これが私の勝負服/高知遠征12日目


実家から、私の勝負服が届けられた。

見覚えのある段ボール箱には直接伝票が貼られており、品目のところには母の字でご丁寧なことに『衣装』と記されている。

私はため息を吐いた。

今回、ルドルフの気転で急遽参加することとなったミニライブだが、実のところを言えば、それに参加するのはやぶさかではない。私だって、ここよりも大きなステージを何度も埋めてきたのだ。ダンスも歌も、まだ忘れたつもりはない。

問題があるのは、この衣装なのだ。

「早く!トレーナー、早く開けてみてよ!トレーナーの勝負服どんなのかなぁ?」
「そうだぜ。アタシらの勝負服と合わせた時の見栄えってのもあるんだからな。早いとこ開けて、着てみろよ」

ウララとテイオーが私を急かすが、気が重い私はなかなか手を伸ばせずにいた。

「見栄え、ねぇ」
私は独り言のように呟く。
「まあ、目立つのは保証するわよ」

心の中で何度も「仕方ない」と繰り返しながら、私は箱を開けた。

「あーっ!?セーラー服だ!?可愛い!」

真っ先に声を上げたのはウララである。まあ、言っていることに間違いはない。真紅のタイで彩られた濃紺のセーラー服は、当時の輝きを未だに保っていた。母の手入れのおかげだろう。

「びっくり!すっごいかわいい!意外だなぁ、もっと迫力があるヤツかと思ってたよ!本当かわいい!かわい──かわ──え?」

それまで『可愛い』を連呼していたウララの口が、開いたまま止まった。セーラー服の背面、そこに施されたドギツい刺繍の文字にようやく気づいたのだろう。
「ほう、これは──」
その刺繍の文字に、ルドルフが興味深げに顔を寄せ、顎を撫でた。
「すっげぇ......こいつぁ、アタシでも初めてお目にかかるシロモノだぜ......」
テイオーが、さも感心したかのように持ち上げたスカートを眺めまわし、視線を上下させている。

無理もないだろう。私の勝負服は、セーラー服にロンタイなのだ。そこにチェーンを模した腕飾りと、中央にスカル柄の入ったマスクが付き、その暗黒面をさらに闇深いものにしている。スカートの左サイドには『天上天下唯我独尊』という刺繍の文字。右サイドには般若の面とのたうつ蛇。さらにセーラー服の背面には、デカデカと「羅刹女」の文字が刺繍で施されているが、それはウララが見た通りだ。
念のため断りを入れておくと、これは私のセンスではなく、当時ユニットを組んでいたたづなの趣向に合わせたものである。当時から思ってはいたのだが、彼女の美的センスはまるで暴走族のそれに等しい。

「えーっ!?トレーナーって、スケバンだったの!?」

私の心のみぞおちに、ウララが真正面から極太の杭を打ち込んでくる。ふらつく脚を踏ん張りながら、私は即座に否定した。
「違う!これはあくまで勝負服!その.....えーとね、何というか!当時はこういうのが流行ってたの!そういう事なの!」
「なあ、ヨーヨーとか持ってたんじゃないのか?」
「持ってない!そもそもモチーフが違うし!」
「カミソリは?」
「持ってません!」
「木刀は?」
「う......それは......持ってました。パドックで」
そう口ごもる私を見ていたウララが、そこら中を転げ回って笑い出した。ルドルフとテイオーも、手を叩き膝を叩き、壁に身を預けつつ脇腹を押さえては笑い続けている。
私はフンと鼻を鳴らした。若気の至りというものは誰にでもあるのかもしれないが、私は今まさにその恥部を弄られて、顔から火が出るような思いがした。

「しかしまあ、なんだ」

いい加減笑い疲れたのだろう。テイオーは私の勝負服を丁寧にハンガーに通すと、壁にかけた。その両隣りには、既にテイオーとルドルフの勝負服がある。

「ぜんっぜん、合わねぇな......」

その忌憚なき意見には、私も頷くしかなかった。ルドルフに至っては、手のひらを上に向けて、肩をすくめている。ついに声さえ枯れ果てたとでもいうのだろうか。

テイオーの指摘は的を得ていた。
ルドルフの勝負服は、濃緑色の軍服を基調とした重厚なデザイン。
テイオーの勝負服は、羽織袴にサラシという、和を取り入れてさらに傾いたド派手な趣向。
そして私は鎖とマスク、漢字満載の刺繍を施したセーラー服という、極悪非道のスケバンルック。

