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「自分が本当にやりたいこと」を知るために、カントが教えてくれること

2020年5月に刊行された八木仁平『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方 人生のモヤモヤから解放される自己理解メソッド』(KADOKAWA)はベストセラーになりました。

私は「自分のやりたいことがわからない」という感覚がいまいちわかっていませんでした。幸いというべきか、「やりたいことがわからない」という経験があまりなかったからです。
それに、「自分のやりたいことがわからない人」は、「やりたいことをわかりたい」という明確な「やりたいこと」があるという構図に、トートロジーというか、論理矛盾を感じてしまったことも理由の一つです。
そんなこともあり、当時、本書がベストセラーになったことに驚きとともに、編集者としての自分のセンスのなさに恥じ入ったのでした。

そこで、このnoteの読者も持っているであろう、「自分のやりたいことを知りたい」というニーズに応えるために、ヒントになる箇所を北畑淳也『世界の思想書50冊から身近な疑問を解決する方法を探してみた』に見つけましたので一部抜粋してお届けします。

哲学者のカント、そしてその著書『純粋理性批判』をベースに説明しています。


やりたいことが見つからない場合、どうすればいいのか?

イマヌエル・カント著、中山元訳『純粋理性批判5』『純粋理性批判7』光文社古典新訳文庫、2011年

「あなたは将来何をしたいですか?」
「君はこれから何をやりたいの?」
「あなたには夢がありますか?」
 このような質問をされる機会がよくあります。明日食べるものさえ貧しているような時代とは違い、今の日本は公的制度も比較的充実していて、理論上は最低限度の生活を誰でも送れるような社会です。多くの人が、未来に思いをはせる余裕があります。
 ただ、人間は貪欲で、食欲だけを満たされても不満を持つ人は多いのです。基礎的な欲求が満たされると別の欲求が生まれてきます。その1つが「自己実現」欲求です。いわゆる「やりたいこと」を叶えようとする心の動きです。
 実際、テレビを見ていても「やりたいことをやれ」「やりたいことを仕事にしなさい」と発言し、その発言を自ら体現している人が人気です。
 本の世界でも同じです。具体的な書名は控えますが、ベストセラーとなったビジネス書の多くが、「やりたいことをどうやって叶えるのか」をテーマにしています。
 社会が「やりたいこと」を見つけるように追い込んでくる時代で、もし「やりたいことがない」人がいる場合、その人の境遇は悲劇的であるといえるかもしれません。
 場当たり的にできることは、「出世したい」「起業をしたい」など本意でないことをいうか、「成長したい」という漠然とした事柄を目標に据えるのが関の山です。
 こういう世相を踏まえ、「やりたいこと」が見つからず迷走している方に、イマヌエル・カントの『純粋理性批判』をおすすめします。
 書名からは、「やりたいこと」の発見とはまったく関係なさそうに見えると思います。この本は残念ながら、「起業しなさい」や「朝早く起きなさい」というテクニカルな話を展開するものではありません。
 その代わり、この本は「どう考えるとやりたいことが見つかるのか」という思考の幅を広げるヒントをくれます。

「やりたいこと」が見つからない理由

 カントの思想に添って、「やりたいこと」が見つからない理由を考えていきます。端的にいいますと、理性を一面的にしか使えていないことが1つの答えです。
 言い換えると、我々は思考する枠を無意識的に制限しているが故に、意図せず自らの考えや行動を極端に狭めているということです。考えること自体(理性)を批判的に考えてみようというテーマを打ち出しているのがカントの『純粋理性批判』という本なのです。
 カントは、理性を行使する方法は2種類あると述べました。1つ目が、「構成的な原理」に基づいて行使するというもの。そして、2つ目が「統制的な原理」に基づいて行使するというものです。
 カントがどちらを重視しているかというと、もちろん「構成的な原理」自体を否定しているわけではありませんが、「統制的な原理」に基づいて理性を行使することです。
 ここで本題との関連を示すと、「構成的な原理」で物事を考えることに偏ると「やりたいこと」が見つからなくなったり達成しても虚無感を感じたりする一方で、「統制的な原理」に基づいた理性の行使を試みることができれば、「やりたいこと」が見えてくるというのが私の考えです。
 では、「構成的な原理」と「統制的な原理」がどういうものなのかを見ていきましょう。
 まず、「構成的な原理」ですが、これは〈客体が《何であるか》を語ることができる〉ものとカントは述べます。
 たとえば、「経営者になりたい」という場合、「経営者とは何か=起業する者」と考えることができます。確かにこの原理は非常にわかりやすいという利点を持っています。
 しかしその反面、「やりたいこと」が現状の延長線上に留まり、最終的には自分が「つまらない」と感じるものしか生み出せなくなるという問題点が生じるのです。
 たとえば、「起業して何をするの?」といわれたら言葉に窮する人をよく見かけますが、まさにこれは「構成的な原理」で考えていることが理由なのです。

