見出し画像

果たして公共事業はそんなに無駄だったのか。──「コンクリートより人へ」の誤謬を検証する。──

割引あり

(例のごとく有料ですが、全て無料で読めます。良かったなと思う方だけ、このnoteを購入ください。)

公共事業というのを思い浮かべた時に、真っ先に浮かぶのは「無駄遣い」であるとか、「ハコモノ」みたいなマイナスな言葉である。それは政治思想にすらなっており、「コンクリートより人へ」はその結実だろうと言える。

だが、ここで異議を唱えたいのは、そもそもコンクリートは、及び公共事業は本当にそこまで嫌われるほど無駄なものだったのだろうかということである。もちろん使いもしない道路がピカピカになっていたりと、敵視しやすい所があるのは間違いないが、本当にそこまで悪者にするようなことだったのか?本noteでは、そうした公共事業を敵視する意見に対して、むしろ擁護する意見を書き上げていきたいと思う。


引用元→ https://www.research.kobe-u.ac.jp/eng-keikaku/study/planning_seminar/file/3_Tanaka.pdf
p.6
引用元→ https://www.research.kobe-u.ac.jp/eng-keikaku/study/planning_seminar/file/3_Tanaka.pdf
田中皓介氏の研究。この画像はp.5

まず公共事業がどのような状況にあったかの確認から入ろう。1990年代後半から、徐々に公共事業は「ムダ」だの「バラマキ」だの、「談合」や「癒着」だのと批判を受け、また借金や財政破綻、さらに環境破壊のような言葉まで使われネガティブキャンペーンを受けていた。しかも2000年代には異なる二つの新聞において、肯定的な社説がわずか数パーセントしかないレベルで批判の嵐にさらされていたのである。

引用元→https://www.mlit.go.jp/page/content/001583476.pdf
国土交通省
閲覧2023.12.14

その甲斐あってか、公共事業費はぐんぐん減らされてしまった。平成10年度(1998年)には補正込みで約14.9兆円あった公共事業費は平成23年度(2011年度)には補正込みでも約5.3兆円にまで減らされているのである。
これを私のようにネガキャンなどによって合理性とは関係のないところで導かれたと考える者も居れば、人口減などによって合理的に導かれたものに過ぎないとする者も居るだろう。そういう方へ見せたい資料として、このようなものがある。

引用元→https://www.mof.go.jp/pri/////publication/financial_review/fr_list8/r147/r147_05.pdf. インフラ老朽化対策と更新投資ファイナンスに関する考察. 〈財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」令和4年第1号(通巻第 147 号),2022 年3月, 根本 祐二, 1p.


これは、現在の日本のインフラを整備する上で、どれだけ公共事業費が必要になるかというのについて試算を出したものであり、それによると、必要になる金額は、4割ものインフラを削減したとしても、「7.7兆円」にもなるという。前述の公共事業費の推移をご覧いただきたい。平成19年(2007年)辺りからその水準に届かない年がちらほら出てきており、平成23年(2011年)に至っては補正込みで5.3兆円である。思考に入れておかなければならないのは、これは現在の試算であるということだ。10年20年前と同じだけの金額が必要とは限らないし、なんならその時の方がもっと必要だったのではとすら考えられる。それにもかかわらず、公共事業費はどんどん削られ、必要な水準(7.7兆円)には全然届いていないという年も少なくない。果たしてこれは、合理的な選択として公共事業費が削られてきた、そう言えるものだろうか。いや言えないはずだ。救いとしては、安倍政権下で多少なりとも公共事業費が増加傾向に入り、補正込みであればその必要な水準に届いている年もいくつかあることであろうが、本来であれば必要な水準の公共事業費を、当初予算でもって出せなければならないのであって、補正予算という政治の論理でつけられる付随的予算でその水準にようやく届くようでは、安定的なインフラ整備は難しいと言える。「補正込みなら届いてるから良いじゃん」みたいな、そういう軽い話では無いのだ。

公共事業費は、合理性とは関係のないところで削られてきたということは、当然このnote内で示すことが出来ていると思う。ではなぜ削られてきたのか。その理由について考察していく前に、まずは公共事業、およびインフラ整備の効果について記述する必要があるだろう。インフラ整備自体に便益が無いのなら、必要な水準そのものの必要が無いからである。

