21/1/14 友だちはいらない
友達について述べている文章を2つ紹介する。まずは、USJを再建させた敏腕マーケター・森岡毅氏の著書「苦しかった時の話をしようか」より。
結局、すべての人は、己が主人公の人生をそれぞれ生きている。そうあるべきだからだ。一生懸命お互いに気を遣って”友達ごっこ”をしても、そもそも目的が違うのに利害を調整するなんて最初から”無理ゲー”なのだ。無理に合わせていても、目的がバラバラなのだから、ストレスが溜まる割には時間も空間も僅かしか共有できない。友達とは、長く続くキャリアや人生の旅を共有できないのだ。
そんなことに気を煩わせる暇があるならば、むしろ早く君は自分のやりたいことを探して、それに夢中になれ!君は君らしくまっすぐに旗を立てて、それに没頭して邁進していれば良いのだ。友達はいなくてもいい。目的を追求するなら、君にもいつかきっと、手を取り合って同じ目的を追う本当の”仲間”ができるだろう。それが己の弱点との究極の向き合い方だと私は考えている。
また、エンジェル投資家であった故・瀧本 哲史氏の著書「君に友だちはいらない」は次のように述べている。
本書を開いているあなたにも、周囲の誰にもまだ話したことがない夢や志がきっとあることだろう。だがその夢や志は、あなたの胸のうちに仕舞われているうちに、いつしか朽ち果てていく。
夢を語り合うだけの「友だち」は、あなたにはいらない。あなたに今必要なのは、ともに試練を乗り越え、ひとつの目的に向かって突き進んでいく「仲間」だ。SNSで絡んだり、「いいね!」するだけの「友だち」はいらない。必要なのは、同じ目標の下で、苦楽をともにする「戦友」だ。友だちも仲間も他人から「配られる」ものではなく、自分自身の生き方を追求することで、自然にできあがっていくのだ。だから究極的に必要なのは、他人から与えられたフィクションを楽しむだけの人生を歩むのではなく、自分自身が主人公となって世の中を動かしていく「脚本」を描くことなのだ。
私は数年前から飲み会に参加することをやめた。それにより、友達が一気にいなくなった。正確に言うと、友達だと錯覚していた人がいなくなった。結局、酒でしかつながっていない人間関係だったのである。酒でつながっている関係ほど脆いものはない。なぜなら、つながっている間は酔っているからである。飲み会の誘いを断るのもだんだんと辛くなってきたので、LINEもやめた。当たり前だが、一切の連絡が来なくなった。
飲み会をやめ、LINEをやめた結果、生まれたものがある。それは、自分と向き合う時間である。自分と向き合う時間が生まれた結果、より自分らしい生き方ができるようになった。自分に向いていることは何か、自分が得意なことはなにか、自分が今までやってきたことは何か、自分がこれからやりたいことは何かなど、自然とこれらのことに考えを巡らす時間が増えてきた。
「あいつは付き合いが悪くなった」と言われているかもしれない。しかし、森岡氏の言うように、人それぞれ目的が違うのだから、それは仕方のないことである。私の目的は、自分と家族の時間を確保することである。
人脈がなければ何か困ったことがあったときに解決できないのではないかと不安に思うかもしれない。しかし、森岡氏・瀧本氏が言うように、自分の目的を追求していれば、自然と仲間は集まってくるものである。私が尊敬するクリエーターにかつて聞いたことがある。「優秀なメンバーは群れない。即集合、即解散する人間たちである」と。
友だちがいなくても気にしなくていい。自分の目的に向かって進んでいけば、自然と仲間は集まってくる。即集合、即解散で。
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