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ニュー選択的夫婦別姓訴訟を問い直す(5)正しかった井戸まさえ氏の批判

〔写真〕反響を呼んだという井戸まさえ氏の現代ビジネス電子版の記事

※前記事

これまでの連載(1)〜(4)で、ニュー選択的夫婦別姓訴訟の訴訟の戦略と訴訟の経過、専門家による判例解説・批評をご紹介してきました。

ここで、連載冒頭の問題提起に戻りたいと思います。

ニュー選択的夫婦別姓訴訟の論議の嚆矢となったのは、ジャーナリスト井戸まさえ氏の、次の2つの記事です。

センセーショナルな反響を呼んだ、日本会議への接近の是非は、別記事で検証し、今回は、井戸氏の法的見解について検証していきます。

結論から言いますと、

①井戸氏は、今回の訴訟の結末をかなり正確に予想しており、大筋において間違いはない。

②井戸氏の批判のポイントは、これまでご紹介した学者が指摘したポイントと、大筋で一致しており、ニュー選択的夫婦別姓訴訟の問題点を的確に指摘している。

③ただし、ニュー選択的夫婦別姓訴訟を「青野訴訟」と名付けた点など、議論の提起の仕方に問題があった。

1、一審・二審判決と共通する井戸氏の問題点の指摘

まず、井戸氏は、「サイボウズ青野社長の「別姓訴訟」、日本会議への接近に戸惑う人たち」の中で、こう指摘しています。

今回の訴訟で比較している外国人との婚姻の例や、離婚後、それまでの氏(姓)を名乗ることができる「婚氏続称」の場合は、相手に戸籍がない、もしくは既に前婚の元配偶者とは別戸籍となっている。

わかりやすく言えば、その場合の「氏」というインデックスは一つである。だからこそインデックス名を変えることは可能だということだ。

この訴訟について国は争う姿勢を示しているが、

(1)婚姻時はどちらかの氏を選ぶ
(2)呼称上の氏だけ変える

という、青野氏たちが主張する方法だとそのインデックスの中に、また別のインデックスをつけるというようなこととなる。

従来主張されてきた夫婦別姓の改正案よりもさらに戸籍は複雑になる可能性があり、本来の目的である国民の登録、管理についてはさらに難しくなるからであろう。

この「インデックスの中に別のインデックスをつける」という問題点は、一審判決が次のように指摘しています。

現行法の下において、個人が社会において使用する法律上の氏は、一つであることが予定されているものというべきである...①日本人同士の婚姻の場面では、民法750条が適用され、夫婦が同氏であることが求められるが…当該場面において、夫婦同氏制を維持しつつ、婚姻により配偶者の氏を称することとした者が、婚姻後も戸籍法上の氏として婚姻前の氏を称することを認めようとすれば、その者が社会において使用する法律上の氏は、二つに分かれることになるが、そのような事態は、現行法の下で予定されているものではない。

そのうえで、ニュー選択的夫婦別姓訴訟が挙げた4つのケースについて、①日本人同士の婚姻のケースのみ、二重氏が生じてしまい、法律上の氏の定義に反する、と判断しています。

井戸氏もインデックス(索引)という比喩で氏を説明していますが、同じ問題意識といえるでしょう。

同様の指摘は、二宮周平立命館大学教授、新井誠広島大学からあったことは、これまでの連載で述べてきた通りです。

つまり、井戸氏は非常に正確な法的知識に基づいて、ニュー選択的夫婦別姓訴訟の問題点と判決の結果を指摘していたといえます。

2、ニュー選択的夫婦別姓訴訟が無視した、根源的な問題

そして、井戸氏は続編記事の「サイボウズ社長「別姓訴訟」に内在する、深刻な戸籍の「二重氏問題」」の中で、戦後直後の民法・戸籍法改正が中途半端な形で終わってしまい、民法、戸籍法の中に、家制度の残滓、差別的な規定が残ってしまったことを指摘しています。

その主張の根拠として、家族法の第一人者である、水野紀子東北大学教授の見解をはじめ、民事法の改正に携わった山川一陽日本大学名誉教授、川口かしみ大妻女子大学講師などの見解や著作を引用し、民法・戸籍法が本質的矛盾を抱えたまま改正が重ねられている実態を詳しく解説しています。

まだ、記事の最終ページに挙げる、民法改正C案、高市早苗氏の通称使用案への批判は、後日、二宮教授が学術誌で批判的に指摘していることは、これまでの連載でご紹介した内容とほぼ共通しています。

井戸氏は、「日本の無戸籍者」(岩波書店)など、日本の現行法制からこぼれ落ちた家族の問題を取材してきたジャーナリストです。根源的問題を回避し、小手先の法的修正でお茶を濁すような、ニュー選択的夫婦別姓訴訟への批判的視線は、これらの民法学の研究者たちと同じ問題意識でした。

3、作花弁護士は十分な回答を用意していたのか?