なるほど。見栄えも調和もクソもない。

「そうだ。ウララはどうするんだ?」
テイオーが思い出したかのようにそう言うと、ウララはキョトンとした顔で返事をした。
「え?わたしは今の季節だと、ジャージの短パンと半袖だよ?ダメかなぁ?」
それを聞いた私はルドルフの顔を見た。ルドルフはテイオーの顔を見た。そしてテイオーが私の顔を見た時、私はパチンと指を鳴らした。
「よし、それでいこう」
「え?」
私はウララに言った。
「皆んなでウララに合わせるのよ。それが一番いいわ」
ルドルフとテイオーも、私の提案に同意するように頷いている。
「わざわざ本家から郵送したってのに、結局ジャージってのもなんだけどな。まあ、それが一番調和がとれるだろ」
「中央に連絡して今から取り寄せる時間はないな......商店街にスポーツ用品店があった筈だ。我々のサイズなら、苦も無く探せるだろうさ。今回限りの使い捨てになるかもしれないから、出来るだけ安いのにしよう」
ルドルフが腕時計をチラリと見た。時刻は11:00。商店街へ出かけてジャージを探して、ランチを済ませるには丁度いい時間だろう。
「せっかくだから、ウララも新調するか?」
「わーい!テイオーさん大好きー!」
「かっこいいのにしような?」
「わたし、テイオーさんと同じがいい!」
「そうか?じゃあ皆んなで同じヤツにしような?」
楽しげに話しながら、早速2人はいそいそと出かける準備をし始めた。

それにしても──また出費か

私は徐々に痩ていく財布を取り出し、深く、細く息を吐いた。


懐具合が寂しくなってきたのは、どうやらテイオーも同じのようだった。私たちが何の相談もすることなく立ち食い蕎麦屋に吸い込まれたのが、その何よりの証拠だろう。ルドルフはまあ、元より倹約家なのだろう。
カウンターで4人並び、揃って冷やしたぬき蕎麦を啜っていると、厨房から半身乗り出して話しかけてきた人物がいた。彼がこの店の主人なのだろうということは、その風体からしてなんとなくわかった。
「あ、おじさん!いつも美味しいお蕎麦、ありがとう!」
「はっはっは。どういたしまして。ところでウララちゃん、コレ、食べるかい?」
彼はそう言いながら手にしていた巨大なバットを差し出してきた。中を見れば、大きな揚げたてのコロッケが、ほかほかと湯気を立てていた。
「うわあ、大きい!美味しそう!食べたい!」
ウララが遠慮もせずにそう言うと、店主はにっこりと微笑んだ。
「そうかい、じゃあ後から寮にたくさん届けておくから、晩御飯の時にでも出してもらいなよ。あ、今食べるなら皿を出すよ。皆さんもお一つづつどうぞ」
ウララのおかげで大サービスである。丁度蕎麦を啜っていたわたしは、言葉もなく頭を下げた。
あら目の衣は生パン粉なのだろうか。箸でほぐそうとすると押し返してくる程のザクザク感があり、いざ割ってみればいかにも優しそうな白いマッシュポテトが顔を覗かせ、沸き立つ湯気が一層それを白く見せていた。
──美味い。
中は外側と同じあら目のじゃがいも。その中には少し強めに味付けされた牛ひき肉が混ぜ込んであり、ほのかに玉ねぎの甘さもある。一口で白飯が欲しくなるほどの美味しさに、そして揚げたてだというその熱さに、私は思わずのけ反った。
「美味いなコレ!」
「そうでしょ?実は弟が近所で肉屋を営んでおりましてね、そこか
ら仕入れているんですよ」
「うん、美味い!温蕎麦だったら中にぶっ込みたいな!」
テイオーが蕎麦とコロッケを交互に口にしながら、そんな事を言った。
「あれ、テイオーさんはコロッケに醤油派なんだね?」
箸を咥えながらウララは言った。テイオーは、自分のコロッケになお醤油を垂らしながらウララに答えた。
「ん?そうだぞ?ウララはやった事ないのか?美味いのになぁ」
「ふーん。それをお蕎麦に入れちゃうの?」
「ああ。コロッケを一口食べてからな、蕎麦の中に入れるんだ。すると蕎麦つゆの中でマッシュポテトが溶け出すだろう?それがポタージュみたいな味わいになってさ。これがまた格別に美味いんだ」
何だかもう一杯注文しそうな雰囲気で、テイオーは楽しそうにそう語る。コロッケ蕎麦という食べ方がこの世にはあるとは知っていたが、未体験だった私は少し驚いた。
「ふーん、そうなんだ」
一方、何も付けない派らしいウララはというと、自分のコロッケを一口食べてから、また言った。
「前から思ってだけど、テイオーさんってお父さんみたいだね!」
その衝撃の一言にテイオーが激しく咽せ、ルドルフが口を押さえて笑いを堪えている。私は、テイオーの背中を摩りながら言った。
「おじさん、って言われなくて良かったわね」
「前から思ってたのかよ......ショックだな」
そのテイオーの一言に、ついに堪えきれなくなったらしいルドルフは、ついにカウンターにしがみつくようにしてその口から豪快に蕎麦を撒き散らした。

