もめごとは肥し
イモニイこと井本陽久さんのことが書かれた『いま、ここで輝く。』おおたとしまさ著を、そうそう!これこれ!って夢中になって読みました。
炎の中に立つ
よく、ファシリテーターは炎の中に立つという表現をしたりします。
私もファシリテーターとしてそんな想いとともに、個人名刺にこんなメッセージを記載しています。
私の職業倫理みたいなものにあたるかなと思います。
このことをもっともっと探究したくて、こどもたちと関わらせてもらっているようなところもあります。
もめごとをどう観るか
『いま、ここで輝く。』の本の中で、イモニイのあり方に触れ、スタッフ全員に読んでもらおう!と一人私は大興奮です。
そして、結構これに近いことやれているんじゃないかな、って手応えみたいなものも感じていたりします。
イモニイが出会った「花まる学習会」の高濱正伸さんが、
“もめごとは肥し”と表現されているようで、
私もうんうん!と思って読み進めていました。
先日の活動日にも、もめごとがありました。
私は、時々介入するタイプで、ずっと見守っているということはあまりないです。
特に今回は、新しく来たばかりのメンバーとの間に起きたことだったので、
しばし様子をみましたが、
誰からもアクションがないように私には見えたので(もうちょっと待っていたら違ったかも)、
その場に居たメンバーを集めました。
グランドルール
その前の活動時に、全体での話し合いの中で、グランドルールができたので、それも踏まえて、今日の話し合いもある程度流れがあるだろうと思いました。
みんなの中にも、この意識があったようで、
話し合いはメンバーの必要に応じて進んだかと思われましたが・・・
「怒られた」
蓋を開けてみたら、
あるメンバーは、この話し合いが、私から怒られたと感じたようだったのです。
その子は、ものをはっきり言う子なので、
私はてっきり言いたいことは言えていると思ってしまっていました。
ましてや、私に怒られていると感じていたとは!
おうちの方が後から教えてくれたので、
教えてもらえてよかったな、と心底思いました。
「怒られた」と感じていたとすると、その後のその子の言動も全てつじつまが合ってしまう感じです。
ああ、だからか、と。
葛藤を生きる
「もめごとは肥し」で、「炎の中にたつ」ということも、私は苦手意識はないのですが、
もっとも難しいのは、自分自身の葛藤を真っただ中で生きることだと、今回のことで感じました。
なんだか、大人の目から見てうまく行っているような時ほど、
落とし穴があること。
その渦中にある自分自身を俯瞰すること、
ごまかさずに観て、次に活かすこと・・・。
スタッフや、おうちの人たち、それから周りでサポートしてくれている人たち、みなさんの力をお借りしないと、難しいです!!!
一人でやっているなんて思ったら、本当それほどの傲りはないですね。
これもまた肥しにして、やり直します!
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