【小説】バベルの塔 一話

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 (……こんな展開が現実に起こることなんて在りえるのか?)

 俺は、突然のアナウンスに騒然とし始める広場をよそに、ぼんやりとそんな事を考えていた。

 誰よりも先に、今起こっていることが紛れもなく現実だと、イベントではないと把握できる立場にいながら、心がその事実を受け入れてくれない。

 絶賛現実逃避中である。

 目の前の店のガラスに、少し長い黒髪を後ろに縛り、上下ともにラフな黒服に身を包んだ、痩身の目立たない男が写っている。少々目つきが悪いが、威圧を与えるほどではない。人混みに紛れれば、すぐに溶け込めるような容姿だ。


 唯一、普通とは異なる点があるとすれば、腰の両側には短剣が装着されており、ここが現実であれば警察が飛んでくるであろう。
 
 視線を横に向けると、目に入ってくるのは中世ヨーロッパを思わせるレンガ造りの街並み。
 乱雑そうに見えながらも、きちんと設計された道と、それに沿って存在する店。
 そして、ここからでは建物に遮られており見えないが、この街の四方は壁に囲まれ、どの場所からでも、見上げれば、中心地には天をつくかと思われるような塔がそびえ立っている。
 ――――ようにデザインされたはずである。

 バベルの塔。

 その、先端が霞むほど高い塔は、そう呼ばれている。
 旧約聖書の『創世記』中に登場する巨大な塔から取った名前である。

 この名前の付け方にも、一悶着あったのを思い出し、俺は現実逃避の一貫としてこれまでの流れを思い返していく。


 ……決して死ぬ前の走馬灯ではない、きっと。

 
 冷房の効いているはずの会議室の中では、人の熱気が充満し始めていた。
 設定のメインとなるはずの、塔の命名について意見が割れ、揉めているからだ。
 
 ゲームとしてのオリジナリティを出すために、引用ではなく自分たちで名前を考えるべきだという意見と、ユーザーに対する理解のしやすさの面からも、神に挑むというスタンスからも、この、旧約聖書からの引用が一番しっくり来る、という意見。

 俺は、後者だった。
 何故か?
 
 『バベルの塔』。

 この言葉には力がある。

 オリジナルで考えるような言葉では、表すことが出来ない。作り込まれたわけではなく、積み重ねられた歴史や過去を匂わせる聖書や古典のもつ、言葉の力。

 そしてこれは俺が日本人であるからではあろうが、北欧神話などに出てくる言葉の響きにロマンを感じるからだ。
 別名としては、厨二病とも言う。

 ん? わかってもらえない……? いや、それはまぁいい。

 異論は受け付けるが、元々うちの開発チームにはそういう響きを好む人間は少なくはない。
 何故なら元々ゲームの世界が好きということが高じて、この仕事に就いてるわけだ。ある部分は子供のままだったりもする。

 ちなみに、反対している面子に関しても、ロマンを感じるだけでは飽きたらず、更にそれらしい名前を考えたいだけ、であることをここに明言しておこう。

 大事なことだというのに日和見を決めたリーダー(リーダーシップはどこへ行ったというのか)もあてにならず、世界で最も有名な平和的解決法、多数決でも一向にまとまる気配もなく(何でいつも開発メンバーは偶数なんだろうか)、次善の策であるくじびきで決めた結果――。


 正式に次世代型オンラインゲーム、全感覚型RPG【Babylon】がプレリリースされた。
 

 医療用・軍用に制限されていた、認知学・脳神経学の観点から五感をフルにトレースできる技術を用いた、文字通り世界を作り上げその中に入り込める夢のゲームである。
 ゲームの作り込み、デザインの拘りでは世界一を自負する日本の企業が協力し、世界初となるこのオンラインゲームをリリースすると発表したときは、すべての紙面を飾り、大騒ぎになったものだ。

 キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!
 
