見出し画像

日本のメダルラッシュは選手の努力のおかげ? それとも運や勢いのおかげ?

東京オリンピック、楽しめていますか?
強引とも見える東京五輪開催に、批判的だったはずのテレビや新聞までもが、連日の金メダルラッシュに湧いています。一方、コロナ感染のことを考えたら、手放しで喜べないという声も多くあるようです。
テレビで繰り返し交互に流れる歓喜の瞬間と感染者激増という深刻なニュースを見て、別々の世界で同時進行しているパラレルワールドを見ているような印象を受けている人が多いそうです。

さて、私もテレビでオリンピック種目を観戦しています。しかし、日本人選手が活躍していても、どうしても素直に喜べない自分がいます。
もちろん、先のコロナ感染者激増の中でもお祭が行われているという筋の通らなさというか、アベコベ感にモヤモヤしていることもその理由の1つですが、一番はスポーツにおける他国の選手と比べた場合の不平等感が理由です。
当然のこと、スポーツには大なり小なりホームアドバンテージがあります。特にサッカーW杯や、今回のような五輪といった国際的な舞台では、自国民の応援が選手の大きな力になることは間違いありません。
しかしながら、こうした不平等については参加する各国も織り込み済み、納得したうえで挑んでいるはずです(かつてJリーグ発足時あたりの日本代表の試合では、アウェーで負けているとき、「やはり移動時間やこの気候が原因なのかもしれません」というみっともない負け惜しみを実況が語っていたものでした。しかし、日本を含む他の多くの国も同じ条件下で試合をやっているわけで、まったく言い訳になりませんね)。

実際、今回の日本人選手たちは、無観客開催になったとはいえ、移動の少なさやこの時期の気候を熟知しているというホームアドバンテージがあります。入念な合宿を行ったり、練習試合もたくさん入れていました。

「日本はホームで、準備も万全だった。チームとして6月にスタートして、6~7回の親善試合を行ない、長い間準備してきた。僕らは違った」

一方、外国人選手たちはどうでしょうか? コロナによって入国制限があり、スタッフの数も限られ、時間をかけた合宿など、まともな準備や練習ができなかったということです。さらに、

「この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」

と言われたからやってきたのに、スポーツなんてやってたら下手すりゃ死ぬ猛暑に直面するわけです。
そんな外国人選手を日本人と同じ土俵で競わせたら、そりゃ日本のメダルラッシュになるのも不思議ではありません(こうした状況になることを事前に予想して「だから五輪をやったほうがいい」と主張している人がいましたが、その人はスポーツそのものに興味がないのでしょう)。


どうせ開催するなら、コロナが収束して各国の経済活動やスポーツが正常化に近づくであろう、さらに1年後にしてほしかったです。そのほうが世界最高峰のアスリートの祭典としてスポーツを純粋に楽しめたことでしょう。
こんなことを書くと、

「いやいや、日本人選手たちはこれまでの努力があったからメダルが取れたんだ。お前はアスリートでもないくせに、それを否定するのか。そもそも五輪を否定するヤツなんてもともと反日的な人だ!」

というお叱りの声をいただくかもしれません(最後の一言は暴言ですが)。
では、敗れ去った外国人選手たちは「努力が足りなかった」のでしょうか? そんなわけないでしょう……?

さて、こうした議論を考えるうえで役立つのが、今年4月に発売されて以来ベストセラーになっている『情報を正しく選択するための認知バイアス事典』です。

本書の中で紹介されている認知バイアスの1つに次のものがあります。

究極的な帰属の誤り
自分が所属していない集団(外集団)やそのメンバーが成功したときには状況(外的要因)が、失敗したときは才能や努力(内的要因)が原因であると考えること。一方で、自分が所属している集団(内集団)やそのメンバーが成功したときには才能や努力が、失敗したときは状況が原因であると考えること。

一言でいえば、「身内びいき」ということでしょう。その傾向をよりわかりやすくまとめた表が次のものです。

キャプチャ00

多くの私たち日本人は、内集団にあたる日本人選手に肩入れし、他国(外集団)の評価を低くしがちです。
本書ではその一例として、次の研究結果を紹介しています。
日本と韓国の共催だった2002年FIFAワールドカップで、日本代表はベスト16、韓国代表はベスト4に入りましたが、日本人大学生を対象に、この成績となった理由をどう推測するか尋ねました。その結果、調査対象者は日本・韓国ともにその結果は望ましいとしたうえで、日本(内集団)の成績を「これまでの努力のおかげ」、韓国(外集団)の成績を「運と勢いのおかげ」と評価したそうです。つまり、先にあげた究極的な帰属の誤りが生じたのです。

キャプチャ11

村田光二『 韓日W杯サッカー大会における日本人大学生の韓国人、日本人イメージの変化と自己奉仕的帰属』 日本グループ・ダイナミックス学会第50回大会発表論文集、122-123、2003年。

「いやいや、韓国がベスト4に入ったのは、韓国人選手のラフプレーや審判による意図的な誤審が原因だ」という声もあるでしょうが(それが事実かどうかは、今となっては結論づけられない問題ですが、「究極的な帰属の誤り」がこうした主張の伝播をエスカレートさせたと考えられるかも?)、上記の研究・調査とは関係ないので、ここでは追究しません(ただお伝えしたいのは、調査対象者は「日本・韓国ともにその結果は望ましいとした人たち」。つまり、注目すべきなのはもともと韓国への悪感情がない、あるいは少なかった人でさえ「究極的な帰属の誤り」に陥っているということ)。

では、翻って、東京五輪2020におけるメダルラッシュの原因を、みなさんは何と考えるでしょうか。
私だって、思いっきり「究極的な帰属の誤り」に陥って、「日本人選手の努力、献身性、精神力、絆のおかげ!バンザイ!」と世界にアピールしたいですよ。
しかし、先に述べたような状況を考えると、どうしてもこの認知バイアスにストップがかかるという、たいへん珍しい精神状態になっています。
つまり、以下の矢印が示すように、私の中に「究極的な帰属の誤り」の逆転現象が起きかけているようなのです。
事実、サッカー男子の準決勝で日本がスペインに惜敗したとき、「ホッとした自分がいた」のは事実です。

キャプチャ111

ややこしい記事になってしまいました。
とにもかくにも、アスリートたちが最高のパフォーマンスを出せる舞台での闘いを見たかったと、あらためて、つくづくと感じる今日このごろです。

(編集部 石黒)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?