店内を丁寧に清掃し、侘び、コロッケの礼を伝えて、私たちは店を出た。
「お前のせいで時間食っちまったぞ。反省しろよ」
「何を言う。君があんな事を口走るからに決まってるじゃないか」
お互いに責任の擦り合いをしている2人だったが、私にしてみればどう考えても真犯人はウララのように思えた。2人はそこに言及しないが、そうは思わないのだろうか?私は不思議でならなかった。

「ああ、ウララちゃん!テイオーさんも!待ってたよ!」

商店街のスポーツ用品店の店頭に差し掛かると、丁度表に出て水を打っていた店主が、私たちを招いてくれた。
「テイオーさん、例のものが入ってますよ。ちょっと確認して下さい」
店主の言う例のもの、とは、蹄鉄の事だろうか。そう思っていると、一度奥に下がった店主が、カートを押しながら帰ってきた。
「おお、ずいぶんたくさんあるじゃないか!よく頑張ったな!」
パッと見たところ、その数はおおよそ30箱、いや、もっとあるだろうか。これらの全てが、メーカー倉庫に眠っていたという死蔵品らしい。少し色褪せたパッケージが年月を物語っているが、中身には影響があるはずもない。これを格安で譲ってもらえるという事らしいが、私たちにとってはまさに晴天の霹靂だ。私とウララは顔を見合わせ、思わず微笑んだ。

「へへっ。マイルの帝王がウララちゃんの為に一肌脱ごうってんだから、あっしだって二肌も三肌も脱ぎますよ。営業マンのケツ引っ叩いて、県内中から集めました」
「いいねぇ、あっぱれだ!」
政宗マークII。
ある老舗蹄鉄メーカーが創業当初から売り出しているシリーズで、比較的安価ではあるが素材を精錬する技術が高く、バランスに優れムラがないのが最大の特徴だ。私は使った事はないが、私が現役だった頃にはマーク1をレダによく勧められたものだった。
「さて、と。今日は何をご案内しましょう?わざわざ3人で、ルドルフさんまでお連れという事は、ただ蹄鉄を受け取りに来たのではないんじゃないですか」
店主はそんな事を言いながら、私たちをぐるりと見渡してから『ぽん』と手を打った。
「流石は旦那だ。察しがいいな」
テイオーは一歩踏み出すと、店主に顔を寄せた。
「今日はトレーニングウェアを4着、都合してもらいたい。実はな......」
テイオーは今までの経緯をかいつまんで話始めた。

「なるほど。ミニライブで着るウェアねぇ」
テイオーの話を一通り聞いた店主は、ふうむと唸りながらこめかみの辺りを掻いた。そしてキョロキョロと店内を見渡した後、こう言った。
「だったら、良いのが揃ってますよ。有名メーカーの最新モデル。軽量かつ汗ムレも無しってのが。カラーバリエーションはそんなにはないんだけど、皆んな同じ色で良ければアレが一番いいでしょうね。どうです?」
そう返す店主だったが、それに対してルドルフは静かに首を横に振った。
「いや、あれはもう見た。確かにモノはいい。しかしながら、我々の趣向とは少し違う」
「すると、どんなものがお好みで?」
ルドルフは店主に一歩近づくと、小声で囁いた。
「実のところ、ゼロが少なければ少ない程大歓迎だ」
ルドルフはそう言って、恥ずかしげに笑った。
私は──頭を抱えた。安ければ安いほど良い、という意味なのだろうが、いくらなんでもそれは言い過ぎだ。そもそも、それは趣向とは違うじゃないか。頭を抱えたのは店主も同じのようで、しばらくうんうんと唸ってはいたが、「あ」と何かを思い出すと、その顔をほころばせた。
「型は大分古くなるけど、それは構わないね?」
私たちは一も二もなく頷いた。
「だったらいいのがある。色もサイズも選びたい放題。代金はまあ、払える分だけ払ってくれりゃ構わないよ。ちょっとした但し書きが付くがね。それでも良けりゃ、こっちについて来てくれ」
店主はそう言うと、私たちを奥の倉庫へと連れ込んだ。