ではこれらの画像をご覧いただきたい。

引用元→ 既存高速道路のマクロ経済及び人口分布に対する整備効果に関する研究 上田 大貴・片岡将・柳川篤志・川端祐一郎・藤井聡 土木学会論文集D3(土木計画学)、Vol.75,No.6(土木計画学研究・論文集第37巻)、1.523-1.535,2020.
引用元→ 上に同じ。
既存高速道路のマクロ経済及び人口分布に対する整備効果に関する研究 上田 大貴・片岡将・柳川篤志・川端祐一郎・藤井聡 土木学会論文集D3(土木計画学)、Vol.75,No.6(土木計画学研究・論文集第37巻)、1.523-1.535,2020.


要は、「高速道路整備により製品の輸送効率が上がることで、労働生産性が上がる」という推計を示しているものであり、また他にも「整備不足の高速道路は、実質GDPを実際より低い水準に下げる」という推計も示している。前者の推計については、第二次、第三次産業においての効果のみ認められている。もちろんこれは高速道路についての推計である。しかし、普通の道路や橋が、全く異なる効果を持っているとは言えまい。通れるはずの所が通れなければ、高速道路だろうが普通の道路、橋だろうが負の経済効果を持っているのは同じだろうし、逆に道路や橋などのインフラが整備されれば輸送効率が上昇し労働生産性を上げ得るというのも同じだろう。

また、これは本筋からは多少離れるのだが、こちらの画像もご覧いただきたい。

引用元→ https://committees.jsce.or.jp/chair/system/files/%E6%9C%AC%E7%B7%A8_%E3%80%8C%E5%9B%BD%E9%9B%A3%E3%80%8D%E3%82%92%E3%82%82%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%99%E5%B7%A8%E5%A4%A7%E7%81%BD%E5%AE%B3%E5%AF%BE%E7%AD%96%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%AE%E6%8A%80%E8%A1%93%E6%A4%9C%E8%A8%8E%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8_6.pdf  
「国難」をもたらす
巨大災害対策についての
技術検討報告書
公益社団法人 土木學會
2018 年 6 月 平成 29 年度会⻑特別委員会 レジリエンス確保に関する技術検討委員会

これは、インフラ整備による震災被害の軽減効果を示したものであり、これによれば、道路対策(未完成道路の整備や道路自体の強靭化など)によって、震災による被害を139兆円は軽減出来、税収の縮小も15兆円は回避出来るとある。もちろんこれは震災対策としてのインフラ整備ではあるが、しかし、災害大国である日本においては、そもそもそうした震災対策としてのインフラ整備は急務であるし、この画像で示されているように、整備されたインフラが「震災による被害の軽減」という経済効果を持つ以上、これもインフラ整備の便益と言ってしまって良いのではないかと思う。

更に、整備されたインフラだけでなく、インフラ整備そのもの、正確には、公共事業そのものによる経済効果について触れる必要があるだろう。こちらの画像をご覧いただきたい。

引用元→乗数効果の低下の要因について
三平 剛
財務省
https://www.mof.go.jp/pri/publication/financial_review/fr_list8/r144/r144_07.pdf

これは乗数効果、すなわち、政府支出が結果的にどれだけ経済を拡大させるかという効果を測ったものである。バブルが崩壊してからの、「失われた30年」と呼ばれるような時代(ここでは1994年から現在までとしよう。)においての名目乗数効果は、1.32〜1.13倍の辺りで推移していることがわかる。(図中の内閣府 短期モデルから参照)
つまり、例えば5兆円のインフラ投資をしたとしたら、最低でも5兆6500億円、最高で

ここまでの記述を振り返ってみると、つまり、インフラ整備には、「労働生産性の向上と、震災被害の軽減」という便益があるのだと言える。

インフラ整備の便益については、もう述べることが出来た。必要な水準の必要は、十分にあるということである。ではここからは、なぜそんな「必要な」インフラ整備が削減されてきてしまったのだろうか。その理由について述べていきたいと思う。
まず冒頭の方で示したようなネガティブキャンペーンなどは、理由の一つだろう。「無駄」や「バラマキ」だのと叩かれ、なんとなくよくないイメージを持たれている財政赤字などを齎していると喧伝されれば、確かにインフラ整備に否定的になるのも、不思議なことではない。しかし、なぜそんなネガティブキャンペーンをしようと考えたのか、そこに本当の理由があるのだ。インフラ整備を叩いても、本来誰も得しない。わざわざそんなことをメディアがする理由が、他にあるはずなのだ。

