病院薬剤師が語る歴史人物数珠つなぎ~「道長と藤原摂関家」編~❸藤原忠平
もし薬学の道を選ばなかったら日本史の先生になりたかった私、病院薬剤師だまさんによる、ちょっとマイナーな歴史上の人物を紹介するブログです。
本シリーズでは、摂関政治で頂点を極めた藤原道長を起点に、その祖先から子孫に至る流れをたどっていきます。
今回は道長の偉大な曾祖父・藤原忠平です。
平将門の元上司
藤原忠平は藤原基経の四男として生まれました(880-949年)。
兄・時平の早世後に朝政を司り、政治改革を行いました。
朱雀天皇の時に摂政・関白を務め、以後、村上天皇初期まで長く政権の座に君臨しました。
有名な平将門が、父・良将の後を継いで忠平の家人だった時期もあります。
※その後、将門は藤原純友とともに承平天慶の乱を起こします。
菅原道真の御加護!?
菅原道真は、宇多天皇に重用され右大臣に出世しますが、左大臣の兄・時平の讒言により太宰府に左遷され、失意のもと亡くなります(昌泰の変)。
一方忠平は、親交のあった道真の左遷に反対したと考えられています。
※将門と道真。日本三大怨霊のうち二人も繋がりのある忠平って凄い。
道真の怨霊伝説には枚挙に暇がなく、左遷に加担した公卿はもちろん醍醐天皇にまで災厄が降りかかりました(代表例は清涼殿落雷事件)。
しかし、親しかった忠平だけは別格だったようです。
それは忠平とその次男・師輔の子孫の行く末を見るとわかります。
忠平は兄・時平の没後、35年間に渡り政治の中枢に君臨しました。
また、時平の子孫や、時平の女婿にあたる忠平の長男・実頼の子孫(小野宮流)は没落したのに対し、忠平の次男・師輔の子孫(九条流)だけは摂関職を江戸時代まで継承できたのです。
道真の御加護があったとしか思えません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
さて次回は日本史上初の関白・藤原基経です。
お楽しみに。
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