その店の倉庫は意外なほど縦に長く、壁の両側には高い棚がそびえており、その中身を大小の段ボールが埋め尽くしていた。奥へと進むほど埃とカビ臭さが増していき、いつのまにかウララが両手で鼻と口元を押さえていた。
「よし、この辺だ」
店主はそう言うと、棚から段ボール箱を一つ引っ張り出した。分厚く溜まった埃が宙に舞い、それに堪えきれなかった私とウララが顔を背けた。
店主が下ろしたその箱には、手書きの文字で『グランドマーチス・シグネチャーモデル』とある。
「スポーツ用品メーカーってのはね。たまに色んな事をするんだ」
ビリビリと箱のガムテープを剥がしながら、店主は言った。
「世間の景気とかもいろいろあるがね。俺たちの商売には、結局『流行り』ってのが欠かせないんだ。単に必要必需品を開発してるだけじゃダメ。一目見ただけで思わず買い替えたくなるような、喉から手が出るような、そういうインパクトのある製品を世の中に出していかないとダメ。そういった理屈があるんだが、その辺は分かってくれるかい?」
「うん。まあ、言いたいことはなんとなく分かる」
テイオーの言葉を待ってから、店主は続けた。
「こいつらはね、そんなメーカー達が頑張って頑張って、開発して宣伝して世に出して、それでも売れませんでしたっていう、失敗作なのさ。特にこういったシグネチャーモデルや限定カラーとかは、クセが強すぎたんだろうな。ウララちゃんなんかは知らないかもしれないが、バブルの頃はね、そんなのが多かったんだ」
バブルの頃──つまりウララが生まれる前の売れ残りという事だ。それを聞いた私たちは思わず顔を見合わせたが、店主は両方の掌を広げ、まあまあ、と、私たちにアピールした。
「うん、そんな顔になるよな。心配なのはごもっとも。でもね、よく考えてみてくれ。バブル時代ってのはどこもかしこも金だらけ。金が余って余って仕方がないくらいにメーカーは儲かってた。だから開発コストが今と比べると桁違いに高い。今みたいな特殊繊維こそ使われてないが、そのかわりに技術を惜しまずに投入する事で、なかなかバカに出来ない品質に仕上がってるのさ。縫製も生地も、当時の最高峰と言っていい。さあ、気になるところからどんどん試してみてくれ。この両側の棚の全部がそうだ。あっしは、一旦店に戻りますからね」
薄暗い倉庫にとり残されて、少し戸惑っていた私たちだったが、埃と格闘しながら段ボール箱を一つ一つ取り出しては、その中身を確認し始めた。すると出るわ出るわ。箱を開ける度に次から次へと現れる古風なウェアの数々に、私たちはたちまち圧倒された。
「うわあ......トサミドリモデルだって。こんなのもあったんだ」
「こっちにはミズノのシンザンカラーがあるわぞ!ガキの頃親にねだったけど、ついに買ってもらえなかったっけ。懐かしいな!」
思いがけない思い出グッズとの出会いに沸く私とテイオーを、ルドルフが一喝した。
「その辺にしておきたまえ。まずはウララが着るウェアを探すのが先決だ。なあウララ、君は何色のウェアがいいと思う?」
するとウララは、自らも段ボール箱を漁りながら言った。
「わたし、やっぱりピンクがいいな!かわいいもん!」
「よし、ピンクのカラバリが揃っている箱を探すんだ!他は何色でも構わない。サイズは各々で確認してくれ。それでいいな!?」
応、と私たちは声を揃えた。