これまでインフラ整備のための予算は削減されてきた。
私はその理由として「福祉産業に人などのリソースを割くため」というものを挙げたい。まずこちらの画像をご覧頂こう。

引用元→ https://himaginary.hatenablog.com/entry/20111223/why_boom_times_kill
himaginary’s diary
2011-12-23
(参照2024-02-10)
引用元→ https://himaginary.hatenablog.com/entry/20111223/why_boom_times_kill
himaginary’s diary
2011-12-23
(参照2024-02-10)

これは福祉産業が反景気循環的産業であると示すデータである。反景気循環的産業とはつまり、「景気が悪いと人が集まり、景気が良いと人が減る」という産業の事である。福祉産業は「景気が悪いと人が集まり、景気が良いと人が減る」産業なのだ。ということは、福祉産業に人を集め、リソースを割いていくためには、「景気を悪くする」必要があるということである。前述のように、インフラ整備は労働生産性の向上、震災被害の軽減、インフラ整備そのものによる経済効果など、景気を良くする上で非常に役立ってしまう。つまり、「景気を悪くする」ことで拡大される福祉産業と、インフラ整備は非常に相性が悪く、二つに一つ、いわばトレードオフの関係にある産業なのだ。インフラ整備を諦めなければ、福祉産業の規模は維持拡大できない。逆に言えば、インフラ整備をしようとすれば福祉産業における人手不足を受け入れる必要がある。そうした力学が働いたために、福祉産業の維持拡大のためインフラ整備に関する予算は削減されたのではないか、私はそう考えているのである。
その証拠に、こちらの記事をご覧頂こう。


こちらは全国保険医団体連合会が2005年に出した提言である。公共事業費を明確な根拠なく「異常」、「不要」、「高過ぎ」という風に批判し、「現在行われている公共事業のうち、国民生活に不要な部分を計画的に削減し、医療・年金・介護・福祉など社会保障を充実させる方向に、舵をきるかどうかが、21世紀の日本の分かれ道ではないでしょうか。」とまで批判している。一体何を根拠に言っているか本当に意味が分からないのだが、この提言からわかることは、保険医団体という福祉産業のために動く団体が、「公共事業は無駄なので介護や福祉などに予算を回せ」と提言を行っていたということである。(というかそれぐらいしか有益な情報は読み取れない。)福祉産業が反景気循環的産業であることについて、こうした団体が理解していたとは私は別に思わないが、少なくとも福祉産業とインフラ整備がトレードオフの関係にあり、両立し得ない産業であるという認識を持っていたこと自体は間違いないだろう。そうした流れの中で、民意に押されてメディアがネガティブキャンペーンを行ったり、「コンクリートより人へ」を標榜する政党が与党になったり(その政党はすでに載せたグラフを見れば分かるように、公共事業費を当然削減している。)、と、実際に「福祉産業とインフラ整備は両立しないので、福祉産業を優先させるべき」という主張は、政治すら支配していたのだ。
福祉産業が反景気循環的産業であるということが理解されていたか、という点においては、疑問符が付くだろう。必ずしもそうではないと考えられるためだ。(前述の提言に、福祉産業の経済効果が記載されている。福祉産業への投資が景気を良くするのだという考えがあるためだと考えれば、福祉産業が反景気循環的産業であるという認識があったとは考えにくいだろう。)しかし、「福祉産業とインフラ整備が両立できない」という考えは当然持っていただろう。そして現にこれまでそういう論理でインフラ整備は削減されてきた。

私は、これまでインフラ整備のための予算が削減されてきた理由として「福祉産業に人などのリソースを割くため」というものを挙げたいと述べたが、これが私の個人的推測などではないことは、もはやここまで読んでくださった皆様なら簡単に理解していただけるだろう。これはもう確定的事実だ。インフラ整備のための予算は、福祉産業に人などのリソースを割くために削減されてきたのである。はたしてこれは、あの素晴らしき提言()で言われているように、「21世紀の日本の分かれ道」となるような、そんな素晴らしい政策だったのだろうか。答えは、残念ながら否である。

