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ルーツを知ること

大家族フォーサイス家 のJoeです。

フォーサイス家と同じく、僕にはオーストラリア人の父親と日本人の母親がいます。高校卒業まで福岡で生まれ育ち、オーストラリアの大学に進学しました。

オーストラリアで時間を過ごすことで、「オーストラリア人」としてのアイデンティティが強くなるのではないかと思っていました。しかし、父親はオーストラリア人でも、オーストラリアで幼少期を1年しか過ごしておらず、言葉はできても現地の人のノリや冗談になかなかついていけませんでした。正直、自分が何者なのか分からなくなりました。

そんな時、歴史学者である伯父(父の兄)からある話を聞きました。伯父のMikeは、家系学が専門の研究者で、1787年にイギリスからオーストラリアに最初に移民してきた人々のルーツをデータベース化しています。

以前祖母が「イギリスの王家に仕えていた祖先がいる」と誇らしげに語っていたのと、僕の苗字はアイルランド系なので、祖先はイングランドやアイルランドだろうと思っていましたが、興味を持ったので聞いてみると、西アフリカから奴隷としてカリブ海に連れて行かれた祖先がいると言うのです。

裏付けとして祖母のDNA鑑定の結果も取っているので、僕はほんの1%ですが、紛れもなくその方の子孫であることを知りました。

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この事実を知り頭をよぎったのは、学校で習った「三角貿易」です。三角貿易というのは、17~18世紀にヨーロッパ諸国が行っていた、ヨーロッパ本土とアメリカ大陸および西インド諸島とアフリカ大陸を三角形に結ぶ、大西洋上の貿易のことです。高校受験で覚えたこの知識は、全く感情を持ち合わせない形で頭の隅っこに格納されていました。

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西アフリカの人々が貨物船に詰め込まれ、カリブ海の島々に連れて行かれる道中に劣悪な環境下でその10%以上が命を落としたそうです。生き残った者たちも売買され、カリブ海のプランテーション(大規模農園)で奴隷として働かされました。
僕の祖先はジャマイカに連れて行かれたそうです。

伯父の話を聞いた数年後、カリブ海はキュラソー、そしてキューバのかつてプランテーションだった場所を訪れました。現在も広大なサトウキビ畑が広がっており、キューバは特にラムの生産地として知られます。かつてのプランテーションのオーナーの家は奴隷貿易の歴史を学ぶ歴史館になっていました。このカリブ海で奴隷主と奴隷という立場の祖先がいたと言う複雑な心境の中、説明員の話を聞きました。

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時は流れ、第二次世界大戦になると、母方の家族(日本)と父方の家族(オーストラリア)は敵国同士でした。オーストラリア北部のダーウィンやブルーム等が日本軍による空爆を受け、シンガポールやパプアニューギニアなどでも日豪両軍は激戦を繰り広げました。双方に戦死した家族がいます(オーストラリア側の家族にはティモールで日本軍と戦い戦死した人もいるそうです)

僕が知りうる限りでも、このような歴史を経て自分が生まれたと考えれば感慨深いです。もはや自分が「何人なのか」という次元の話ではなくなりました。自分のルーツを知ると、自分の代まで紡がれてきた命の尊さを実感します。

同時に「歴史は繰り返す」と言うので、自分の子孫に奴隷として扱われることや、戦争で命を落とすことが起きないように、将来自分の子どもにルーツを伝えたいと思います。


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