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WBC優勝を期に、「愛国心」について改めて考えてみた

WBC、最初は興味がなかったのですが、結局ニュースを追うくらいには注目するようになりました。
WBCはシーズン前の本調子ではない時期に開催、しかも優勝候補アメリカでは有力選手が辞退していることなどから、サッカーW杯と違って「WBCは真の世界一決定戦ではない」という思いがあり、あまり関心がわかなかったんです。

それはさておき、印象的だったのは大谷選手の優勝インタビューの発言です。

「日本だけじゃなくて、韓国もそうですし、台湾も中国も、その他の国も、もっともっと野球を大好きになってもらえるように、その一歩として優勝できたことが良かったなと思いますし、そうなってくれることを願っています」

「大谷翔平は違った」韓国メディアが17年前の“30年発言”を蒸し返すも大会MVPを絶賛!!「世界最高選手の品位を示した」【WBC】https://news.yahoo.co.jp/articles/45d428b99b82fdb0d5077915b57588eba07fbb96

上記の記事でも引き合いに出されていますが、イチローさんの17年前の「今後30年間、日本にはちょっと手を出せないなという感じがするように勝ちたい」という発言を知っている者からすると隔世の感があります。
「日本スゴイ」よりも「野球の普及」のほうが上位の目的になっている国際的天然野球小僧ならではの発言です。
ジャーナリストの江川紹子さんも次のようにツイートしていました。

とはいえ正直なところ、私は、日本人が、日本チームが世界大会で活躍する姿を見ると、自分まで誇らしい気分になります。自分が勝ったわけでもないのに、変ですよね。こうした錯覚を起こすのが「愛国心」なのかもしれません。
みなさんは愛国心をお持ちですか?
北畑淳也『世界の思想書50冊から身近な疑問を解決する方法を探してみた』では、幸徳秋水著、山田博雄訳『二十世紀の怪物帝国主義』(光文社古典新訳文庫)を読み解いたうえで「愛国心」について解説している節があります。以下、該当箇所を本記事用に一部抜粋・改編してお届けします。


「愛国心」とは何か?

「今の日本人には愛国心がない」
 昨今、このような発言をする方がいます。
 彼らが「愛国心」の薄まりを感じる理由は何なのでしょうか。たとえば、グローバルな時代で国家への意識が低くなったからでしょうか。あるいは、「愛国心」などなくても生活できるからかもしれません。
 いずれにしてもそのような薄れた「愛国心」強化の必要性を叫ぶ人がいるのです。
 近年「道徳の教科化」がはじまりましたが、これにはいくつか理由はあるものの、一説には子供たちに日本への「愛国心」を持ってもらいたいという思いから誕生したといわれています。
 その徹底ぶりはすごかったようで、「国や郷土を愛する態度」が不足していることを理由に、「パン屋」という表記が「和菓子屋」に書き換えられたというエピソードもあります。
 ところで、「愛国心とは何か?」と聞かれて「〇〇です」と答えられる人はどのくらいいるでしょうか。国を愛する心だというのはわかりますが、それ以上の説明を問われると困るのが「愛国心」です。
 この「愛国心」について考え抜いた本があります。幸徳秋水の『二十世紀の怪物 帝国主義』です。幸徳秋水は、社会主義者や無政府主義者として有名であると同時に、教科書にある、明治天皇暗殺を企図して死刑にされた大逆事件(今日では大逆事件自体は言論弾圧のためのでっち上げだったとされている)でも有名です。それゆえ、テロリストのイメージがあり、若干忌避される方です。しかし、この著書を読むと、現代にも通じることが書かれ
ています。

幸徳秋水が述べる「愛国心」の正体

 まず、幸徳の「愛国心」に対する立場を明確にしておきたいと思います。
 幸徳は「愛国心」と呼ばれるものを、〈純粋な思いやりの心や、あわれみの心ではない〉と述べます。言い換えれば、もっと下劣で醜いものを媒介にしてできていると考えるのです。それゆえに、愛国心は批判されるべきだとしました。
 彼は自らが「愛国心」に批判的な立場をとる理由を大きく3つの観点から述べます。
 まず1つ目は、「愛国心」が誰かを助けたり、慈善の心から生じたりという高尚なものではないということです。むしろ「愛国心」と叫ばれるものには、利己的でいやしい心が潜んでいるというのが彼の分析です。なぜなら、他国を愛すことができず、自国しか愛せないのは、自分の利益のことしか考えられないことと同じだからです。

愛国心が愛するのは、自国の土地に限られ、自国の民に限られているからだ。(中略)うわべだけで中身のない名誉を愛し、自分や自国の利益を独占することを愛するのだ。

幸徳秋水著、山田博雄訳『二十世紀の怪物帝国主義』光文社古典新訳文庫

 次に2つ目ですが、「愛国心」の根底に他国や他者への憎悪があることを挙げます。つまり、「あいつはむかつくから黙らせたい」「あの国はむかつくから黙らせたい」。このような下劣な感情を正当化するために「愛国心」が持ち出されるとしています。

彼らが故郷を思い出すのは、故郷が愛すべきもの、尊ぶべきものだからではなくて、むしろ、ただ他郷を忌まわしく思い、嫌うからである。

前掲書

 実際、当時の日本では、「愛国」を喧伝する人と他国に憎悪をむき出しにする人が重なっていました。
 たとえば、吉田松陰に影響を受けた伊藤博文、井上馨などのちの要人ともなる人がイギリス公館の焼き討ちを実施したとされています。「日本が外国人に奪われる」といった愛国心が彼らをそのような行動に駆り立てたのか、初代総理大臣や大臣にもなった人物が無実の外国人にテロ行為を行ったのです。
 そして3つ目ですが、これが彼の主張の核心部かもしれません。大半の人を何の利益も出ないことに動員し、それを正当化する手段として「愛国心」が使われていると語ります。
 たとえば、度重なる戦争で政府債務の拡大を正当化する際にも使われました。

多くの敵を殺し、多くの敵の土地と財産を奪い取っておきながら、政府の歳入・歳出の総計は、そのためにかえって二倍にも三倍にも跳ね上がる。それを「国家のためだ」という。愛国心を奮い立たせた結果がこれだ。心強いものだな。

前掲書

 ちなみにこの著書は、日清戦争後に書かれたものです。ですが、日露戦争や第二次世界大戦時に同じようなことが見られました。
 つまり、「愛国心」の下劣さは時代を経ても変わらないということを彼の文章は教えてくれているのでしょうか。


これを読んで、先日死去した鈴木邦男さんの言葉を思い出しました。

本当は外に対してはへりくだって、弊国、愚国と呼ぶくらいでちょうどいいのに。安倍首相は「美しい国」というけれど、国家が美しくある、というのはちょっとどうかと思う。国民一人ひとりが、そして国家が謙虚である、そのほうがずっと日本的であり「美しい」のではないでしょうか?

http://www.magazine9.jp/interv/kunio/kunio2.php

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(編集部 いしぐ ろ)


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