こちらの記事をご覧いただこう。


引用元→ 内山 裕幾 樽野 章 齋藤 恵二郎 穐岡 英治 垣内 あき乃
NHK NEWS WEB
2022.12.6
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221206/k10013913441000.html
(参照2024.2.9)
引用元→ 内山 裕幾 樽野 章 齋藤 恵二郎 穐岡 英治 垣内 あき乃
NHK NEWS WEB
2022.12.6
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221206/k10013913441000.html
(参照2024.2.9)
引用元→ 内山 裕幾 樽野 章 齋藤 恵二郎 穐岡 英治 垣内 あき乃
NHK NEWS WEB
2022.12.6
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221206/k10013913441000.html
(参照2024.2.9)
引用元→ 内山 裕幾 樽野 章 齋藤 恵二郎 穐岡 英治 垣内 あき乃
NHK NEWS WEB
2022.12.6
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221206/k10013913441000.html
(参照2024.2.9)

これらの画像はこの記事中に出てきたものであり、補修することのできていないインフラ(この記事のこれらの表におけるインフラとは、橋とトンネルのこと。)が現在の日本にこれだけあるということを示している。この記事によれば、それらの数は、「対策が必要」とされながらも修繕に着手出来ていないものが全国で『3万3390』あり、さらに5年以上も着手されていない未実施のインフラが橋とトンネル合わせて『7041』もあるらしい。金の問題だけではなく、もはや人も足らないために、仮に金があろうとも直せないという状況にまでなってしまっている自治体もあるという記述もある。


更に、こちらの画像もご覧頂こう。

引用元→ 国土交通省
社会資本の老朽化の現状と将来
2020-03
https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/maintenance/02research/02_01.html
(参照2024.2.9)

これは、橋とトンネルだけでなく、インフラ全体に関する状況を示した表である。『建設後50年』というのは一つの基準であり、それぐらいの年月が経つと補修が必要になってくるのだ。(もちろん必ずしもそうというわけではない。あくまでそういう傾向があるということである。)つまりこの表は補修が必要になってくる(かもしれない)インフラの割合を示した表ということになる。例えばトンネルは2020年3月時点で『約22%』が『建設後50年』以上を経過し、2030年3月には『約36%』、2040年3月には、なんと『約53%』にまでなるのだ。下水道管についても、2040年3月には『約35%』にまで登る。
これらの情報をまとめると、今の日本は、「インフラを直すための金もなく、また仮に金があっても直せない状況に陥った自治体すらも存在し、現在進行形で補修を実行することすら出来ていないインフラも存在し、その状況にも関わらず、これから建設後50年を経過し、補修の必要性が高まってくるインフラが多く存在し、更に増えていくことが予想されている。」という訳である。整備されたインフラによる便益は前述した通り、利便性の向上による労働生産性の上昇や、震災被害の軽減などであるが、それ以前に、我々が生活する上ではインフラは欠かせないものであり、(例えば下水道が上手く流れなければ、我々は水を使うことすら覚束ない。)生活水準の維持という面でも、(そうしたものの維持による経済面での効果を推し量ることは難しいが。)インフラには便益があるのだ。逆に言えば、インフラの整備不足は、そうした面における損害を産むということである。利便性の低下から生産性も低下し、震災被害も「本来ならここまで低減出来ていたはずの被害」より大きな被害を受ける羽目になる。そして当然生活水準においても、打撃を受けることになる。金銭面で測ることは難しいが、「健康で、豊かな生活」のためには、インフラは必要不可欠なのだ。なぜこうなったか。それは誰から見ても明らかであろう。インフラ整備のための予算を、福祉産業のために削減したからである。こうして述べてきたそうした政策による損害を考えれば、これが「21世紀の日本の分かれ道」となるような、そんな素晴らしい政策だったかどうか、はっきりと答えることが出来る。答えは否である。ただ日本のインフラ整備能力を毀損し、福祉産業が肥え太っただけだ。
この画像をご覧いただこう。

