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挑戦の意義を示したパラリンピック閉幕、そして「平和の祭典」の終演

北京パラリンピックの閉会式が始まった。(3月13日 21:00)

ロシア軍のウクライナ侵攻により、RPC(ロシアパラリンピック委員会)とベラルーシの大会参加が前日になって不認可となる異例の事態で幕を開けたパラリンピック。本日をもって北京五輪を含む約1か月半にわたる平和の祭典は終了するが、世界の平和はそれより先に終わってしまった。今後の世界がどうなるかは見当もつかない。

選手入場の際にベートーベンの「第九」が流れた。数百万の人との愛を謳いあげた歓喜の歌。地面にはLEDで描かれた地球儀も浮かび上がった。五輪の閉会式と同様の演出だ。五輪のときはこれが習近平氏の前で演奏されることに複雑な思いを抱いたが、今回のパラリンピック閉会式はより複雑な思いで眺めることとなった。

驚いたのが、You Raise Me Upの演奏中に登場した子どもたちが黄緑と青の衣装を身にまとい、同じく黄色と青で彩られた画像の上で走り回るシーンが映し出されたことだ。「用意した衣装が偶然にもウクライナ国旗と似てしまった」ということは考えられず、当局の検閲なしで周主席の眼前でこの演出がなされたとも思えない。

青と黄色の床面に青と黄緑の衣装は、ウクライナ国旗を思わせる。写真に映っている床面は一枚の絵画のうち、青空と太陽を描いた部分の一部だが、このアングルから映せばこういう映像になることは承知のはず。演出を担った映画監督のチャン・イーモウ氏の独断か、それとも中国共産党の暗黙の了解が入っているのか…?

中国の意図は「ロシア軍のウクライナ侵攻反対」なのか、そうではないのか不明だが、あえてこの演出を閉会式にもってきたのは少なくとも共産党政権が「心穏やかではない」ことの表れではないか。


挑むことに価値がある、パラリンピアンの精神

私はパラリンピック開幕日に新型コロナワクチン3回目接種の後遺症で39.4℃のひどい発熱にうなされ、閉会式当日も朝に38.7℃の発熱があった。そのため、多くの競技を見たわけではないが、各競技の印象をつづりたい。

最も強く感じたことが、パラリンピックは五輪以上に「参加することに意義がある」ということだ。もともと近代五輪創設者のグーベルタン男爵が大会の意義を語った言葉だが、五輪においてはほとんど死文化している。しかし、パラリンピックについては「参加すること」、そして「挑むことに意義がある」ということはは強い意味を持つと感じた。

北京と昨夏の東京パラリンピックとを見比べると、冬の競技は夏の競技以上に、身体に障害を持った選手が競技の動機を持つことが難しいと感じた。スピードによる危険というスポーツとしての困難に加え、チェアスキーなどの道具は手に入りにくく、雪上で練習する季節も制約がある。なにより、雪上での競技をしようというきっかけを持つ機会が少ないと思えた。

そのような「偶然の出会い」に導かれながら世界的選手となった1人がアルペンスキーの村岡桃佳だ。4歳のとき横断性脊髄炎に感染し下半身に障害が残り、以後は車いす生活に。父があちこちの障害者スポーツを勧めるなかで、アルペンスキーヤーの森井大輝に憧れて競技スキーの世界に入り、今回の北京パラリンピックでは滑降、スーパー大回転、大回転の3種目で金メダルを獲得し、スーパー複合で銀メダルを獲得する大活躍を見せた。

金メダルの村岡をもってしても、シットスキーの低い目線から見た滑降のコースは「恐怖だった」と語っており、いかにコースの難易度が高かったかがわかる。(視覚障害の選手はその「恐怖のコース」を、前を走るガイドスキーヤーの声の呼びかけと音を頼りに滑るのだが、どういう肝っ玉をしているのだろう?)

スーパー大回転ではスタート直後に片目のコンタクトレンズがずれて視界が奪われるというアクシデントに見舞われながらも金メダルを獲得し、村岡個人というよりパラリンピアン全員に通じる精神の強さを感じた。

諦めないパラリンピアンの姿

最終日のアルペン男子回転は、斜度50%(角度にして30°)の斜面を大きく左右に旋回しながら滑り降りる難コース。しかも雪面は気温が上がるなかで人工雪などで固めた感じのコースで、立位の選手はもちろんのこと、板が1枚しかない座位の選手には相当の難関だった。

メダル候補の選手が次々とコースアウトする場面が目立ったが、印象的だったのは少々コースから外れても、もう一度通過すべき旗門まで戻って滑走を再開しようとする選手が多かったことだ。

シットスキーで板が1枚しかない状態で、ストックの腕力だけで斜面を逆走して旗門を目指すのは相当の困難がある。それでもスキーを持ち上げる選手と、それをたたえる各国コーチ陣の拍手に胸を打たれるものがあった。

夏のパラリンピックでは選手の障害の度合いによって細かくクラス分けをする競技が多いが、今回の冬の大会では障害の程度に応じて「係数」と呼ぶパーセンテージを設定し、滑走タイムに係数を掛けたタイムで順位を競う。開会式や閉会式で国際パラリンピック委員会のパーソンズ会長が語った「違いによって分けるのではなく、違いがあってこそ1つになるのだ」「失ったものを嘆くのではなく、持つものを最大限に生かす」との精神は、むしろ冬の競技の試合形式に生かされているように感じた。

終わってしまった祭典の時間

この記事を書いている最中に、パラリンピックの閉会式は終わってしまった。少なくともNHKの中継は終わった。開始から1時間足らず。

もう2週間も前に平和の時間は終わっていたのだ。

ロシアの侵攻を受けた側のウクライナの選手は、今回の大会でバイアスロンとクロスカントリーで金メダル11個を含む29個のメダルを獲得する大活躍をみせた(国別獲得数は地元中国に次ぐ2位)。閉幕後、選手たちはいったんポーランドへ移動し、本国へ帰国するか否かの重い判断を迫られることになる。メダルの栄誉を得た選手も幸せではないのだ。

わずか半年のインターバルで開催された東京2020と北京2021。いずれも大会運営が大揺れに揺れたが、「戦争」は別次元の問題だった。これからどのような世界になるのか、予想することすらできない。どうか、閉会式に集った選手たちの願いが報われますように。

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