「やりたいこと」をカント風に考えてみる

 一方で、「統制的な原理」は「構成的な原理」とは正反対になります。
「統制的な原理」は、「それが何か」というアプローチではなく、ある目標なり目的なりという事柄から、「○○を実現するには△△をする必要がある」と、自分がすることを遡って考えていくことで、現在の思考へと至る方法です。小難しいと感じると思いますが、このメカニズムを著書の中でカントは背進的(後ろに遡る)な総合といういい方で説明をします。

わたしは〈条件づけるもの〉を遡る系列、すなわち与えられた現象から初めて、その最も近い条件を求め、次々に遠い条件にまで遡ってゆく系列の総合を背進的な総合と呼ぶことにしよう。

 これこそ「やりたいこと」が見つからない人にとって必要な思考法だと私は考えています。つまり、ある壮大な理念を持ち、それを実現するためにどうするかを幾度となく思考し、そのために何をするか遡るのです。
 例を挙げましょう。カントの著書に『永遠平和のために』という本があります。この本は「永遠平和」はいかにして達成されるのかについて書かれていますが、この言葉を聞いてどういうふうに思うでしょうか。
 多くの人が「そんなことは達成されない。非現実的なことを打ち出してバカなのか?」と考えるのではないでしょうか。
 しかし、「統制的な原理」に基づいて物事を考えると、そのようには考えません。確かにカント自身も、それが実現されることは極めて少ないことだとわかっていました。しかし、「実現可能性」はこの原理に基づけば、問題にはならないのです。
「どうすれば永遠平和は叶うのか」を本気で考えるのです。そして今何をすべきか遡るのです。そうすることで、「どうせ永遠平和なんて無理だから」と考える人とは異なり、これまでにない新しい展開をもたらす可能性を高めるのです。
 1つだけ例を挙げます。
 カントは〈いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互間の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない〉(カント著、中山元訳『永遠平和のために 啓蒙とは何か』光文社古典新訳文庫)という条項を打ち出しています。
 これを統制的原理に基づき行動すると、1つの考えとして権力を縛る「憲法」に永久に戦闘を放棄する条文を入れようといった発想が生まれてきます。
 そして、その九条に基づき背進的に考えると、「集団的自衛権を認めない」とする歴代の政府見解にたどりつくことができます。

「やりたいこと」は今自分ができることや、できそうなことからは見えてこない

 結論として、「『やりたいこと』を社会を起点に考えてみるのがいいのではないか」というのが私が伝えたかったことです。
「お金を稼ぎたい」「起業したい」「MBAをとりたい」はすべて自分を起点にした考えです。こういう考え方を推奨する自己啓発書もあるようですが、自分を起点にして見つけた「やりたいこと」は達成しても、虚無感が残るだけです。MBAが何かを知り、MBAを取得したからといって何かが生まれるわけではありません。
 一方で、たとえば、「誰もが孤独を感じることがない世の中をつくりたい」といった社会を起点に考えると、「やりたいこと」というのは溢れ出てきます。カントが述べたような統制的原理に基づく背進的総合に着手してみれば、地域コミュニティを盛り上げることも1つでしょうし、新規にクラブチームをつくってみることも1つです。それで起業するのも1つでしょう。無限に「やりたいこと」が思いつくのです。
 もちろんこれは一例です。しかし、この例を通してお伝えしたいのは社会を起点に理念を掲げ、「やりたいこと」を考えてみることが非常に重要だということです。そうすることで、多くの「やりたいこと」が見つかるだけではなく、自分がこれまで思いもしなかった考えや行動をとることができるようになるのです。
 もちろん、「社会を起点に考える」というのは簡単ですが、実際に行動に移すには非常に難しいことだと私は思います。一朝一夕にはできないことです。そもそもその理念が実現不可能ということもあります。しかし、この高尚な理想無くして「新たな一歩」は踏み出せません。
 窮地に追い込まれた会社が、その窮地をいかにして乗り越えたかといったテレビ番組やニュース記事が数多くあります。その窮地を乗り越えるために後押ししてくれた革新的なサービスや商品の誕生秘話は多くの人を感動へと誘うものです。私自身ああいう話が好きでよく調べたりしています。
 ところで、こういう話には必ずといっていいほど、「企業理念に立ち返る」というシーンがあるものです。
「自分たちの会社は何をするために存在しているのか」や「自分たちは何ができるのか」ということを考えるためにです。
 この流れは、まさにカントの「統制的な原理」に基づいた思考ではないでしょうか。企業理念に掲げられた高い目標を改めて確認することで、これまでの限界を突破していくという話なのですが、これは企業だけでなく我々個人にも当てはまると思います。
 自分自身の人生に行き詰まりを感じているのであれば、今こそ自分が一番大事にしてきた価値観に立ち返ってみるのがいいでしょう。
 もしそれが定まっていないのなら、それを考えることからはじめてみるというのも良いのかもしれません。いずれにせよ、まずは社会を観察してみることからはじめるべきだと思います。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(編集部 石  黒  )

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