引用元→ 介護現場の生産性向上と介護ロボット等
 の導入支援について
令和5年3月
  兵庫県福祉部高齢政策課
資料10

現に福祉産業は他の産業を尻目にはちゃめちゃな勢いで就業者数を増やしている。福祉産業は反景気循環的産業であるから、公共事業費削減と、同時期に行われた増税のおかげで景気が悪くなり、そのために福祉産業は肥え太ったのだろうと考えられる。意図していたかは別として、「コンクリートより人へ」によって見事にインフラ整備能力は毀損され、反景気循環的産業である福祉産業は拡大されたのである。景気の悪化を伴って。福祉産業が反景気循環的産業であるとそうした政策を実行した人間が認識していたかは別として、少なくともデフレ不況が福祉産業を肥え太らせる上で、非常に役立ったことは間違いないだろう。
そうした流れを踏まえた上で、このnoteの読者に問いたい。果たしてこれは正義だったのだろうか、インフラ整備を犠牲にしてまで、福祉産業を拡大するべきだったのだろうか、と。
私は、断じてそうではないと考える。福祉産業とインフラ整備は、両立し得ない。福祉産業は反景気循環的産業であるからだ。つまりどちらかを取らねばならないのだ。私は、インフラ整備の方を取るべきだと考える。なぜか、理由は、先述したようにインフラ整備に数多くの便益があることもそうだが、理由として一番大きいのは、「福祉産業が反景気循環的産業であるから」だ。福祉産業は反景気循環的産業であるから、福祉産業を選んだ場合には、必ずインフラ整備を諦めなければならない。なぜならインフラ整備は景気を良くしてしまうので、福祉産業の拡大に不都合だからだ。だが、インフラ整備を選んだ場合はどうだろう。もちろんインフラ整備による便益もそうだが、「景気を悪くする必要がない」のだから、設備投資なども制限する必要がない。そうなればAI、ロボット技術、パワードスーツなど、福祉産業の人手不足に対するブレイクスルーも当然期待できる(そしてそれは当然他の産業における人手不足に対するブレイクスルーになり得る。)という訳だ。つまり短期的な福祉産業の人手不足を受け入れてでも、インフラ整備をちゃんと行うことにより、最終的にはインフラ整備も、福祉産業も両立させられるようなブレイクスルーを期待することが出来るということだ。もちろんすぐにそんなことが起きるわけではない。今すぐにそうなる見込みがあるわけでもない。しかし、インフラ整備を諦め、福祉産業を拡大させる選択肢を取るならば、絶対にそのブレイクスルーは訪れない。このままボロボロのインフラと肥え太った福祉産業を抱えて緩やかに沈んでいくだけだ。「短期的な福祉産業における人手不足を受け入れ、長期的な両立に賭ける」というのは、インフラ整備を選ばねば絶対に行えないし、少なくとも今取れる最善の選択肢であろう。それ以前に、インフラ整備を諦めて福祉産業を選ぶというのは、ボロボロのインフラを放置するということだ。冗談じゃない。そんな状況ではまともにデートもできない。そんな国にはとてもじゃないが住めないし、ほとんどの国民は不便を強いられるだろう。健康も、福祉産業を選ぶより、インフラ整備を選ぶ方が守れるはずだ。介護や看護より、トンネルや下水道の方が人の命を左右するからである。こうして考えてみれば、現在の(そしてこれまで取られてきた)「インフラ整備を諦め、福祉産業にリソースを割く」という戦略は、あらゆる意味で愚策としか言いようがない。これからの日本においては、福祉産業を「健全に諦める」ことが必要であり、「福祉産業を健全に諦めてでも、インフラ整備を行っていく」という戦略を取っていくべきなのだ。なぜなら、前述した「長期的な両立に賭ける」
ことはその戦略でしか行えない(逆ではただ沈んでいくのみである。)ので、それが最も希望のある選択肢であり、最善の選択肢であるからである。

残された時間は少ない。タイムリミットはもうそこまで来ている。金をどれだけ出そうとも、インフラ整備を実行することが完全に出来なくなる事態は、そう遠くない将来に起きかねないのだ。だからこそ、このnoteを読んだ人が少しでも「福祉産業を健全に諦めてでもインフラ整備をするべきだ。」と考えてくれたなら、そんなに嬉しいことはない。今なら、まだ、ギリギリ間に合うからだ。

ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 300〜

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?