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人のせいにばかりして

誰かの退団発表がある度に私はいつまで贔屓を応援するのだろうと思う
新公卒業をとっくにしてから入会した私はまだまだ贔屓の会では新参の部類で贔屓の事なんてこれっぽっちも知らないのだが、多分贔屓はあと10年は辞めないだろうな、と思っている
本当にこれはなんとなくだけれども

コロナで贔屓に直接会えない間に付き合っていた彼と結婚をした
贔屓がジェンヌでいてくれる間は私は贔屓にお金も時間も使いたい!なんて思っていたのに、なんだか裏切ったような気分だった
お礼状の苗字が変わったのを察してか、手紙を読んでくれたのか(さらっと結婚しました、と書いてみた)結婚おめでとうございますお幸せに、なんてやさしいコメントをくれた贔屓のやさしさが嬉しいのと同時に、謎の罪悪感があった

高学年になればなるほど次で退団されたらどうしよう、なんて考えるわけで、あと10年はいるだろうなと思っているとはいえ、なんだかんだで毎回集合日前後は胃が痛くなる、この一年は結婚式の資金貯金のためにまともに通えないのが分かっていたから余計だった。今辞めたら退団に立ち会えないかもしれない
そんな事を考えて吐きそうになりながら退団のお知らせをクリックしていた

この先こどもを考える時もそうなのだろうか、今妊娠したら贔屓の退団に立ち会えないかも、とか万が一妊娠してしまったら妊娠しているせいで、と思うのだろうかとか

全く無関係の人からしたらたかが趣味なのにバカバカしいとおもわれるだろうが、贔屓が退団するまでは永遠に根本にこの考えがあるのだろうな
もうやめてライトファンになろうか、チケットだってかつての様に取れない訳でもないし…とおもってしまったこともあった
それでも、お茶会のお見送りでは私より小さな手で握手してくれて、髪を切ったねと微笑みかけてくれる贔屓の事が大好きだから、きっと10年後も20年後も贔屓がジェンヌでいてくれる限りはなにも変えられないのだろうな


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