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「こんにちは。フォレスト出版の◯◯です」――挨拶必要・不要論争を考える

こんにちは。
フォレスト出版の◯◯です。

フォレスト出版のほとんどのnote記事の冒頭

という書き出しは、私以外のほとんどの編集者がこのnoteで使ってる常套句です。
私も、このnoteを書き始めたときは使っていましたが、今は使っていません。なぜなら、意味がないし、筆者と読者の双方にとって無駄でしかないと思ったから。

ちなみに、「常套句」といえば、こんな記事もありました(私の記事ではありません)。

読者が読んでいる時間帯が朝、あるいは夜かもしれないので、「こんにちは」がふさわしいか? なんて些末なことを書き手として悩みたくないですし、こんな挨拶よりも速く記事を読みたいと思う読者のほうが多いのではないかと思うのです。また、自己紹介したところで、(残念ながら?)弊社にカリスマ編集者として名が知られている人はいないので、読者に「誰?」と思われて終わりです。
せっかく読者が見出しを見てクリックしてくださったのに、冒頭で余計なクッション、ノイズを入れて読む気を挫くのは、お互いにとってマイナスです。
(編集部のみなさん、いろいろディスってゴメンナサイ)

ただ、リアルの世界では、私は社外の人と話すときは当然、元気のいい挨拶を心がけます。一方、社内の人間に対しては、小さい声で挨拶するか、会釈するか、スルー(無視)します。時と場合によりますね。それが正しいのかどうか受け手によるでしょうし、同僚からどういう印象を持たれているかわかりません。体育会系の挨拶原理主義者の方にとっては、許しがたい態度かと思いますが……。
ともあれ、最近、次のような論争が話題になったようです。

あなたは、どんなときでも挨拶は必要だと思いますか?
以下、鈴木邦成『はかどる技術』の中に、このテーマを考えるうえで参考になる箇所がありましたので、一部抜粋してお届けします。


効率化の視点からは「挨拶は無意味」

 ビジネスシーンにおいて、挨拶はありとあらゆる場面で必要になります。これまで、挨拶は当たり前のように行われてきましたが、令和の時代は「挨拶はしたくない」という人も増えています。
 確かに滞りを生むケースも少なくありません。
 たとえばデスクワークをしているときに入室してきた人が「失礼します」「こんにちは」という挨拶をしてきたら、作業が止まったり、考え方がまとまらなくなったりするきっかけとなります。多くの人が入ってくる部屋で作業をしていると、その都度応えていれば、かなりの時間がムダになります。実際、私も挨拶ばかりで仕事にならなかったという経験があります。
 また、仲の良くない同僚や上司とすれちがったときに、「挨拶してくれなかったらどうしようか」という不安を感じる人もいます。機嫌の悪い人ならば、ぶっきらぼうな挨拶をするでしょうが、それを気にする人も少なくありません。
 ところが物流センターなどでは「大きな声で挨拶する」ということが基本になっています。これはセキュリティチェックの意味合いもあります。「不審な人物が物流センター内に入っていないか」ということを確認する意図もあるのです。
 マンションのエレベーターで知らない人同士でも軽く挨拶を交わすことがあります。これも同じように声を掛け合うことで不審者の侵入をけん制する効果があるのです。
 このように挨拶をある意味、戦略的に使うことはあります。けれども令和の時代、形式的な挨拶は不要になってきているともいえます。

形式的な挨拶が多すぎる日本社会

 オフィスはフリーデスクやフリーアドレス、出勤時間帯はフレックス、仕事はパソコン中心となると、「お先に失礼します」「お疲れ様でした」といっても、「今来たばかりなのに」ということもあるでしょう。
 また、イヤホンなどを使っている場合は、声も聞こえないので挨拶の声が聞こえないこともあります。したがって、タイムマネジメントの視点から考えると、挨拶の効果はほとんど感じられないのです。

 マンションのエレベーターでも声をかけると「この人はこの階に住んでいるのか」と余計な情報を与えて、ストーキングのきっかけになることもあります。声をかけて安全を確認するといっても、不審者のほうに悪用され、不審者ゆえに声がけを行い、「信用できる存在」であることをアピールしてくることもあります。
 もちろん、コミュニケーションの潤滑油として挨拶は重要でしょう。でも、過度な挨拶、不必要な挨拶はこれから淘汰されていくように思えます。
 私は挨拶が必要かどうか微妙なときは会釈だけにしています。
 エレベーター内で知らない人から言葉をかけられたら、軽い会釈で終わりにしています。フリーデスクのオフィスに入る場合も挨拶は不要で、会釈だけで十分と理解しています。日本式の会釈が通じないような状況では手を軽く上げて笑顔を見せることにしています。

 挨拶をする場合、「その挨拶が本当に必要か、挨拶しても煩わしいだけか」を考える必要性を時代が求めているのです。
 あえて挨拶をしないという選択が、コミュニケーションを円滑に行うためのコツとなる時代なのです。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
(この締めの挨拶を常套句として使っていることに、書き終わりに気づきました。なんかすみません!)

(編集部 い し くろ)


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