「平和=インフラ論」

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まず最初に言おう。そもそも「防衛増税」というのが前提としておかしいのである。経済力が軍事力の根源であるにもかかわらず、軍事力のために経済にストップをかけては本末転倒と言わざるを得ない。

また、良く考えてほしいのが、「平和」とは、国家国民にとって絶対に欠かすことの出来ない資産であるということだ。
我々が頭上から爆弾が降ってこないか心配しなくて良いのはなぜか、我々が店に行けば何の不足もなく商品が買えるのはなぜか、その商品が、道が寸断されるようなこともなく店までちゃんと届けられているのはなぜか、友人や、家族や、恋人や(リア充爆ぜろ)、同僚などと、かけがえのない豊かで幸せな時間を過ごせているのはなぜか、そして人権が踏み躙られるようなことも無く、暴力によって虐げられるようなこともなく、他国の兵士によって心臓を撃ち抜かれたりせずに済んでいるのはなぜか、それはひとえに「平和」だからである。つまり防衛力の強化とは、その「平和」を維持するためのものであり、憲政史上最長の総理として日本の外交安全保障のあり方を大きく変え、自由と民主主義のために身骨を砕いたある政治家の言葉を借りるなら、防衛費の増額とは「祖国を将来世代にしっかりと受け継ぐための支出」であると言えるのである。何十年もの間、自由な経済を確保し、国民が安心安全に暮らせるという便益を与えるものが「平和」なのである。そして、「何十年もの間、国民に便益を与え続けるもの」に似た性質のものを、正確に言うならば、そうした性質を持つものの名前を、我々は知っているはずだ。


そう、インフラである。


つまり、「平和」とはインフラであると言っても過言では無いのだ

これはいわゆる「建設国債」について書かれた条文である。橋や道路などのインフラは、何十年もの間便益を与え続けるので、その財源のため国債を刷ることが許可されている。なぜなら、30年後40年後の人間も便益を受けられるものを作り維持するのに、今の世代だけの税負担でそれを賄うのはおかしいし、不公平だからである。
同じことである。「平和」という何十年もの間便益を与え続けるインフラにもそれは認められるべきだ。防衛力強化は、「平和」を守るための国債、「防衛国債」によって財源を賄われるべきなのだ。

「防衛費を国債で賄うのは無責任だ」などと批判する者も居るだろうが、逆に言おう。「平和」という国家国民にとって絶対に欠かすことの出来ないインフラを守るための国債も刷れない国が、本当に責任を果たしている国と言えるのだろうか。
税収という「その時の」国民の金さえ用意できれば良いという性質のものを財源に使うのが本当に「平和」に対する責任を果たすことと言えるのだろうか。

例を出すなら、ドイツは防衛費を国債で賄う訳だが、ならばドイツは「無責任な」国なのだろうか。いやそうではない。「平和」を守るために必要な支出を賄い、その「平和」に対する責任を果たすために国債を刷るのである。

私は日本に、平和を愛する諸国民の中で、ただひたすらに平和を希求し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めているこの国際社会の中で、名誉ある地位を占めてほしいのである。つまり、国家国民のみならず、アジア、インド太平洋、ひいては世界のためにも、日本は「平和」に対する責任を果たすべきだと考えるのである。その責任とはすなわち防衛力の強化と、その財源たる「防衛国債」を刷ることである。「平和」というインフラを将来世代へ未来永劫受け継ぐためにも、防衛費増額は「防衛国債」から賄われるべきだ。


「防衛増税」など絶対に許してはならない。


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