「つなぐ」なら「つながり続ける」覚悟を

1、制度から排除される子ども家庭

スクールソーシャルワーカーという仕事をしていて、心底感じるのは、既存の制度や仕組みに当てはまらないような困難を抱える人たちが、この社会に、いかに多くいるかということです。明らかに生活が苦しかったり、不安定な家庭状況のなかで暮らしているにもかかわらず、どの機関にもつながっていないということが多くあります。特に義務教育が終わった後の子どもたちは、それまであった支援のネットワークが一気に薄くなってしまいます。そのため、たとえば長らく不登校をしていた子が「進路未決定」のまま卒業してしまい、どこにも繋がらないまま引きこもり状態になってしまう。あるいは、もともと親子関係が悪く、それまでは学校での相談により、なんとかガス抜きできていた家庭が、相談先を失った結果、大きな暴力事案に発展する等、「もともとあった困難がさらに積み重なって」いき、にもかかわらず「支援はより薄くなる」という二重苦に晒されています。

2、「つながり続ける」専門職としてのSSW

学校や居場所というのは、日常的に子ども家庭と接する場だからこそ、当事者にとっては自分たちの抱えているものを吐き出しやすいのかもしれません。毎回面談のなかで『これまで、どこかに相談されたことはありますか?』と尋ねるのですが、誰にも相談したことがなかったという方はたくさんいます。また、仮に相談していたとしても、「親身に聞いてもらえなかった」「いろんな相談機関をたらい回しされた」等の話が出てくるのがしばしばです。
必ずしも、それらの相談機関が「親身に話を聞かなかった」「相談を受け付けなかった」という訳ではなかったと思います。「ほかに適切な機関がある」という真っ当な判断から他機関を紹介したものが、結果として『たらい回し』として経験させてしまう。こういったことは、そこかしこの現場でよく見られることです。
本当は、どこかに「つなぐ」なら、自らも「つながり続ける」覚悟が、われわれ援助職には求められているのだと思います。実際「紹介して終わり」になるケースなんてほとんどありません(というか、それで済むなら、相談援助の仕事自体が不要になります)。
あちこちの機関に問い合わせ、相談し「当事者の代わりにたらい回される」のも、ある意味、僕ら援助者にとって大事な役割なのかもしれません。基本的に、その人の困り感にかっちりハマるような機関や制度というのは、「ない」のが普通です。ことほどさように、個々人の体験する困難は複雑化、複合化しており、制度の側はそういった「新しい社会的リスク」に対応しきれていません(それが「制度の狭間」と呼ばれるような問題です)。ピッタリの制度など、「ない」ということを前提に、とにかく関係しそうな機関に相談電話をかけまくる。そのなかで、当事者にとって意味のありそうな相談先をパッチワーク的に見繕っていく。
たぶん先方にとっては迷惑だろうなと思いますし、実際、冷たい応対をされることもあります。とくに居場所活動の方の肩書で相談をしてしまった日には、露骨に怪しまれます。こういったことを繰り返していると、図らずも「相談する」ということが、どれだけ多くのエネルギーを必要とするかが分かるようになります。「ちゃんと分かってもらえるだろうか…」「うまく話せるだろうか…」と援助者である自分でさえも不安になるのですから、当事者はもっと不安だということです。
それでも、問い合わせていくなかで、ちゃんと親身に聞いてくれる機関もたくさんあることが分かります。そこまでいければ、あとは当事者が安心できるよう一緒に話すことをまとめたり、一緒に電話をかけてみたり、一緒に相談しに行ったりと、つなげるための支援を行うことができます。

SSWというのは、学校において「つなぐ専門家」のように扱われがちですが、それよりずっと以前に、まずは「つながる専門家」であるべきだと思います。当事者に寄り添い、声を聴き、共に考えた結果出てくる彼らの困りごとを真ん中に置いて、そこから同心円上に色んな人、機関、制度を巻き込んでいく。この全てのプロセスを指して、「ソーシャルワーク」と呼びます。そうであるとしたら、これまでも繰り返し述べてきた通り、「つなぎ役」「連携役」といったところに、SSWの専門性を置いてしまうことは不十分であるということです

2020.8.24

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