本質だけが、人生の全て?
自分は今、親に養われている。正社員でもないし、かといって起業している訳でもない。まさに、これから進路を考え、歩んでいく最中である。
とはいえ、趣味はいくつかある。グルメ🍽、料理🍳、アート🎨、音楽(聞くほう)🎶、卓球🏓、テニス🎾、(あんまり上手くないけど)カラオケ🎤、ウェイクボード🏄♂️、スポーツ観戦(サッカー、ラグビー、格闘技)、YouTube等々。
どれも、自分の感覚を最大限に活かすためにやっていることだ。
ただ、これらに触れていることを話すと、こんなことをいう人がいる。
「なんでも経験すりゃいいってもんじゃねぇ」「それは、お前の本質じゃない」
言いたいことは分かる。なんでも手を伸ばし、ないものねだりしてもキリがない。
しかし、今の上の世代(あくまで自分が見た限り)を見てみると、自分の本質だけと向き合ってきた人は、とても誠実でブレない心をもっている反面、彩りがなく、なにか物足りなさを感じてしまう。例えて言うのなら、具なしカレーのようだ。
20代に突入し、これから色んなことにぶつかり、色んなことを考えると思う。その時、自分の中の「本質」と「彩り」のバランスを常に考えることだろう。
本質ばかりで彩りのない具なしカレーも、彩りばかりで肝心のルーがないカレーも、どちらが良い悪いと優劣をつけるつもりはないが、個人的にはどちらにも偏りたくはない。
さらに言えば、とある知人が言ってたことだが、「Aルートか、Bルートの違い」であって、どんな風に歩んでいくかは人それぞれだ。
なのにも関わらず、教祖・伝道師・親面して、「お前のやっていることは間違っている」だの、「お前を真っ当な道に導くことが、俺が神から与えられた最後の使命だ」だのと言うのは、ちょっと違うと思う。おそらく、その人達は、
・「きっとコイツはなんとかなる」と待っていられる余裕がないのか。
・その人自身が、その人なりに切り開いていった道を早く歩ませることで、よりオープンな世界を見ることが出来ると過信して、急かしているのか。(確かに効率は良いが笑)
・自分自身と未だに折り合いがつかず、他人に対して過度な期待をして、救世主のような存在が現れるのを待っているのか。(救世主に関する投稿は以前出したので、気になる方はぜひ読んでほしい)
どれかは分からないし、もしかしたら違った考えかもしれない。少なくとも、全く同じ環境で生まれ育ったり、全く同じ考えで来た人はまずいないだろう。
だから、このことは周りの人間に求めるし、自分自身も心掛ける。「待ってておくれ」と。。。
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