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「上級国民」が陥っている認知バイアスの構造について

東京五輪のエンブレム問題で五輪組織委員会事務総長の「盗作ではないが一般国民の理解を得られない」発言を端緒に、元官僚研究者の高齢者による池袋暴走事故報道で爆発的に広がった「上級国民」という言葉。

異論はあるかもしれませんが、「上級国民」という言葉は、私のような「一般国民」の、権威への嫉妬や怨恨から醸成された奴隷道徳的な感情の発露に感じます。その気持がめちゃくちゃわかるぶん、個人的に「使うのが恥ずかしい言葉」です。


ともあれ、今回の記事で触れたいのは、なぜ「上級国民」と呼ばれる権威ある人が、時にとんでもないスキャンダルや事件を起こしてしまうのかという問題です。

それを解くためのカギが4月に刊行された情報文化研究所『情報を正しく選択するための認知バイアス事典』と、中野信子『努力不要論』にありました。

善行は悪行を帳消しにする免罪符になるのか?

「え? なぜあんなに立派な人が!?」と思われるような権威のある人が、不倫や犯罪などの社会のルールを破ってしまう原因の一つとして、「モラル信任効果」という認知バイアスが考えられます。

自らが立派であること、社会の役に立っていることを認識しているがゆえに、「これだけ素晴らしいのだから、多少倫理に反するようなことを行ったとしても許されるだろう」と無意識のうちに考える。これをモラル信任効果という(Monin and Miller, 2001)。

つまり、自身が免罪符を持っているような感覚に陥ってしまうのです。

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一言でいえば「驕り」なんでしょうね。政治家、大学教授、教師、芸能人、歌手、警察官、検察官、弁護士、プロスポーツ選手でも、ルールを逸脱する人は、少ならからずこの「モラル信任効果」に陥っている可能性があるはずです。

「努力をする人間」も社会のルールから逸脱しがち

ベストセラーを連発し、テレビでもご活躍されている中野信子先生の『努力不要論』の原稿を読んだとき、衝撃的な言葉を目にしました。
それは、「努力は人間をダメにする」というもの。努力は人間にとって美徳であると考えていた私としては、頭をガツンと叩かれた思いがしました。それが本当なら、「まさに『努力不要』だ!」と。
該当箇所を引用しましょう。

 努力している自分――。
 これはとても中毒性の高いものです。努力しているさなかにあって、努力すること自体が目的になってしまっている人は、やはり「努力している自分」に喜びを感じているのです。
 それを示す実験があります。
 ダイエットをして、「今日はほとんど食べなくてよかった」とか、「身体に良い物を食べた」と認知している人は、倫理的に悪いことをする傾向が高いという研究があるのです。
 これは、ヒトの我慢できる量が決まっている、ということを示す実験によるものです。つまり、我慢の限界を超えると、我慢しなければならないことでも我慢できずにハメを外してしまうのです。「自分はこれだけ正しいことをしたんだから、許される」という言い訳を、なんと無意識のうちに脳がやってしまっているのです。
 ある行為を我慢するという形の努力をすると、ヒトは快感を得ます。そして、自己評価が高まってしまい、かえって逸脱した行動をとるようになってしまうのです。
 努力と逸脱した行動というのは、結びつかないように感じますが、じつは密接に関係しているということがわかったんですね。
 たまにスポーツのスーパースターや、伝統芸能の人気俳優がやんちゃな事件を起こして話題になることがありますよね。
「オレはこれだけ厳しい練習をしているのだから、少しぐらいのことは許されるはずだ」と、脳が無意識に判断しているということも十分考えられます。
 つまり、努力は人間をスポイルすることがあるということです。努力しているという感覚があるだけで、自分がすごい人間になったような錯覚を覚えてしまうのです。

努力することによって自己評価が高まり、かえって逸脱した行為をとる――これも「モラル信任効果」の構造に似ていますね。努力が免罪符となっているのです。意外と思い当たるフシは多いのではないでしょうか。


「モラル信任効果」は「一般国民」でも陥る

前項を読めば理解できると思いますが、当然ながらモラル信任効果に陥るのは「上級国民」だけではないので、注意しなければなりません。
たとえば、卑近な例でいえば、「最近ベストセラーを出しているし、ちょっとくらいサボっても大目に見てもらえるだろう」などというのは、私のような編集者が陥りやすいモラル信任効果でしょう。
あるいは、「昔は今なんかと比べ物にならないほどパワハラがスゴかったが、私は耐えてきた。それなのに今の若手は打たれ弱い」などと、自身の過去の経験を免罪符に、部下にキツく当たることを正当化する上司なんかもいるでしょう。
もちろん、それは家庭においても。
まだ今の日本では「過去のもの」とはいえない、家父長的な家族のあり方にも見て取れます。「オレは汗水たらして働き、稼いでるんだ。女子供は黙ってろ」なんて考えが前提にあると、家庭内のモラハラや虐待が自己正当化されてしまいます。

『情報を正しく選択するための認知バイアス事典』では、以上のように人間の心の不思議な動きを60のテーマで解説しています。


興味がある方は、ぜひ手にとってみてくださいね。

(編集部 石黒)


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