であったのですが、こうして調香師としての活動をしていくにあたって、いつかぶつかる壁なのかな。と少しだけ、考えました。

この作品はきっと、れいこさんにとって大きな糧となった大切な特別な作品となるでしょう。
そんな作品をリアルタイムで観劇出来たことはとても幸せだと思いました。

今後も、観劇などの感想も書いていきたいと思います。

では、また

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