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バリ島で出会った日本の神々のルーツの真言を探る

フォレスト出版編集部の寺崎です。

今週、1週間休みをもらって家族でインドネシアのバリ島に行ってきました。今回バリ島を訪れるのは2回目だったのですが、同じ場所に2回目ともなると、これまで気づかなかったことが目に付いたりします。

それは・・・バリの人たちの「信仰心の篤さ」です。

こんな感じで神さまの像の前には必ずお供え物があるのですが、これが街中のいたるところの路上にたくさんあるんです。ガイドブックによれば「お供え物のため、踏んだりするのはNG」とありました(図らずも車に轢かれているお供えものもありましたが・・・)。

そもそも、リゾートエリアのお飾りの石像だけでなく、バリの街を歩くといたるところに神さまの石像があります。そして、誰かの手によって、きちんと祀られています。

これは何の神さまなのか・・・不動明王にようにも見えます。
みなさんおなじみのガネーシャ。この寺院にはなんかエネルギー感じました。
これは龍神でしょうか。「己を捉えよ!」と言われた気がしてシャッターを。
カラフルでかわいい神さま。片方の牙が折れちゃってます。
この寺院にもグッとくるなにかを感じた。

お供え物について気になって仕方なかったので、ウルワツ寺院を案内してくれた日本語ペラペラの現地ガイドさん(サヌール出身)に尋ねたところ、こんな回答を得ました。

「バリの人は”お供え物”ですべてが回っています。まず、1日のはじまりに家の中と外にお供えものをします。お供えものは鳥や犬、猫の食べ物にもなります。それだけではありません。働けなくなった老人たちはお供え物の花を売る仕事をしたりします。すべて循環してるんです」

バリ島の信仰が気になったので調べてみると、ご存じの方はご存じと思うのですが、イスラム教が主流のインドネシアで唯一ヒンドゥー教の信者が90%を占めるのがバリ島。その特殊性から「バリ・ヒンドゥー」と呼ばれるそうです。

ヒンドゥー教徒の数はインドが多く、インド国内で10億人、その他の国の信者を合わせると約11億人以上だそうです。

ヒンドゥー教は多神教です。その意味で、日本の八百万信仰にも似ています。バリ島にも伊勢神宮のように八百万の神を収める寺院があるそうです。

ちなみにヒンドゥー教で祀られている神々は、日本に伝来した仏教では「天部」に属する方たち。

ブラフマー→梵天
インドラ→帝釈天
ヴァイシュラヴァナ→毘沙門天
ガネーシャ→聖天・歓喜天
サラスヴァティー→弁才天 などなど

というわけで、今日はそんな天部の神々の「真言」を『すごい真言』から2点ご紹介します。

 日本で唱えられている経典のほとんどは、インドの経典が中国を経て日本に伝わりました。一般的に経典とは、お釈迦さまが説いた教えを記録した書物を指します。
 経典はすべて漢字で記述されていますが、もともとは漢字ではなく、漢訳されたからこそ漢字で記述されているわけです。
 しかしその漢字の中に漢訳されなかった箇所があります。それが真言です。
 真言はサンスクリット語の発音がそのまま写されました。
 真言は何より聖なる仏の言葉であるため、漢語に置き換えることはできません。そのため便宜上、サンスクリット語の音を漢字にあてはめて記述したのです。
 お経は仏教の教えや規律を論理的に記している文章なので、翻訳したり解読することができます。一方、真言は神仏に呼びかける聖なる言葉であり、特に日本では解釈を求めることは無意味とされています。
 音そのものに仏さまの不思議な力、真言の力が宿っているので、原音をそのまま唱えることで、言葉のもつ力により功徳が得られるとされているのです。

小瀧 宥瑞 (著)・悟東あすか (イラスト)『すごい真言』より

ここでひとつ注意点があります。
天部ならでは注意点です。

 私が授かった真言は結構な数がありますが、授かってないものは、当然、わかりませんし、万が一、書物などで知ったとしても使えません。
 何が身を滅ぼすかと言えば、代表的な話は、天部を拝むときのことでしょう。もし授かっていない真言や、自分でアレンジした真言を唱えようものなら、向かい合ったときに、どうなるか。
 想像するのも恐ろしいものがあります。
 天部は、まだ悟りに至っておらず、人間と同様の悪心(あくしん)をもった神さまだからです。
 身を滅ぼすことを「障礙(しょうげ)がある」と言いますが、これは悟りの道を邪魔する何かが起こりかねないということです。仏の道を歩む我々からすると、授かった真言以外の真言は唱える気さえ起こりません。

小瀧 宥瑞 (著)・悟東あすか (イラスト)『すごい真言』より

この注意点を頭に入れつつ、それでは行ってみましょう。

梵天の真言


オン ボラカンマネイ ソワカ

 お釈迦様さまが菩提樹の下で悟りを開かれた時、「この深い真理は煩悩に支配された我々衆生には理解できないから法を説いても無駄なことだろう」と考えました。そこへ梵天が現れます。梵天はお釈迦さまに法を説くように何度も説得します。お釈迦さまは梵天の願いを聞いて考えを改めました。この世で衆生のために説法をする決意をしたのです。
 この話は「梵天勧請(ぼんてんかんじょう)」という仏教の始まりといえる大切な話です。梵天のおかげで今の仏教があると言えるでしょう。他にも、真言を表記する文字、梵子も、梵天が創造した文字という伝説も存在します。
 梵天は天部であっても菩薩に近い存在ですから、仏法を護るため、広めるための行いまでしっかりと衆生のためにお働きになります。梵天は天部の中でも最高位とされていますが、このような話から、悪さをする鬼神とは違う存在ということがわかります。
 梵天は宇宙創造の神とも言われています。創造力を必要とする芸術家の方々からの信仰を集めている仏さまです。

小瀧 宥瑞 (著)・悟東あすか (イラスト)『すごい真言』より

閻魔さまの真言


オン エンマヤ ソワカ

 幼い頃、「嘘をつくと閻魔さまに舌を抜かれる」と聞いたことはありませんか。
 嘘つきは死んだ後、閻魔大王の裁判でその罪で地獄行きになり、鬼に舌を抜かれる。だから、嘘をついてはいけないよという、子どものしつけのためによく使われる話です。
 閻魔天のお名前をサンスクリット語で「ヤマ」とお呼びします。
 真言の「エンマ」はこの名前を意味しています。
 閻魔天はもともとは天上の世界に住んでいましたが、今は地獄の世界の裁判所に赴き、裁判官として審判をくだす役目を担っていらっしゃいます。
 閻魔天は延命や除災、除病といった功徳があります。そこに地獄といった怖いイメージはありません。実際に、我々をいかなる境地からもお救いくださる慈悲深い閻魔天として信仰されています。
 閻魔天は、じつは地蔵菩薩が姿を変えていると考えられていて、その心の中には地蔵菩薩が宿っていると伝えられています。

小瀧 宥瑞 (著)・悟東あすか (イラスト)『すごい真言』より


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