そして、20分もそうしていただろうか。

膨大な数の段ボール箱を全て開封し、無限にも見える埃と格闘しながら、ウララと私たちはついに目指すウェアを探し当てた。
「これだぁ!わたし、絶っ対これにする!」
ウララはトレーニングウェアのジャケットをヒラヒラと翻し、体にあてがっては微笑んでいる。よほど嬉しいのだろうが、おかげでこっちは埃まみれだ。
「よかった。ずいぶん気に入ったみたいだな」
ルドルフがそう言うと、ウララはさらに笑みを広げながら、その理由を言った。
「これはね!わたしが、初めてかけっこした時に、お母さんが着せてくれた運動着にそっくりなの!ううん、多分コレだよ!色も型も同じだもん!間違いない!」
なるほど。何しろ古い売れ残りだ。型もベーシックだし、そういう事もあるかもしれない。
「白基調でラインの色もピンクだし、いいじゃないか」
テイオーも嬉しそうだ。もっとも、過酷な捜索が終了した事に安心しているのかもしれない。同じ気持ちであった私も、やれ一安心と袖に付いた埃を叩いた。
「トレーナー、わたしの勝負服、将来コレにしていい?だってすっごく気に入っちゃったんだもん!」
少し気の早い気もするが、モノはいいという話だし、気に入ったのならそれもいいだろう。私がそう伝えると、ウララは飛び上がって喜んだ。
「ウララ、下はどう?見たところトップスとボトムスのセットみたいだけど」
「うん!下はコレだよ!あ、Tシャツもセットなんだ!コレお買い得かも!」
ウララは一旦トップスのジャケットを箱に戻すと、今度は両手でTシャツとボトムスを持ち上げて見せた。

「え......」
「ちょ......」
「嘘だろ......」

それは衝撃的な光景だった。
私は思わず一歩引き、半身に身構えた。
ルドルフは額に手を当てがいながら顔を背け、テイオーはただ棒立ちしつつウララの持つそれに釘付けになっていた。

ブルマ──ブルマだ。
何度見てもブルマだ。
ハイカットの、かわいい、ピンクの──ブルマだ。

私たちの目の前で、ウララが、ブルマを持ち上げていた。

そのシルエットは現代の陸上競技に見られる、いわゆるレーシングパンツのそれではない。極厚生地で仕立てられた、昔懐かしい昭和の遺物である。一時期は文部省の推奨もあり、全国の小中学校で正規に採用されていた運動着だが、数々の反対運動に晒され、今となってはグラビアアイドルのコスプレ衣装としてしか見かけることが無いと言われている。そのはずである。それなのに、まさかこんな所でお目にかかろうとは。
しかも足ぐりのカッティングがハイカットじゃないか。後ろは一応フルバックだが、ブルマで全力疾走なぞしようものなら、800mあたりでハミパン、1600mで半ケツは間違いない。しかもそれがピンクときている。この世に存在するあまたの色彩の中、よりにもよってまさかのピンク。もはや悪運の極みとしか思えなかった。

「ウララ......あの、他の色は?」

私は恐る恐る尋ねてみた。

「ん?他の色?えーとね......うーん、ピンクだけかも!」

ウララは段ボール箱を軽く掻き分けながらそう言った。

オワッタ──終わった。

それを聞いた瞬間、私の膝から下の感覚は消え失せ、その場にがっくりと跪き、平伏した。そんな私の背中にそっと手を置いてくれたのは、ルドルフだろうか。それともテイオーだろうか。それはわからない。しかしその手から感じる温かさに、憐憫に、私は顔を伏せたまま、少しだけ泣いた。

ウララが気に入ったウェアだ。思い出もあるようだし、私だって着せてやりたい。ウララは私の教え子なのだ。私にだってそれなりの師弟愛はある。しかし、もし、ほんの少しの情があるのなら、聞いて頂きたい事がある。私の身になってどうか察して欲しいのだが、なにしろ私は、その年の5月に三十路を越えた身なのだ。今更ブルマなぞ履けようもなく、しかもそれがピンクともなれば、もはや私に嫁の貰い手は無い。

「女王よ。クインナルビーよ。今が覚悟の時だ。他に道はないんだ。心配はいらない。私が君の、露払いになってやるさ」
ルドルフが言った。

「ああ。こうなったら高知のダートに骨を埋めようぜ。それでも浮かばれそうにないのなら、アタシも道連れにしな。それでいいじゃないか」
テイオーが言った。

「アンタ達.....,」

私かその声に顔を上げると、2人は私の目を見たまま、決意を見せるかのように深く頷いた。

「アンタ達にも......そのうち分かるわ......歳を取るって事が、女にとって一体どういう事なのかをね......」

私は2人の胸に抱かれながら、埃まみれになった体を預け、それから暫くの間──やはり、泣いていたらしい。

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