 という単語がさまざまなMMOスレで飛び交っていたのは目に新しいところである。
 15000人という募集枠に、200万人を越える申し込みが殺到したのだからその熱狂が伺える。

 もちろん、【Babylon】開発メンバーの一人である前に生粋のゲーマーであり、見事に裏技など使わず、一般抽選で僅かな可能性を引き当てたこの俺、影山透こと、【トール】も、使う事なく溜まっていた有給を戦いの果てに取り、当日の、先行キャンペーン当選者ログイン会場に足を運んだ。

 これをリリースするために、どれだけの朝を会社で迎えたことか……
 クローズドの時なんて、色々と心がすり切れるかと思った、楽しそうにするテストプレイヤー……そして上がってくるバグの報告。あれは切ない、切なすぎた。
 知ってるだろうか? そんな風に二晩寝ずにモニターを見続けて迎えた朝日は……文字通り痛いんだ……
 
 ……いや、これ以上深く思い出すのはやめておこう。
 現実逃避の中ですら逃避してしまったら、戻ってこられなくなる気がする。

 そして、開発が一段落して久々に家に帰ってみると届いていた当選通知。
 それを見た俺を止められるものなど、更に長時間働いている先輩以外にはこの世の中に存在しない。

 ――鉄人すぎるんだよ、あの人達……

 もちろん、優しい先輩方は許してくれたさ。

 たとえ、通知を持って……ただ黙って熱を込めた視線を送り続ける俺に耐えられなかっただけであろうと、言質もエビデンスも取ってある。
 ……休暇のために、それからの仕事量が限界を超えたことは、言うまでもない。くそ、あれのまだ先があったなんて。


 今回世界初の全感覚型オンラインゲームである【Babylon】には、幾つかそれまでのMMORPGとは異なる点がある。
 
 一つは、もちろん一番の変更点。
 ゲームの世界に意識ごと入り込めるという点である。

 もっとも、頭にかぶるだけでその世界に入り、簡単に出入りができる仮想の世界とは異なり、ある特殊な液体の入ったカプセルに入り、【Babylon】の世界へとログインすることになる。

 この間、栄養補給・トイレなどの生理現象もこのカプセル内で行われる。
 心境的にはかなりの抵抗感はあるが、実際ログインしている間の感覚は無いし、何よりこの技術は元々、宇宙活動における宇宙飛行士の心神喪失防止のための技術ということで、その循環技術や安全性は世界最高峰。
 むしろ普通に行動しているよりも健康的で清潔に保たれ、異常も検知されるという優れものなのである。

 もう一つは、感覚を現実と統一化させるために、極端な容姿・身体的特徴の変更ができない。

 普段何気なく動かしている手足や顔の表情。
 それらは俺たち一人一人に特有の感覚として身に付いているものだ。

 例えば、俺は身長が168cm 58kgだが、それをいきなり190cm100kgの巨漢に変更すると、脳の記憶、感覚との差に違和感が生じ、重大な認識障害が起こる。
 何気なく額に手をやったり、咄嗟に何かを避けたり、という無意識な行動は自分の体であるからこそ行えることなのだそうだ。
 言われていればそうかとも思うが、それが『無意識』というものなのだろう。

 もちろん許容範囲内での改変は可能(髪の色や眼の色など)だが、太っている人間が激やせした状態にとなったり、細い人間が筋骨隆々になってロールプレイすることは、現状の技術では残念ながらできないのだ。

 もっとも、ゲームの中ではパラメーターに左右されるため、見かけがどんなにマッチョでも、STR(筋力)値が低ければ意味はないのだが。

 また、顔の造形も急激な変更は同様にできない。その特徴のまま比較的格好良く設定することはできるが、あくまで基本は元の顔というようになる。
 PCで加工するような感じ、といえばわかりやすいだろうか?
 ……そう、男の子が借りるDVDのパッケージとかで騙されるアレだ。一応面影は残るだろう? それを見破れるまでになったそこのあなた。……君とはいい友人になれそうだ。

 同様の理由から、ネカマ(ネット上性別を別にして演じる人)もいないことになる。
 これは結構非難が出たようだが(そんなに重要なのだろうか?)、それでも技術的にできないといわれればしょうがないといえば無い。
 もしも、男としての大事なものが存在しない感覚に脳が慣れてしまい、その機能をなくすのが御望みならば個人的には止めはしないが。


 とにかく、そういった条件で、俺は、170cm 58kg 男 盗賊【トール】として【Babylon】にログインした。


 ……ん? これだけ長々と説明しておいてサバを読むなって? 
 誤差の範囲だ。背伸びしたかった俺の気持ちは、わかってもらえると信じている。

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