井戸氏のニュー選択的夫婦別姓訴訟「二重氏」問題について、本来回答すべき立場にある作花知志弁護士は、現在に至るまで何ら回答していません。

しかし、同様の指摘受けた一審判決に反論する形で、控訴趣意書で次のように述べています。

原判決は繰り返し、「控訴人らは二つの法律上の氏を称することを主張している。」と判示するが、その理解は不正確である。

控訴人らが主張している「日本人同士の婚姻により氏を変えた者が戸籍法上の氏(呼称上の氏)として旧姓を称すること」が認められた場合、パスポート、健康保険証、銀行口座の名義など、全ての法律上の氏が、戸籍法上の氏(呼称上の氏)で統一されることになる。それは、原判決の氏の数え方(氏の数の評価)からしても、一つの氏である。

そしてそれは、現在戸籍法上の氏(呼称上の氏)を称することが認められている、離婚復氏後の婚姻時氏使用を称する場合(戸籍法73条の2、民法767条2項)や、外国人配偶者の氏を戸籍法上の氏(呼称上の氏)として称する場合(戸籍法107条2項及び同条3項)と同様のものである。この点においても、日本人同士の婚姻に際して民法750条により氏を変えた者が戸籍法上の氏(呼称上の氏)として旧姓をしょうすることのみ認めない区別には、合理的な理由がないことは明白である。

つまり、原判決が「そして、このような民法と戸籍法との関係に照らせば、個人の民法上の氏と戸籍法上の氏も密接不可分の関係にあって、合わせて一つの法律上の氏を構成するものというべきであり、現行法の下において、個人が社会において使用する法律上の氏は、一つであることが予定されているものというべきである。」と判示したその「氏の数え方(氏の数の評価)」を用いた場合でも、控訴人らが主張している「日本人同士の婚姻に際して民法750条により氏を変えた者が戸籍法上の氏(呼称上の氏)として旧姓を称することが認められた場合」において使用する氏は一つであり、二つになるわけではないのである。

だが、これは井戸氏、井戸氏が引用した水野教授、川口講師らの問題意識とはすれ違った主張といえます。

もともと、原判決(一審判決)への反論書面なので致し方ない面はありますが、井戸氏、そして水野教授ら主流の民法学者の問題意識は、まさに「民法上の氏」「戸籍法上の氏」の2種類が存在することが自体が、様々な差別構造を温存している、というのが「二重氏問題」だと捉えているからです。

こうしてみると、差別的構造がある二重氏を逆手にとって、差別的問題を内包している夫婦同姓の強制を解消する、というのは、倫理的問題を抱えている、といえると思います。

4、批判の矛先さえ間違えなければ。。。

これまでの連載で収集した資料・学術論文と、井戸氏の2つの記事を見比べてみると、井戸氏の指摘は非常に正確であったと率直に評価できます。

それなのに、なぜその正しさが正当に評価されなかったのか。

私は、井戸氏が批判の矛先を間違えたからだと考えています。

2つの記事を確認すると、「青野氏訴訟」「青野氏らの訴訟」「青野氏が求める」「青野氏の案」といった言葉が目につきます。

しかし、すでに明らかなように、青野氏はあくまで原告の1人に過ぎず、訴訟の法的見解を代表できる立場ではありませんし次に挙げるような記事をうかつに書く人物が、民法や戸籍法について、正確な法的見解を表すとは考えにくい。
あくまで作花知志弁護士であると考えるべきでしょう。

にもかかわらず、批判の矛先を青野氏に向けてしまった結果、青野氏の感情的反論と相まって、センセーショナルな批判や、本来は志を同じくすべき人たちの間で分断を招いてしまった、といえると思います。

そして、この議論の陰で、民法学の第一人者というべき水野教授が、この訴訟に懐疑的なコメントを残していました。

次回記事では、その重要性について説明したいと思います。

【次回】

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