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時代の言語を獲得するために

アニメばっかり観ている時期があって(別に今でも観るけど、いわゆるbinge-watching というやつ)、で、なんでかなーと思っていた。あまりにもバイオレンスかつダークなやつは食指が動かず、意外と有名所は(きめつとかjjksとか)観てないし、したがってオタ、という域までも全く達しておらず、あくまでもお作法の入り口を嗜む程度、そしてキャラ萌えとか一作品にハマることもなく、観ては次!次!次!と千本ノックのように大量消費する、というスタイルで。

一体自分は何をしてんやろ?と思いつつも衝動に身を任せ観察していたのですが(自分を)、どうやら「パターン」を見出そうとしているのだと分かった。例えば昔、私は本屋に行くのが大好きだった。特に渋谷パルコの本屋さんとタワレコの本屋さんが大好きで、歩き回って自分が知らない世界を見つけることの喜びを噛み締めジャンルレスに様々な本を立ち読み買い漁った。そして雑誌も次第に「遅い」と感じ始め、The Faceっていうイギリスの雑誌やJuxtapozっていうアメリカのストリート系アート雑誌を通販したりしていたな。そうやって情報を大量に浴び取り入れることで、私は自分の言語つまり表現が、時代のリズムつまりパターンを獲得していると自負していたのだ。ちなみに当時は欧米が「世界」の象徴だったので、残念ながら日本ではマニアックにしか受け入れられなかったけど。

昔々、スマホがなかった頃、私たちの世界はなんかもっと単純構造で、文化を共有しやすかった。別にどっちが良いとかではなくて、昔の方がずっと「捉えやすかった」し、パターン化しやすかった。それだけ枠組みの中で人々は生きており、結界ガチガチで飼い慣らされていたのかも知らんけど。

まあつまり、今私がアホほどアニメを観たりyoutube観たりすることは、自分自身のアップデートのためなのだろうなと思った。なぜなら私は、あらゆるものの良さを分かりたい、という欲が強いからだ。次第にあのちゃんの尊さが分かるようになり、ボカロのミームも理解するようになり、ネット世界と自分の親和性が高まってくると、安心感を覚えるようになった。あらゆるものの良さが分かる時、自分という枠は限りなく薄くなってあなた(たち)と溶け合うことができるからだ。だから、キャラ萌えとか作品にハマるとか、「個」としての意図はそこにないので私はアニメをどれだけ見ても感情移入と擬人化?はせず、パターンと情報としか観れてないのだ。なのでオタなんて恐れ多くて言えないー。

なんでそれが必要なのか?とさらに考えてみたら、「蟹座的」を意識して生きるためなのかもしれない。地球を視点軸にしたジオセントリックだと太陽星座山羊座、でも天体からヘリオセントリックにみた私は「蟹座」という話を聞いた時に、うおおおおお!!!と興奮を覚えたのは、そこに自分がこの惑星に持ってきた神様との約束が表されている、と直感的に思ったから。ジオセントリックな星読みがブループリントいわゆる基本的な取説だとすれば、ヘリオセントリックな星読みは自分という存在を強烈に生かす・活かすための手引きじゃないのかーと思ったのだ。「霊性」のための星読み。占星術は全くわからないけど、自分のためにとても必要な情報が詰まってるような気がしてならない。そして、私にとって自分を「蟹座にする」というのは、もう自分をいっそのこと「ガス状」のような、気体として認識していくことのような気がしている。あなたに浸透する私、私に浸透するあなた。でも、山羊座的な力で地殻にアンカーを下ろしておけば、霧散して消えてしまうことはなくどこまでも拡がって地球を覆っていける、そんなイメージ。

ヘリオセントリックな生き方だと、いわゆる世間様からは逸脱してしまうので、誰もが使えるものではないのかもしれないが、腸内細菌みたいなもんで、善玉菌が増えれば日和見菌もその作用を変えていくから、できる人からやっていけばいーんじゃないでしょーか。と、雑な感じで、おわり。

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